哲学

2019年6月30日 (日)

長門詩編Ⅸ「フランケンシュタインの乙女(マリーアントワネット救出作戦)」

長門有希詩篇Ⅷ「フランケンシュタインの乙女(覚醒篇)」から続く】_

■長門有希詩篇Ⅸ「フランケンシュタインの乙女(マリーアントワネット救出作戦)

〔アニメシリーズ『涼宮ハルヒの憂鬱』(原作 谷川流)の二次創作です。銀河の彼方から来た孤独なアンドロイド少女の長門有希が、その数奇な運命とあえかな恋をうたいあげます。今回の話は「長門有希詩篇Ⅷ」の続きなので、上記のリンクで先に読むことをお勧めします(右画像は2009年版『エンドレスエイトⅠ・Ⅱ』(京都アニメーション)の表紙より〕。

●1793年10月、パリ。夜の訪問者

「ミニヨン、あんたに会いたいというムッシュー(紳士)が来てるぜ」
 それは、パリ郊外のリュクセンブール公園にサーカス団がテントを張って、一週間目のこと。その日の出番が終わり、そろそろ宿を取っていた安ホテルに引き上げようとしていたところに、木戸番のシモンが呼びに来たのだった。
 「枕営業なら、断るように、言ったはず」
 わたしは、抑揚のない声でそっけなく答えた。
 「そ、そうじゃないみたいなんだ、ミニヨン」
 シモンは、松葉杖に寄りかかりながら、あわてたように答えた。
 元々はこの若者も、綱渡りの得意な将来有望な曲芸師だったというけれど、わたしがこのサーカス団に舞い込む少し前に、空中ブランコで失敗して片足が使い物にならなくなっていた。綱渡りも空中ブランコも事もなげにこなすわたしへの、賛嘆と憧憬のを隠さない(もっとも、賛嘆の色は、団員のほとんどの男たちの目に浮かぶところだったけれど)。
 「俺は元々がここの出だから分かるんだが、フランス人じゃないぜ、あれは。外国のお忍びの貴族か将軍ってところだが、あんたの曲芸に感服したとか言っていた」
 「わかった。会ってみる」
 付いて来ようとするシモンを手で制して、わたしはテントを出る。
 木立の間の暗がりから、うっそりと進み出る長身の人影。
 「ミニヨン殿か」
 フードを目深にかぶって顔は見えないけれど、低いが張りのある声といい、全身からにじみ出る威厳といい、シモンのいうように外国の貴族か軍人っぽい。
 「何用です」
 「すばらしい曲芸技を見せてもらった。折り入って頼みがある。あなたにしかできない困難な任務だ」
 「まず、先に名乗っていただきたい」
 「失礼した。パリではこの首に懸賞金が掛かっているゆえ、北国の将軍としか名乗らぬつもりだったが。今、あなたと少し言葉を交わしただけで、たいへん口の固い方だとわかった。命掛けになるやもしれぬ仕事。名を明かそう」
 というと、フードを取る。折から雲間から出た月の光を受け、金髪が妖しく輝く。
 彫の深い高貴で端正な顔に、わたしはヴィクトール・フランケンシュタインの面影を見た気がして、視線を吸い寄せられる。
 「スエーデンの伯爵にして、王国軍の次期元帥、フェルゼン」
 「フェルゼン‥‥」
 その名には聞き覚えがあった。囚われの王妃、マリー・アントワネットの元愛人にして、昨年の国王一家の失敗した逃亡騒ぎの陰の首謀者。一月ほど前にサーカス団がドイツからフランス領内に入っていらい、噂は団員の間にも流れ込んでいたのだった。
 「私の名を聞き及んでいられるならば話が早い。わが王妃は、このままでは早晩ギロチンにかけられる。半年前のルイ16世陛下と同じく。いそぎ、コンシェルジェリーの要塞監獄から、お救い申し上げねばならぬ。それにはミニヨン殿、あなたの超人的な曲芸わざがどうしても必要なのだ‥‥」

