心理学

2018年7月 4日 (水)

夢の現象学(147):夢を思い出そうとしているうちに一昨日の「フランス語圏発達心理学文献を原典で読む会」のことを思い出したの巻

■7月2日(月)。早朝、夢を見た。スケールの大きな物語が進行していたが、ほとんど思い出せない。なにやら着流し姿の江戸の侍がいたような憶えがある。侍は巨大な力を秘めているようだった。けれども、途中から「妥協」があったような。

 記憶の緒をたぐり寄せようとしているうちに、夢ではなく土曜日に早稲田であった、「フランス語圏発達心理学文献を原典で読む会」のことが思い出されてきた。
 その会での中心人物の加藤義信さんの配布資料「フランス語圏発達心理学をフランス語で学ぶ効用(と限界)」にあった、「今世紀初頭以来、日本の大学や研究機関で進行している事態は‥‥「制度化」と「国際化」の急速な進展として理解できる」という部分が、印象に残っている。
 「「制度化の進展とは?」
 ・多くの研究者が専門分化した共通の学会に組織され、
 ・共通の専門用語が教科書的に体系化され、それによっ「て互いのコミュニケーションが可能となり、
 ・問題意識とっ方法における研究パラダイムを他の研究者と共有して、
 ・そのパラダイムの範囲内での「累積科学」への貢献と見なされ得るデータを産出し、
 ・それを共通のフォーマットに則った論文にまとめて、
 ・専門の学術誌に発表することによってプライオリティを競い、
 ・そうした専門家集団を再生産する学位・資格制度が整備された体制。
 「国際化」の進展とは?
 ・こういう「制度化」が、英語を唯一の共用語としつつ地球規模で進むこと。」(加藤、2018、p.1)
 確かに、こういう風潮から見れば、加藤さんは自分でも言っているように、「辺境人」かもしれない。すると、私はどうなるのか。研究会冒頭、自己紹介を加藤さんの次にする破目になって、「加藤さんが辺境人なら自分は宿無しの放浪者だ」といったことを言ったのだったが。今から考えれば、自己規定としては「異世界人」とでも言っておけばよかったのだ。
■フランス中世文学に親しむの巻
 フランスついでだが、今日は図書館で『フランス中世文学集』の第2巻を借りだし、クレチャン・ド・トロワ作「荷車のランスロ」を(もちろん翻訳で)読み始めたが、めっぽう面白い。ランスロとは、英国版アーサー王物語に出てくるランスロットのこと。アーサー王物語の定本ともいえる、15世紀のマーロウ作「アーサー王の死」の最も主要な種本でもある。12世紀のクレチャン・ド・トロワの方は、ロマンス、つまり中世のロマン語で書かれた叙事詩の作者の中で最も有名な人物。いわば、吟遊詩人(トゥルヴァトーレ)の総元締めというところか。
 最近よく思うのだが、私の教養の原点は、10代に親しんだヨーロッパ近代文学にある。その中でも10代前半で特にお気に入りだったのが、ゲーテの「ミニヨンのうた」やノヴァーリスの「青い花」に代表されるロマン派の文学だった。そのロマン派の源流となった12世紀のロマンスの作者の中でも名前だけは憶えていた、クレチャン・ド・トロワの物語詩を、散文訳とはいえ手軽に読める日が来るとは思わなかった。
 まだまだ、読みたい物語、読まずに死んだら心残りだろう物語はいくらでもありそうだ。この本の中でも、同じ作者の聖杯物語が収められているし。
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●●●新感覚のオープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』は、創刊に向けて原稿募集中です。詳しくは下記サイト参照
エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくは上記サイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
原著論文、研究企画、翻訳(以上は査読あり)、ブックレビュー、映像メディア時評、学会・研究会参加印象記、その他随想など幅広いジャンルの投稿を期待しています。投稿は無料です。詳しくは上記サイト中「Call for Papers」の「投稿・執筆規定」をご覧ください。