●魔術師アグリッパの十代目の子孫

 その夜、晩くなってから、わたしは渡された地図を頼りに、セーヌ河に面した隠れ家を訪れた。
 古びた家の前で教えられた合言葉を言うと、扉がギーッと音を立てて開く。
 内にいた、6,7名の男たちの視線が集中する。
 長身の男が進み出ると、
 「ミニヨン殿、よく来てくれた」と言った。フェルゼン伯だった。
 「紹介しよう。彼女が、話していた軽業師。齢は若いが我々の計画にはぜひとも必要な人物だ」
 「軽業師だって。いったいどういう出自の女なんだ」
 一同の中から、危ぶむような声が上がった。
 「ミニヨン殿、自己紹介を」フェルゼン伯が促す。
 「インゴルシュタットのユッキーナ・アグリッパと申す者です。ゆえあって仮の名で旅のサーカス団に身を潜めておりますが、16世紀のパリ大学教授、コルネリウス・アグリッパ博士のちょうど十代目の子孫に当たります」
 わたしは、あらかじめ考えておいた、架空の名と身元を言った。サーカスの団長はわたしを、フランクフルトのヴィルヘルム・マイスター氏の娘と思い込んでいるらしいが、裕福な商人の娘がサーカス団で超人的な技を披露するというのは、どう考えても不自然だったから。
 「おーっ」と、どよめきが上がった。
 「するとあなたは、あの伝説の大魔術師の正真正銘の末裔というわけか」フェルゼン伯が、感心したように言った。「どうりで只者ではないと思ったよ」
 「オスカル、まさかオスカルではないだろうな‥‥」
 一同の間から、ふらふらと立ち上がる人物があった。かなりの年配らしいが、フェルゼン伯に引けを取らぬ威厳があった。
 「まさかと思うが、背格好から、しゃべり方から、あの、国王の命に背いてバスチーユ広場で戦死した、不忠な娘とそっくりだ」
 「違いますよ、ジャルジェ将軍」
 フェルゼン伯が苦笑して言う。「ミニヨン殿、フードを取りたまえ」
 「おおーー」フードを取ると、一同がまたどよめく。
 「確かに、違う」とジャルジェ将軍。
 「珍しい青みがかった銀色の髪。闇夜に星を鏤めたような黒い瞳。陶器の人形のような顔。血の通った人間の少女とも思えぬ」
 遠くを見るような目になって言葉を継ぐ、老将軍。「若いころ、先王ルイ15世陛下の宮廷で、時計師ヴオーガンソンの、オートマトンとかいうゼンマイ仕掛けの人形を見たが。まるでそのオートマトンがアグリッパの魔術で息を吹き込まれたようじゃ」

 ジャルジェ将軍の連想は、まぐれにしても正鵠を射たところがあって、わたしは内心に冷や汗をかいていた。
 インゴルシュタットのフランケンシュタイン研究所から逃げ出し、サーカス団に身を隠して三か月。
 昼間は、もって生まれた身体能力を生かして屋外ステージで美技を披露しながら、夜をもっぱら、このわたしは何者かの、謎の探索に充てていた。
 お相手は、あの、気まぐれに脳内に立ちあがっては質問に囁きで答えてくれる、脳内装備型百科事典、エンセファロペディアだった。
 その言うところでは、現在の科学力ではフランケンやわたしのような人造人間を作るのは、ぜったいに無理だという。ヴィクトール・フランケンシュタインは天才的な科学者であっても、アグリッパ先生の指示通りに動いたにすぎず、人造人間誕生の秘密は、この、三百年を生きる大魔術師の神秘力にあるという。
 --神秘力って、どんな力?エンセファロペディア。
 --情報というものを操作して、元素を自在に変換する能力。人類が、あと千年の間、順調に科学力を発展させて、初めて追いつくような力。
 --そんな力をもってるなんて、それに三百年も生きているなんて。アグリッパ先生とは何者?
 --普通の人間ではないとだけしか今は言えない。それ以上のことは禁則事項。時がくればアグリッパが直接あなたに教えるでしょう。
 --そんなことまで心得ている、あなたは、エンセファロペディアのあなたは、いったい何もの?なぜ私の脳内に最初から装備されていあれたの?
 ーー禁則事項。
 ーーそんなら(と、わたしは、角度を変えて質問を続けた)、これなら答えてもらえるかしら。あのフランケンの脳内にも、あなたのような百科事典が装備されているの?
 --フランケンは試作品。エンセファロペディアは設定されていない。だから、彼がヴィクトールに語ったように、フランス人亡命者一家の納屋に隠れているあいだに、言葉を一から覚えなければならなかった。
 --では、アグリッパ先生は?普通の人間でないなら、もしかして‥‥
 --今は、アグリッパの脳内には、ない。けれども、かつてはあった。
 --かつては?
 ーーそう。この私はもともと、アグリッパの脳内に装備されていた。ミニヨン、あなたが誕生すると同時に、私はあなたへと移植されたの。あなたを完全な人造人間にするために。
 そうだったの。わたしは内心に嘆息した。だとしたら、アグリッパ先生の知性を受け継いでいるわたしは、パリ大学教授の大魔術師の十代目の子孫を名乗っても、決しておかしくはないのだった。

●要塞監獄への侵入

 フェルゼン伯たちの王妃救出の計画は、次のようなものだった。
 真夜中にわたしが、コンシエルジュリー要塞の城壁をよじ登って、北東の端にそびえるボンベック塔の窓から、牢内に侵入する。
 このルートだけが、王妃の独房に隣り合った牢番のリシャール夫妻の部屋に直結しているのだった。
 牢番夫婦に会ったら縛り上げて鍵束を奪い、まず牢番の部屋と衛兵詰所の間の扉をひらく。
 「私は衛兵詰所のすぐ外に一人で待機している。なに、当番の衛兵のジルベールもデュシエーヌも抱きこんである。もともとアントワネットさまに同情的だった者たちだからな。そして、ミニヨン、あなたを伴ってアントワネットさまの独房に入り、説得してお連れする。城壁の外では、ジャルジェ将軍を始め6名の手のものが、馬車を用意して待っている」
 「説得するのですか?」わたしは不審に思って、問うた。
 「最初は脱出を承知されない可能性もないではないのだよ。ルイ・シャルル王子、マリー・テレーズ王女の、二人の最愛の御子たちを置いて、ひとりだけ逃げるわけにはいかないと。けれども、アントワネット様が自由の身になれば、全フランスの、全ヨーロッパの王党派が勢いづくし、有利な取引にも持ち込めるというものだ。それに何と言っても、アントワネット様の処刑の日は、もう一週間後に迫っているのだよ‥‥」

 決行は、翌日の夜11時と決まった。

続きを読む "長門詩編Ⅸ「フランケンシュタインの乙女(マリーアントワネット救出作戦)」" »

2019年6月25日 (火)

夢の現象学(159)実験室を出ると九十九里浜だった夢の巻/フッサール心理学(55)鹿児島へ出張のついでに桜島に上陸の巻

■2019年6月17日(月)。早朝。ひさしぶりの夢記録。

東邦大学らしき研究室にいた。旧教養一号館の狭い研究室みたいだった。
通路を隔てて向いの実験室へ入ると、××さんが(生物学科から来た卒研生)、装置にもたれて眠っていて、いま、目覚めたばかりだった。女の子なのにこんな状態で寝ているなんて、と思った。
 ロボットがいないことに気づく。△△△(愛称で呼んでいたが今は思い出せない)がいない、△△△がいない、と声に出した。と、やはり書棚や装置の陰に、クタ~という感じで動かずにいた(今思うと、ソフトバンクの店のペッパー君ににていた)。あとは憶えていない。

 次の夢では某研究所の実験室にいた。最近仲違いしたはずのY先生とKさんが一緒にいた。Y先生はしゃべりっぱなしだった。私も、先ごろ知り合った非常に優秀な若手について話したような。他ははっきり覚えていない。

 そのうち、外に出ると、九十九里浜だった。「特殊な形の岩山があるからなるほど九十九里浜だ」、となぜか思った(岩山は、前日に日経の紙面で見たイングランド南西部の海岸風景と同じだったと、今、気づく)。広大な砂浜を、行く手の松林めざして歩いた。
 そこで目が覚めた。

 実験室の装置とは、脳波計やシールドルームなど、睡眠脳波測定用の装置のことだ。くりかえし夢に出てくるのは、私の長い研究生活のなかで、唯一、科学研究らしきことをやっていた時期で、それだけ印象が強く刻みこまれているのだろう。
 九十九里浜が出てくるのはよく分からないが、前日の新聞記事の写真の印象がPGO波の刺激でランダムに呼び出されたので、辻褄合せで県内の地理を背景にして舞台を即席でつくりあげた、という気がする。

■At the beginning of June, I visited Kagoshima, capital of the southernmost prefecture of the mainland Japan.

It was a buisiness trip to see a professor of Kagoshima university for discussion about a new publication planning.

I used Shinkansen (bullet tram) both ways. I took over 6hours one way. I was very tired. However, after one night stay at a hotel, I became fine. 11

Before going to the university, I visited Sakurajima by ferry. It was my first visit there.
Lava coast was very interesting.10

Conversation with the professor was successful. He understood the concept of the plan almost perfectly. and promissed to write about not only Sartre, but also Merleau-Ponty and Levinas. I presented him two books: "History of the science of mind" by Mioko TAKAISHI and "Manifest for Husserlian Psychology" by myself.
The former was by our responsible editor, Mr. Hayasibe. But the professor already posesses it, and have recognized my name as the commentator for the end of the book.

After having left the university, I visited the statue of OKUBO, the momument for Francis Xavier, and a grand status of SAIGO.
17 Behind the latter statue, I I found a strange rather small stone.  
On its surface, a woman's face is engraved, put white powder and red lipstick on. 
According to the commentary by the stone, this is a monument remembering the daughter of Lord SHIMAZU Yoshihiro, at the beginning of seventeen century. She was not beautiful. But she made everyone around happy with her kindness and compassion. Even today, peope visit here, and put powder and lipstick on her face of the stone. 
I was very moved. She is trully great!  

 

 

◇◇◇参考文献
・『夢の現象学・入門』渡辺恒夫著、講談社選書メチエ、2016 ◇◇◇

2019年5月 3日 (金)

長門詩篇(Ⅷ)「フランケンシュタインの乙女(覚醒篇)」

長門有希詩篇(Ⅶ)から続く>

■長門有希詩篇(Ⅷ)「フランケンシュタインの乙女(覚醒篇)」

〔アニメシリーズ『涼宮ハルヒの憂鬱』(原作 谷川流)の二次創作です。銀河の彼方から来た孤独なアンドロイド少女の長門有希が、その数奇な運命と夢とあえかな恋をうたいあげます。今回は、北高に入学して最初の夏休み中のお話です。〕