2018年7月 3日 (火)

夢の現象学(146):夢3題(天文学の科学社会学/トイレの研究/巨大蛇が襲う)の巻

■2018年6月12日。夢を見た。天文学の科学社会学という講座を主催していた。白鳥座のデネブが云々といった中味が思い起こされる。

 そのうち、二つの提案を学生たちに提示したのだった。それは、(1)理学部天文学専攻の見学、(2)隣の、やや似たような傾向の、S氏がやっている講座との連携、であった。ところが反対する学生(男子)が二名ほどいた。(起きてから思い起こしても、顔は見覚えがない)。それでも、反対をものともせずに決行しよう、などと考えた(午前10時。世田谷のS駅近くの喫茶にて)。

  天文学の科学社会学に関しては、だいぶ前にそのような研究を読んで(ラトゥールだったかな)、こんなことをやるよりは天文学そのものをやった方が良かっただろうに、と率直な感想を抱いたことが思い出される。S氏は質的心理学会の幹部だが、科学社会学をやっているわけではない。よく分からぬ夢だった。
■2018年6月13日(水)。早朝4時ごろ。夢を見た。
 トイレの研究(?)をやっていた。C駅から私鉄のK駅のまでのガード下にショッピングモールが複数続いていて、一つずつトイレがあったが、そんな構造の建物にいた。
 一番奥まった建物のトイレが最も居心地がよさそうだった。
 その、4つ並んだ個室トイレの最も奥の部屋に住む工夫を、いろいろしていた気がする。(午前11時。喫茶とドールにて。)
■2018年6月23日(土)。早朝、スケールの大きい夢を見た。
 夢の認知科学のO氏が出てきて、何やらの研究集会に出てくれと言われたような、その逆に出てくれと云ったような、気がするが、どちらかはっきり思い出せない。そのうち、どこやらの大学か研究機関で飼育していた巨大蛇が逃げ出したという情報が入った(どうやって知ったのかハッキリしないが、情報として直接入ってきたのかもしれない)。
 これまた思い出せない理由で、巨大蛇は我々の研究グループを襲撃するらしいという。雑木林の生えた丘陵を越えて逃げる。同行者がいたかははっきりしないが、合流点には国際総合研究機構のKさん(女性)もいたような。
  川のほとりに出た。これで逃げ切ったと安堵していると、また、巨大蛇は川の近くに向かっているという情報が入った。ただし、蛇のターゲットは我々ではない別のグループらしい。が、とにかくまた逃げ出さなければならない。
 この辺で目が覚めた。
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2018年6月 9日 (土)

夢の現象学(145):拙著『夢の現象学・入門』のエピグラフに、よりふさわしかったボルヘスの詩の巻

■2018年6月8日。図書館で、『ボルヘス詩集』を何気なくめくっていると、「夢」という作品が目に留まった。一読して、これこそ、一昨年に出版した『夢の現象学・入門』のエピグラフにふさわしかったのに、と思った。