●プロローグ めざめ

 「なんて愛らしいんだ」
 誰かが遠くで話してる。白い霧の渦巻く彼方で。
 「俺が忍び込んだあの亡命フランス人の家にあった、人形そっくりだ」
 「そして、わが従妹、エリザベスの部屋にあった陶器製の人形ともな。フランス人形というものはみんな同じ顔をしているんだ。ただし、この、青みがかった銀色の短めの髪は、彼女の好みだったけどな」
 別の声が応じる。前の声がくぐもって低いのにくらべて、若々しく張りのあるこえだ。
 それにしても、誰のことを話してるのだろう。
  「ほんとうなんだな。こんな可愛い子が、俺の花嫁になってくれるのだな。怖がられ、嫌われ、たったひとりの同類もない、呪われた運命のこの俺に、もうひとりの人造人間の仲間ができるんだな。ヴィクトール、俺はあんたに誓ったように、この子を連れて人里から姿を消そう。世界の果てに行ってふたりだけで静かに暮らすのだ。ヴィクトール、いや、フランケンシュタイン博士、あなたを創造主と讃えながら」
  「私はただ、助手をつとめただけだ。本当に創造主の名にふさわしいののは、ここにいるアグリッパ先生の方だよ」
  「ゴーレムよ」第三の声が低く響く。ひどく年老いた感じの声。「このお人形さんがほんとうにお前の花嫁になるかは、お前しだいだ。能力はお前に劣らぬとはいえ、魂は見かけ通りに繊細で感じやすい。」
 「アグリッパ先生、ゴーレムというのはやめてくれ。そうだ、ヴィクトール、この子を何て呼べばいいんだ」
 「エリザベスはお気に入りの人形を、ミニヨンと呼んでいた。それがいい」
 「ミニヨン?」とアグリッパ先生の声。「それは男の子の名ではないかね」
 「彼女は、以前から、ワイマールの詩人ゲーテと文通していたのですよ。で、そのゲーテが書いている長編小説のヒロインの名がミニヨンというのだといって、気に入って、自分の人形の名にしたらしいのですね。」
 「ミニヨン、ミニヨン、なんてステキな響きの名なんだ。そうだ、ヴィクトール、アグリッパ先生、この俺にも、もっとちゃんとした名を付けてくれ。ゴーレムなんかでなくって‥‥」
 「フランケンというのはどうじゃね。お前の創造主ヴィクトール・フランケンシュタインの一族の名から取って」と、アグリッパ先生。
 「フランケン。気に入った。フランケンとミニヨンで、新しい種族のアダムとイヴになるんだ!」
 「シーッ、この子がめざめる」

 白い霧が晴れた。
 三つの顔が覗きこんでいる。
 真ん中には、若々しくて彫の深い、知性的な顔。深い紺碧の両の瞳に、人形めいた顔が小さく映っている。青みがかった銀色の短めの髪。黒い瞳。わたしだ、と一目で直覚した。
 同時に、わたしは魅了された。わたし自身を映し出す紺碧の瞳に。瞳の持ち主の青年、ヴィクトールに。
 「目を開いたぞ。黒い瞳。夜空に星を散らしたような。なんて神秘的なんだ‥‥」
 くぐもった野太い声がした。ヴィクトールの右側から覗きこんでいるのは、巨大な顔だった。
 そのとき受けた印象を、今、正確に述べるのは難しい。
 一言でいえば、不調和だった。
 目、口、鼻と、ひとつひとつは整っている。それなのに全体の印象は、デタラメに組み合わせた、といったものだった。おまけに、額から頬の片側にかけて、大きな縫い目が走っている。
 「待て、ゴーレム、いや、フランケン。怖がらせてはいかん」
 声とともに、左隣から覗きこんだのが、アグリッパ先生だろう。
 白いもじゃもじゃの髪と白い髭。落ち窪んだ眼窩の奥から、底知れない叡智を秘めた灰色の瞳が、こちらを見据えている。たいへんな高齢らしい。 
  なぜかわたしには、このアグリッパ先生を知っている、という気がした。
 同時に、ここに居るはずのない人、居てはいけない人、という気もした。
 なぜなの、この人の何を知ってるの?
 記憶のなかをまさぐっていると、突然、
 ーー脳内装備型百科事典、エンセファロペディア起動しますーー
 耳の奥に囁く声があった。続いて声が次のような情報を告げる。
 ーーコルネリウス・アグリッパ(1486-1535)。ルネサンス期ドイツの魔術師、人文主義者、神学者、法律家、軍人、医師。--
 1535年に死んでる?では、今は何年?
 --1793年ーー
 エンセファロペディアが即座に答える。
 するとこのアグリッパ先生は、300歳を超えてる。

 わたしは混乱した。それに、この脳内装備型百科事典ってなに?なぜこんなものが頭のなかで囁くの?
 答えを探したが、エンセファロペディアは沈黙してしまっていた。

 「ミニヨン、起きられるか?」
 ヴィクトールがベッドの横に回り、わたしの背に手を当てて上体を起こす。
 しだいに部屋の様子が分かってくる。
 部屋は円筒型をしていて、ちょうど真ん中にわたしの寝ていたベットがある。
 壁全体が、雑多な計器類や太いパイプで覆い尽くされている。天井にもパイプがのたうっている。
 そこから何十本もの管が下りてきて、ベッドを囲んでいる。
 床には血の付いたガーゼが散乱し、それらの管が、ついさっきまでわたしの体につながれていたことを示していた。

 改めて、わたしはこの実験室で作り出された、人造人間なんだと実感する。
 「ミニヨン、立てるか。ベッドから降りて自分の足で立ってごらん」
 差し出されたヴィクトールの腕につかまって、ベッドからソロソロと降りる。
 足を床に向かって伸ばす。長い白い布が足首まで隠しているのが見える。
 と、足先に履物が差し出される。大きな手。フランケンだ。巨体に似合わず、細やかな心遣いができるらしい。
 なぜか、警戒の念が胸に萌す。

 散らかった床を踏みしめて、今やわたしは三人に向かい合って立っていた。
 ひときわ圧倒されるのは、右側のフランケンの巨体だ。何センチあるのかしら。
 即座にエンセファロペディアが答える。
 ーー246センチ。
 正面のヴィクトールは?
 ーー188センチ。通常の男性としては高い方。
 左側のアグリッパ先生は?
 ーー170センチ。加齢で前かがみになっているせいもある。
 では、わたしは?
 ーー178センチ。女性としてはかなり高い。

 「なんて可愛いんだ、本当に人形そっくりだ。ミニヨン、俺の花嫁!」
 フランケンが、大きな声を轟かせながら接近する。
 「まて、フランケン、怖がらせてはいかん!」
 アグリッパ先生の制止を無視して、わたしの肩をつかむ。反射的にのがれようとしたけれど、物凄い力に動けない。
 「アーアウ、アウ」
 嫌ですと言ったつもりが、声にならない。
 「どうやら会話機能に障害があるようじゃ」と、アグリッパ先生。
 「そんなはずは。フランケンと同じ仕様なのに」と、ヴィクトールの声。
 巨大な恐ろしい形相が近づく。
 口づけするつもりだ、この怪物は‥‥

 わたしは、ありったけの悲鳴を上げる。
 「キャアアアアアアアアア」
 思いっきり怪物のぶ厚い胸を突き飛ばす。
 次の瞬間、信じられないことが起こった。
 「グアーッ」
 物凄い叫びと共にフランケンの巨体が吹っ飛び、向かい側の壁にぶつかると、背から半分めり込んでしまったのだ。
 「ミニヨン、何てことを、なんて凄い力だ!」
 「これは想定以上のパワーじゃわい!」
 「う、うう~、ミニヨン、ミニヨン!」

 怒り狂ったフランケンの声を後に、わたしは反対側の出入口に突進した。
 鍵がかかっていたが、ひと蹴りするとドアは紙細工のように破れた。
 建物の外はすぐ、崖になっている。
 夜明けの薄闇を通して、はるか下に道路がうねうねと続いている。
 その道路を、馬車の列がノロノロと進んでいく。
 四頭立ての大型の馬車が合計5台。ジプシーかしら。
 そうだ、あの馬車のなかに匿ってもらおう。
 わたしは、今いる崖の端から先頭の馬車の屋根からまでの距離を目測する。
 即座にエンセファロペディアが立ち上がって、耳の中で囁く。
 ーー垂直距離70メートル。水平距離30メートル。あなたの運動能力からして、ひとっ跳びも可能。
 
 わたしはためらわず、身を断崖から躍らせた。
 「ミニヨン、俺の花嫁、ミニヨ~ン」というフランケンの、怒りの中にどこか悲しみの混じった叫びを後にして。
   

続きを読む "長門詩篇(Ⅷ)「フランケンシュタインの乙女(覚醒篇)」" »

2019年4月23日 (火)

夢の現象学(158):ノートルダム大聖堂火災の翌朝に見た火事の夢の巻

■2019年4月17日(水)。明け方、鮮明な夢を見た。
 家の二階にいた。どこの家かはわからない。和室が二つ並んでいて、兄もいたようだったので、中学のころに住んでいた下高井戸の家かもしれない。
 とにかく二階から、かなりの低空を巨大な旅客機が飛ぶのが見えた。
 「千葉は空港に近いからな」などと考えた(実際、千葉に住んでいると、飛行機が低く飛ぶ)。少しすると、さっきの飛行機(同一?)が、さらに低く、ほとんど家並に突っ込まんばかりの低さで、巨大な姿をあらわしたかと思うと、家並の蔭に消えた。
 ほどなくして、火の手が上がった。火事だ。たぶん、さっきの飛行機が墜落したのだろう。炎はたちまち赤々と燃え広がった。
 窓から首を出してみると、隣家が燃え始めている。いけない。私はまず、窓の戸のうち、紙障子を取り外した。兄が階下から上がってきて手伝ったような気もするが、ハッキリしない。眼前いっぱいに炎が赤々と輝いていた。そのうち目が醒めた。

 目をひらくと、つけっぱなしの枕元の蛍光スタンドが正面から目に入った。輝く炎の刺激源はこれかもしれない。そのうち、昨夜テレビニュースで見た、たいへんな光景を思い出した。パリのノートルダム大聖堂が炎に包まれている。‥‥

 蛍光スタンドを付けっぱなしで寝ることはよくあったが、だからといって火事の夢になったわけではない。やはり、目蓋を通してくる光を火事の炎として解釈したのは、昨夜のニュースの記憶があったからだろう。
 それにしても、ノートルダム寺院が火災だなんて、ショッキングなニュースだった。訪れたのはもう40年前になるが、個人的な記憶以外にも、日本文学では高村光太郎、森有正の作品を通じて、そしてなによりユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』を通じて、フランス文化の象徴として親しんできたのに。いや、ヨーロッパ文化への憧れの象徴でもあったというのに。
 私個人の教養の原点でもあるヨーロッパ文化が滅んでゆく‥‥。何ともいえない喪失感に襲われている。

◇◇◇参考文献『夢の現象学・入門』(渡辺恒夫、講談社選書メチエ、2016)◇◇◇


 

2019年4月 5日 (金)