 ちなみに実際のエピグラフには、ホフマンスタールの「世界の秘密」から抜粋して使ったのだった。
 こんな具合だ。
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深い泉はよく知っている、
かつてはだれもが深く、おしだまり、
だれもがそれを知っていた。
深い泉はそれをよく知っている、
泉に身をかがめ、一人の旅人がそれをとらえ、
とらえてまたそれを失くした。
深い泉はよく知っている、
かつてはだれもが知っていた、
いまは夢が、輪をかいてふるえめぐるばかり。
――ホフマンスタール「世界の秘密」(一八九四)より、一部を改変・省略して引用。
  (『夢の現象学・入門』渡辺恒夫著、講談社選書メチエ、2016、p.2)
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 この引用で気になっていたのは、原詩の全12連のうち3連しか引用していないし、おまけに最後の行に出てくる「夢」と、本のテーマである「夢」とでは意味がずれていることだった。
 その点、ボルヘスの詩は、本の内容にもふさわしい。
 以下に全体を引用する。
■ボルヘス作「夢」
 そこここの時計が惜しげもなく
 時を振る舞うころ、
 わたしはウリッセースの舟子らを遥かに越えて、
 人間の記憶の及ばない、
 眠りの地へと赴くだろう。
 そしてその海中に没した土から、いまだに謎の解けない遺物を拾い上げる。
 素朴な植物学の草花、
 いかにも雑多な動物、
 死者たちとの対話、
 実は仮面である顔、
 非常に古い言語に属する言葉、
 白昼がわれわれに与えるものとは
 比べられない、たまさかの恐怖。
 私は万人であるか何者でもないかであり、
 それと知らずにわたしである他者であり、あの別の夢、
 わたしの目覚めを見た者であるのだろう。彼はそれを、
 諦めの微笑を浮かべながら裁いていくのだ。
   (『ボルヘス詩集』 鼓直/訳編、思潮社、1998、p.90)
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 ところがこの詩集には、下に引用したように、更にいっそうエピグラフ向きだった作品がある。いまからェピグラフを差し替えるわけにもいかないので、次に出す本には、ぜひボルヘスから拝借したいものだ。といっても、目下計画しているコミュ障本は、ボルヘス向きでもないのだが。
:
■ボルヘス作「デカルト」
 わたしは地上で唯一の人間である。おそらく、地上も人間も存在しないのだろう。
 おそらく、ある神が私を欺いているのだろう。
 おそらく、ある神が罰として時を、あの大きな幻影をわたしに与えたのだ。
 わたしは月を夢みる。月を捉えるわたしの眼を夢みる。
 わたしは最初の日の夕べと朝を夢みた。
 わたしはカルタゴとカルタゴを劫略した軍団を夢みた。
 わたしはルーカーヌス〔註 ボルヘスの友人〕を夢みた。
 わたしはゴルゴダの丘とローマの十字架を夢みた。
 わたしは幾何学を夢みた。
 わたしは点と線、平面と体積を夢みた。
 わたしは黄と青と赤を夢みた。
 わたしは虚弱な少年時代を夢みた。
 わたしは地図と王国、あの夜明けの決闘を夢みた。
 わたしは想像を絶する苦痛を夢みた。
 わたしは剣を夢みた。
 わたしはボヘミアのエリザベートを夢みた。
 わたしは疑念と確信を夢みた。
 わたしは昨日という日を夢みた。
 おそらく、わたしに昨日はなく、おそらく、わたしはまだ生まれていない。
 おそらく、わたしは夢みたと夢みている。
 わたしは少し寒気がする。少し不安である。
 ダニューブ河に夜が訪れている。
 わたしはデカルトを、彼の両親の信頼を夢み続けることにしよう。
           (『ボルヘス詩集』 鼓直/訳編、思潮社、1998、p.115-116)
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2018年6月 8日 (金)