ハルヒ神学vs.長門神学(5):「宇宙人三人娘の合唱」をAI(Orpheus)で作曲したの巻/フッサール心理学(54):『人文死生学宣言』書評出るの巻

■AI自動作曲に挑戦するの巻

 長門詩篇第Ⅱ話(銀河の彼方に帰りたい、帰れない)で、「宇宙人三人娘の合唱」という歌を作詞して以来、これにホンモノの曲を付けて、長門有希ら宇宙人三人娘の声で歌わせたいと思うようになりました。
 まず考えたのは、知り合いの作曲家に依頼すること。
 ところが作曲家で知り合いと言えば、渡辺宙明先生しか知りません。けれども、偉すぎるし、御年90歳を超えている筈なので、とても依頼はできません(正直言えば、某学会で3~40年越しの知り合いなのですが、そんな偉い作曲家とは知らずに、その学会の事務局長としてお付き合いを続けていたのでした)。
 転機は、AIの勉強をしようかと何気なく立ち読みした本で、AI自動作曲システムというものが開発されていると知ったこと。さっそく、そのシステムOrpheusにエントリーして、「宇宙人三人娘の合唱」を自動作曲して貰おうとしてのですが、作曲未経験の私には、楽器の種類を含め色々とよく分からぬ設定が多いし、詞も長過ぎたりしてうまく曲として収まらず、技術点で低迷を続けてしまい、試行錯誤に明け暮れました。
 それでも、なんとか20回目の作曲で、公開可能な最低限の技術点1.0に達し、公開までこぎつけました。

 それが、「宇宙人三人娘の合唱」(fantasutiquelabo作)です。

 参考までに、歌詞を掲げておきます(長門詩篇第Ⅱ話の原詩とは作曲の都合で少し変わっています。なお、右側の長門有希画像は、『涼宮ハルヒの憂鬱3』(谷川流原作、ツガノガク画、角川書店)の表紙絵からとりました)。

 わがふるさとは銀河の彼方
 光果てて光生まれるところ04713885
 エックス線星ほがらに歌い
 超新星は紫に輝く

 遥か渦状銀河団つどい
 ブラックホール音なく崩壊
 重力生まれまた果てるところ
 銀河の彼方に帰りたい、帰れない

 さよならもいわずわたしは来た
 銀河の最果てのこの星に
 砂から作られたこのからだで
 この惑星の有機体に宿る

 生命と知性とを観測するために
 役目が終われば砂になる
 異郷の星の砂になる、塵になる
 銀河の彼方に帰りたい、帰れない

 わがふるさとは銀河の彼方
 銀河の彼方に帰りたい、帰れない
 銀河の彼方に帰りたい、帰れない
 銀河の彼方に帰りたい、帰れない

 合唱と言っても二重唱までの機能しかないので、女性アニメ声、女性普通声、女性オペラ歌手の三種類の声を、パートによって適当に使い分けました。長門の声(Cv茅原実里さん)は、アニメ声といっても低めに抑揚を抑えた独特の声なので、ちょっと違うような気がするのですが、三種類の女声を適当に三人の宇宙人娘に割り振って貰うことにしました。
 できあがったの曲を聞くと、長門有希という宇宙人製有機アンドロイドにそこはかとなく漂うはかなさと悲哀感も出ていて、処女作にしてはマアマアの出来栄えかな、と思いました。要するにAIが優れているということなのですが。

■フッサール心理学(54):下記の『人文死生学宣言』(2017)が『週刊エコノミスト』3/26号の「読書日記」(p.55)で取り上げられています。

 筆者の高部知子さんには、1月に東大駒場のPPP研究会で顔を合わせた際にこの本について紹介したところ、エコノミスト誌のコラムで取り上げると言っていられたので、約束を果たしていただいたというわけです。

 研究会には、僧侶で精神保健福祉士という珍しい組み合せの肩書で来られたので、2~30年前にタレントとして有名だったあの高部知子さんだとは、その場では気づきませんでした。

●●●『人文死生学宣言:私の死の謎』(渡辺恒夫・三浦俊彦・新山喜嗣/編、春秋社、2017)好評発売中●●●

 

 

2019年3月21日 (木)

電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』創刊のお知らせ/夢の現象学(157):ウルムウルムと鳴きながら転げまわる何ものかの巻

■2019年3月15日。新感覚のオープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』が創刊されました。

主要記事

 翻訳 ウィリアム・シュテルン著「心的な現前時間」(村田憲郎訳)
 書評特集『心の科学史』(高橋澪子著、講談社学術文庫)
 随想 中込照明「人文死生学宣言:ロボットの私とモナドの私」
 メディア映像時評 特集『涼宮ハルヒの憂鬱』三浦俊彦・遠藤侑・山本茉輝「「エンドレスエイト」理解へのループ的メタレポート」

 その他、エディトリアル(脳の生態学)、原著論文(ゲシュタルト心理学と現象学)、最新研究事情紹介(脳における行動決定機序のサーベイ)、書評(ノンフィクション、フィクション)、研究会報告、等々と盛りだくさんで、100頁超という大冊になっています。特に、メディア映像時評の記事には、本ブログでもヒロイン化している長門有希のオモシロ画像もあしらって、アカデミックな本誌に華を添えることができたのは、有難いことでした。

■夢の現象学(157) 2019年3月15日。久しぶりの夢日記。

 何やらLGBT的な存在の一人として、カモフラージュ結婚をする予定となっていた。相手は某大学某学科の若手女性教員ということになっていた。
 新婚旅行は海外で、パミル高原だかそのあたり、つまりアジア大陸の最深部、というプランを練っていた。
 その地域には、ウルム、ウルムと鳴きながら、草花の間を転げまわる、生物だかメカ的存在だかが多数生息していた。転げまわると、草花のタネがいっぱい付く。それが、その存在の摂食行動であり、同時に繁殖行動なのだった。
 その存在も、そうやって転げまわっているうちに、やがて割れて草原の一部と化すのだった。
 --といった光景を、旅行のプランを練る段階で、現場の光景をありありと思い浮かべるという仕方で、事前の知識として知っていたのだった。
 アジア大陸の最深部というのは、冒険の行き先として今までの夢にもよく出てきていた。「生物だかメカ的存在だか」とは、本ブログで「詩篇」の語り手に擬している長門有希にしてもそうだけれど、長門がアニメの中で読んでいたという『膚の下』などの、アンドロイドの出てくる物語に親しんでいる影響かもしれない。
◇◇◇参考文献『夢の現象学・入門』(渡辺恒夫、講談社選書メチエ、2016)◇◇◇

2019年2月18日 (月)

長門詩篇Ⅶ「ミニヨンの物語、そして謎の吟遊詩人」

長門有希詩篇Ⅵから続く>

 

■長門有希詩篇Ⅶ「ミニヨンの物語、そして謎の吟遊詩人」

〔紹介 アニメとラノベでヒットした『涼宮ハルヒの憂鬱』(原作:谷川流)の二次創作です。北高一年生の文芸部員で、その正体は銀河を統括する情報統合思念体が送り込んだ対人コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの長門有希が、運命と夢とあえかな恋とを歌い上げます。前回は、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(ゲーテ)に読みふけっているうちに眠ってしまい、夢を見始めたところで終わっています。〕

 

●サーカスの少女ミニヨンの回想

 いつ、どこで生まれたかも分からない
 父と母の顔も名も知らない。
 自分のほんとうの名前さえ知らない。
 気がついたら旅回りのサーカス団にいて、ミニヨンという名で呼ばれていた。

 微かに、夢のように思い出せることは、
イタリアのどこか、湖の畔に住んでいたこと。
 レモンの花が咲き、暗い木陰には黄金色のオレンジが燃えていた。
 青い空からやわらかい風がそよいでいた。
 ミルテは静かに、月桂樹は高くそびえていた。

 あたしが暮らしていたのは、湖畔の漁師の家だった。
 母親が近くの町に住んでいたけど、めったに会わせて貰えなかった。
 母親は罪深い女で、お前は罪の子だからということだった。
 侯爵家の次男坊の修道僧と通じて生まれたのがお前だから、ということだった。
 
その父親は山の彼方の修道院に、今も囚人のようにして生きているというのだった。

 漁師の夫婦は親切だったけど、村の子どもたちはあたしを見ると、罪の子、罪の子、と言って石を投げて来た。
 青みがかった銀色という風変わりな髪の色、そして人形のような表情のない顔が、罪の印だというのだった。
 あたしは子どもたちを避けて、湖岸を回って反対側に建つ大きな家の玄関先で過ごすようになった。
 円柱と円柱の間から奥をのぞくと、広間はかがやき、いくつもある小部屋がきらめいていた。
 円柱に刻まれている男女一対の大理石の像を、あたしは、聖母マリア様の像とまだ見ぬお父様の像だとひとり決めしていた。
 向かい合っていると大理石の像たちは、「かわいそうな子、どんな目に遭ったの」と、問いかけてくるのだった。

 そんなある日の夕方。いつものように円柱の像とことばを交わしていると、背後に近づく乱れた靴音があった。
 振り返ると、数人の男たちが迫っていた。逃げる間もなく、頭から布をかぶせられ、抱えられて連れ去られた。
 近くに待機していたらしい馬車に積み込まれると、布が取り去られ、何人もの髭面がのぞき込んだ。
「まちがいない、この子だ。噂に聞いた通りのミニヨンだ」
「青みがかった銀色の髪、大きな黒い瞳。こんな子、見たことないぜ。どれだけの値段になるか見当もつかないくらいだァ」
「こりゃ、あのサーカスの親分が喜ぶぜ。一座の看板の舞姫を育てたいと言ってたからな」
 馬車は夜通し走り、(後で知ったのだけれど)フランスの国境に近い町はずれで、サーカスの一座に引き渡された。
 親方はフランス人らしく、あたしの顔を見ると、
「ミニヨン、ミニヨン」と叫んで狂喜した。
 これも後で知ったけれど、ミニヨンとはフランス語で可愛い子ちゃん、という意味だった。

 こうしてあたしは、本当の名前も忘れ果て、ミニヨンと呼ばれて旅回りのサーカス団の中で育てられることになった。

 四頭立ての馬車を4台も5台も連ねた、大きなサーカス団たった。
 30人ほどの団員は、イタリア人フランス人スペイン人とさまざまだった。あたしのように、幼くして売られてきた子ども達も何人かいた。
 サーカス団での待遇は悪くはなかった。
 ミニヨン、ミニヨンと言って可愛がって貰えたし、
 早くから歌と踊りと玉乗りを教え込まれたけど、
 同じ年頃の子ども達がやらされているような危険な軽業は、顔に傷が付くからという理由で免除された。
 水仕事や馬の世話など、手の荒れる雑用も免除された。