夢の現象学(144):核攻撃を受けた夢から覚めた後も10秒程本当だと思い続けたの巻/三連続続きの夢を見たの巻

■2018年5月19日朝。会議室のような所にいた。何かの研究会らしかった。と、なにやら、窓の外を見て誰かのアーッという叫びが上がった。

 つられて窓外を見ると、東京の、高層ビルから眺望した風景が広がっていたが、その地平のビルの一画に、黒い煙がモクモクと上がっていた。たちまちキノコ雲になった。
 核攻撃だ。テロかもしれない。
 キノコ雲はどんどん広がってくる。
 窓の外は見ない方がいい。目を焼かれる。カーテンも下すべきか。この研究会には科学技術に詳しい人もいるから、アドヴァイスが受けられたらいいい‥‥などと考えた。
 目が覚めても、半睡状態で、これからは家族四人でいよう、などと(私にしては殊勝な)ことを思ったような。(朝6時59分)。
 目覚めてから暫くの間(といっても十数秒だろうが)、核爆発は本当だという、「夢世界信憑」が残っていたような。
■6月2日(土)。早朝、目覚めてはまた眠りして、三連続続きの夢を見た。
 新しく始まった‥‥のものはない。そのうち、焦りが高まって、眼が覚めた。
 また眠りに落ちて、夢の続きを見た。今度は首尾よく‥‥その後、コピー室にいたような映像が思い出せるがはっきりしない。はっきりしていることは、夢の中の焦りがまたしても高まって、目を醒ましたことだった。
 また眠りに落ち、夢の続きをまた見た。今度はほとんど思い出せない。きっと前の二つの夢のように、夢が続いているうちに急速に覚醒して記憶が鮮明に残る、ということがなかったからだろう。土曜日のことで8時15分にかけていたアラームが鳴るまで、眠ってしまったのだった。
 三連続つづきの夢を見たのは、思い出せる限り初めてだ。‥‥(午前10時半)。
*註 「‥‥」など公開をはばかる部分は、「裏ブログ記事」に回しておいた。
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2018年4月27日 (金)

フッサール心理学(47):ボーヴォワールの自我体験(意識の超難問体験)の巻/夢の現象学(143):恐竜のような長い首の列車に乗って高知に行くの巻

■シモーヌ・ド・ボーヴォワールの自伝シリーズ『決算のとき』の冒頭に、深い自我体験、しかもその中核となる「意識の超難問体験」を発見したので、引用しておく。

 毎朝、私は目をひらく前にすでに私の寝台、私の部屋をそれと認める。しかし私の住居で午後に眠る場合は、目を覚ます際に子供っぽい驚きを感じることがある。いったい、私はなぜ私なのだろうか、と。私をおどろかせるのはーー子供が自分の自己同一性を自覚するときのようにーー自分が現在ここに、ある別の人生のなかにではなく、この人生のなかにいるのを見出すことなのだ。どういう偶然からそうなのだろうか。自分の人生を外から眺めるとき、私にはまず自分が生まれたことがありそうもないことに思われる。一定の精子と卵子の合体、それが私の両親そして彼らのあらゆる祖先たちのまず生誕を、ついで出会いをもたらしたのだが、それはそれぞれ何億に一つも実現する可能性はなかったのだ。また、科学の現状ではまったく予見しえない偶然によって私は女に生まれた。ついで、私の過去の各瞬間においても何千という異なる未来が可能だったと考えられる、たとえば病気にかかって学業を中断するとか、サルトルに出会わなかったとか、その他なんでもよい。この世界に投げ出されて、私はその諸法則、その偶発的諸事件に従属し、他者たちの意志、そのときどきの情勢や歴史に左右されてきた。したがって私が自分という存在の偶然性を感じるのは正当である。私に眩暈を起こさせるのは、それでいて同時にそれが正当でないことなのだ。かりに私が生まれていなかったとすれば何の問題もないはずだから、私は自分が存在するという事実から出発しなければならない。そしてもちろん、私が、かつてそうであった者の未来は、私を現在とはちがった者にすることも可能であっただろう。しかしその場合は、その別の私が自己についてせんさくすることになるわけだ。これが私だ、と自分に向かって言う者にとって、〔別の私という〕同時併存の可能性は存在しないのだ。主体とその歴史とのこの必然的な一致は、しかし私の当惑を解消するのに充分ではない。親しくてしかも遠い私の人生、それは私を定義・限定すると同時に私はその外にある。この奇妙なもの〔私の人生〕は正確にいって何なのだろうか?(『決算のとき 上』(朝吹三吉・二宮フサ/訳、紀伊国屋書店、1973), p.9(Simone de Beauvoir: Tout compte fait. Gallimard, 1972))
 ボーヴォアールといえば『第二の性』が有名だが、そんな表向きのイメージとは別の、こんな深い形而上学的な体験を記していたなんて。ますますボーヴォアールが好きになった。
 もっとも、同様の体験を出発点としているジュリアン・グリーンは読んでいたと思うが。
■2018年4月27日。夢を見た。恐竜のような長い首の列車にのって、高知に行ったのだった。首は多数の節から成っていて、ロボットの恐竜といった趣だった。
 場面が変わり、喫茶店にいた。トイレが店内にないことが分かっている。女性客が、トイレに行くのか、店を出る。続いて私も出る。店の両隣とも、店ではなく普通の民家だが、普通というより京都の紅殻格子の民家のようだ。先の女性客の姿は見当たらない。そのうち目が覚めた。
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2018年3月17日 (土)

夢の現象学(142):北極圏の街にいた夢の巻/ダライラマの花嫁の夢の巻/

■2018年3月15日。朝。北極圏の街にいた。アラスカらしい(と思ったのはひょっとして目覚めてからの推測かもしれない。夢の中で分かっていたのは北極圏だということだけ)。街中で、女の人ふたりが立ち話をしているところに、野良犬が来て、後足で立ち上がり、一方の女の人の胸に鼻先を押し付ける。明らかに、飼ってくれという意思表示だ。相手にされないとみると、二人が別れた後、もう一方の女の人の後を追い、やはり後足で立ち上がって、今度は前足を突き出して押し付けながら付いてくるのだった。そんな光景を見て、家に帰って家族に話したような‥‥

 北極圏の街にはまったく心当たりがない。数日前、家でテレビを見ていて、北欧の街でオーロラを見る話が出てきた位だろうか。野良犬の仕草も見たことがない。以前、戦後すぐの闇市にいるという、他人の人生の一コマを覗き込んだような夢を見て、『夢の現象学・入門』に載せて考察したことがあった。この夢にも、他人の人生の一コマを覗き込んだような薄気味悪さがある。

■「ダライラマの花嫁」という題がピッタリの奇想天外な夢。

 2018年3月17日。早朝。私は、次代のダライラマ何世だかを生む定めになって、現ダライラマの元を訪問することになったのだった。ダライラマの側近(?)と、もう一人日本側の代理人(?)の二人が同行していた。大きなホールのような建物に入り、ダライラマ側の側近が、その建物にいた係員(?)に、来意を告げる。私は恥ずかしかったが、これも宗教的にして政治的でもある聖なる儀式の一環なのだと自分に言い聞かせて、気を取り直した。

 前後関係がもう思い出せないが、ホールでは、最終的な筆記テストを受け、無事、次期ダライラマを産む資格が、公的に付与された。

 ホールの内部は薄暗く、ひと気がほとんどない。大きなホールの内部にさらにいくつか小規模のホールがあるという、映画館と云うかシネマックスのような構造をしていた(ということに、眼が覚めてから気付いた。)他に思い出せることはもはやないが、妙にリアルな夢だった。後で、「ダライラマの花嫁」という題がピッタリだと思いついた。それにしても、次代のダライラマを産む定めになって現ダライラマの元に行くだのと、こんな突拍子もない夢はさすがに見たことがない。目が覚めている限り、逆立ちしても出てこない奇想天外ぶりだ。ダライラマのことなど、普段は考えないので、連想しても出てくるものがないのだが。

 シネマックスに関しては、一月ほど前に、運転免許証を返上しに試験場に行った後に東京湾岸沿いのシネマックスまで足を延ばし、「The Promise君への誓い」という映画を見たことが思い出される。百年以上前の、第一次世界大戦が始まったころのオスマントルコ領で起こった、アルメニア人虐殺を題材とした映画だった。家族全員を殺された主人公のアルメニア人医学生が、「復讐したい」と呟く。それを聞いた友人が、「生き延びることが復讐になる」と答えるのが印象に残った。このやり取りが伏線となって、その後はアメリカに渡ってかの地で成功したらしい主人公が、最後は養女(やはり虐殺の中で孤児となった少女)の結婚式に、同じくアメリカに逃れてその地に根を張ったアルメニア系の一団が大勢つめかけて、祝福をしてフィナーレとなる。生き延びたのだ。

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2018年3月 5日 (月)

夢の現象学(141):高校時代のクラスメートの家を訪ねるの巻/オープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』が創刊に向けて原稿募集中

■2018年3月4日。朝。氏原君の家を訪ねる夢。氏原君とは高校時代のクラスメートで、高1の時に学内同人誌に載せた小説が文芸誌の同人誌評に取り上げられて、同世代の中では抜群の才能と激賞された人物だ。私も当時読んだが、サルトルの「嘔吐」に雰囲気が似ていて、もっと気品のある文体で描かれた短編で、率直に凄いなと思わないではいられなかった。当時は、クラスの誰しもが、遠からず若き天才作家としてデビューすることと思っていたものだ。

 早稲田の仏文に進み、早稲田文学や他にも文芸誌に2、3作載ったことを、風の便りに聞いていたが、それからは消息を聞かなくなった。数年前に、ふと気になってネット検索してみたところ、仏文科出身の銀行家として国際的に活動しているとのことだった。

 その氏原君の現在の家を訪ねたのだった。平屋で、自家用の畑があった。奥さんもいたようだ。本人の顔は、半世紀以上前に知っていた顔とは違っていたが、夢の中では気にならなかった。何を話したかは憶えていないが、「非常勤で食っている」といったことを、本人の口から聞いたか、第三者視点てそういうことにして辻褄を合せようと思ったのか分からないが、記憶に残った。そのうち目が覚めた。
■抜群の才能と激賞された天分にもかかわらず、どうして作家として大成できなかったのだろうか。そもそも、同年生まれで作家になった例というのを聞いたことがない。1年下なら、津島祐子、金井美恵子、中上健次、といるのだが。
 この3人に共通するのは何か。二人は女性である。中上健次は高卒で紀州から上京した。東京のエリート層の出身である氏原君に比べれば、三人共いわば周縁人(マージナルパーソン)といえる。そう、ちょうど大学紛争の時代で、文学でもマージナルが持て囃されていたのだ。  
 そんな、文学を評価する尺度にも非文学的なイデオロギーが介入するような、集団主義的(collectivist)な風潮が猖獗を極めた時代だったのだ。特に彼の進学先など、革命的共産主義者同盟○□派のような、(『全体主義の起源』の著者ハンナ・アーレントの名がポピュラーになった今でこそおおっぴらにこう言えるが)コテコテの全体主義(totalitarian)集団が支配していたのだから。
 彼の文章で、集団主義への真底からの嫌悪が滲み出たものが印象に残っている。きっと、時代の逆風を鋭敏にも感じ取って、文学から、というより文壇とかジャーナリズムとかいう世界から、賢明にも身を遠ざけたのかもしれない。そんなことを、眼が覚めてから考えた。
 ちなみに、高校時代はそれほど親しかったわけではない。それ以前に、今でいう「学校カースト」を当時に当てはめれば最上層にいた彼は、最下層にいた私など話しかけるのも恐れ多い存在だったのだ。
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2018年2月28日 (水)

夢の現象学(140):殆ど巨樹一本から成る鎮守の森の巻/オープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』が創刊に向けて原稿募集中

■2018年2月24日朝こ
 小さな神社の鎮守の森にいた。この森がどうやら、殆ど一本の巨樹から成っていることに気づく。真上を見上げると、真っ直ぐな幹が斜めにはるかの高みにまで達している。巨樹はまた、ふた股に分かれている。斜めになっている幹を支える他の大木があり、複雑な形状に枝分かれしているが、よく見ると、枯死しているようだ。ほかの独立した樹は、高さも幹の太さも比べ物にならない。
 茂った枝の奥が洞みたいになっていて、そこに小さな祠が鎮座している。浅間神社だ。一円玉を小さな賽銭箱に投げ入れて拝する。
 私は、合宿に行かねばならないのだった。今は12時半過ぎだから、まず昼食を取らねば。いつの間にか、京大教養部にいることになっていた(夢で何度か行ったことがある)。食堂に入ると、まだ昼食の料理が残っていて、何人か学生が食事中だ。合宿はどこに行くのだろう、と思った。他のみんなは昼食からして一緒だが、例によって私一人がはぐれている。そもそも、合宿の参加者の中に顔見知りからしてほとんどいない。
 過去の合宿でも、何度かはぐれかけた苦い思い出が浮かび上がってくる(実際は他の夢の記憶だが、この夢の中では現実の過去と言うことになっていた)。
 卒業旅行としての合宿だが、ふと、別に行かなくともいいのだ、と気づき、気が楽になった。
■「真っ直ぐな幹が斜めにはるかの高みにまで達している」という光景は、つい10日前にも行った、神明社の境内だ。実際にはアカマツで、群を抜いて高い。それなにの、他の2本の大木には幹にしめ縄が巻いてあるのに、何も巻いていない。神木扱いを受けていないのだな、等と思うことがある。
 枯死した樹は、やはり10日前に見た祖師谷の庭の海棠の樹を思い出す。
 このように、直ちに10日前の記憶が連想されてくる。
 後半の夢は、何度も見た合宿の夢のテーマの変奏だ。京大教養部の建物も、何度か反復して出てくるテーマだが、この二つのテーマの合体は珍しい。
 「行かなくともいいのだと気付き、気が楽になった」のは、このテーマとしては新たなる展開と言えるのではないだろうか。ひょっとしたら、合宿の夢は、もう見なくて済むようになるかもしれない。
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2018年2月17日 (土)

夢の現象学(139)双頭の犬の巻/『こころの科学とエピステモロジー』創刊号に向けて原稿募集中

■2018年2月14日朝
 最初の方は憶えていない。犬を連れて競走をしているような場所にいた。木立を縫った小道を、犬と一緒に競走して行くのである。私自身も参加していたか、見物のひとりだったかははっきりしない。(競走に個人でなく家族として参加しているらしい)他の家族が連れた犬は随分細いな、などと思いながら見ていると、「何か変なのが来たよ」と誰かが言う。双頭の犬が現れたのだ。
 おびえる細い犬。私は、他の家族の犬なのに、抱いてやる。
 よくみると、双頭に見えただけで、首回りに長い毛が炎のように逆立っているのだった。ドーベルマンではないが、それに近い黒くて凶暴そうな犬だった。
 「あんな警備用の犬を連れてくるなんて‥‥」と思ったか声に出して言ったか。この辺で目が覚めた。
 「」内は会話だが、自分が考えたのか、考えを声に出して言ったのか、それとも他の登場人物が言ったのか。この夢に限らず、はっきりしないことが多い。
●●●新感覚のオープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』は、創刊に向けて原稿募集中です。詳しくは下記サイト参照
エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくは上記サイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
原著論文、研究企画、翻訳(以上は査読あり)、ブックレビュー、映像メディア時評、学会・研究会参加印象記、その他随想など幅広いジャンルの投稿を期待しています。投稿は無料です。詳しくは上記サイト中「Call for Papers」の「投稿・執筆規定」をご覧ください。

2018年2月 3日 (土)

新感覚のオープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』が、創刊に向けて原稿募集中です

●●●新感覚のオープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』は、創刊に向けて原稿募集中です。詳しくは下記サイト参照
エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくはサイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
原著論文、研究企画、翻訳(以上は査読あり)、ブックレビュー、映像メディア時評、学会・研究会参加印象記、その他随想など幅広いジャンルの投稿を期待しています。投稿は無料です。詳しくはサイト内「Call for Papers」の「投稿・執筆規定」をご覧ください。

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