「俺はお前を、一座の花形の舞姫に育てあげたいんだ」
 親方は、舞台で華やかに踊っている看板の踊り子に目を注ぎながら、少し声をひそめ気味にして言うのだった。
「あの、フィリーナを見なよ。申し分なく美人で愛嬌もあれば歌も踊りもうまい。玉乗りだって達者だし綱渡りもできる。けど、何かが足りないんだ」
 そしてあたしに目を向けて、言葉を継いだ。
「お前をひとめ見て、それが分かった。あの娘には品格がないんだ。お前にはそれがある。侯爵家の姫君にしてもおかしくないほどの気品というものがな。ミニヨン、あと5年もすればお前は女になる。パーッと花がひらくようにな。そうなったらこのサーカス団も、世界一になるってエもんだ。なにしろ、落ちぶれてサーカスに身を売った侯爵家の姫君が歌って踊って玉乗りをするんだからな」

●「男爵」の魔手は逃れたけれど「自動人形」へ格下げされて‥‥

 5年が過ぎた。
 あたしは歌も踊りも上手になった。背も伸びた。
 フィリーナがあたしを脅威と感じ始めていることが、何となく分かった。
その間にもサーカス団はフランスの南部をめぐり、スペインに入り、またフランスに引き返してパリに暫くとどまって、次はドイツを目指すということだった。
 ドイツとの国境に近い、天を突くように高い大聖堂のある町で興行をしていた時のこと。
 舞台で踊るあたしを、連日、かぶり付きで舐め回すように見ている男の人がいた。何となくお忍びの貴族らしい気がした。
 ある日、親方はあたしを呼んで、言った。
「聞いて喜べ。男爵様の目に留まったぞ。お前もいよいよ女になるんだ。ちょうどおとつい、初めての月のものがあったと、ジェリーに聞いたしな」
 不安げなまなざしを向けるあたしに、親方は畳みかけた。
「手付金は貰ってる。だから、お館に行って渡された金はみんなお前のものになるんだ。自分の財産ができるんだぞ。フィリーナだってそうやって相当貯めこんでやがる。それで自分を身請けして、パリでつかまえた男といっしょになって商売を始める算段らしいがな」

 何も分からないまま、夜になって迎えにきた馬車に乗せられて、館に連れていかれた。
 かがり火に浮かび上がった玄関の円柱の彫刻は、記憶にある湖畔の家を思い起こさせた。
 けれども、寝室に連れていかれ、入ってきた「男爵」に着衣を剥がれそうになると、羞恥と恐怖と嫌悪がいっぺんに襲ってきた。
「嫌です、やめて下さい!」
「なにをいうんだ、この玉乗り娘が。いくら払ったというんだ」
 あたしは力任せに押さえつけてくる腕に噛みついた。
「イタタ、この淫売っ子が離せ!」
 腕をねじ上げられた。目が回った。手足が勝手に動き、痙攣した。口から泡を吹いた。
 ひきつけを起こしたのだった。
 慌てて男爵は人を呼んだ。

「お前はまだ、女になっていなかったのだよ」
 医者を帰すと、男爵は言った。「あのサーカスの団長め。いい加減なことを言いおって」
 そして、金貨の入った小さ目の袋を渡して言葉を継いだ。
「約束のお金の4分の1だけ渡しておくよ。あと一年たてばお前は確実に女になる。そうしたらまた迎えを出す。なんといっても私はお前を気に入ってるんだからな。青みがかった銀色の珍しい髪の色、黒い大きな瞳、陶器の人形のような整った顔。あのルネ・デカルトの有名なフランシーヌ人形もかくや、ていうものだ」

 男爵の予言は実現しなかった。
 月のものはそれっきり止まってしまった。
 膨らみかけた胸も、それ以上大きくならなかった。
 背丈は少し伸びたが、それがかえって、少女というより少年っぽい感じを与えるようになった。
 団員の同じ年頃の少女たちが日増しに女らしくなっていくのに引き比べ、あたしはいつまでたってもちょっと開きかけた蕾のままだった。

 親方の落胆と怒りはたいへんなものだった。
「いったい何時になったら女になるんだ、エエッ? お前にいくらはたいたと思ってるんだよ!」
 そのうちに抜け目のない親方は、あたしの新しい売り込み方を思いついたらしかった。
 髪を短く切られ、少年の服装をさせられた。
 エッグダンスという、少年のやる踊りを覚えさせられた。
 これまた少年が習うものとされていたギターの練習も命じられた。
 そのうちに、しばらくパリに戻ったかと思うと帰ってきて、奇妙なことを言い出した。
「パリじゃ、ヴォ―カンソンっていう時計師が大評判だ。背中のネジを巻いただけで、ぜんまい仕掛けで踊ったり笛とかギターを演奏したりの人形を作ってな。オートマトンって言うらしいんだが。妙ちきりんなこったが、ヴォーカンソンの自動人形〔オートマトン〕はみんな男の子なんだ」
 そして、あたしにチラッと目をやって、周囲に言うのだった。「このミニヨンそっくりの自動人形もあったぞ。それで思いついたんだが、背中に大きなネジのついた服を作ってこいつに着せろ。それでギターを弾きながら踊らせるんだ。わがサーカスの看板オートマトン、ミニヨン少年のギターと踊りでござ~い、てなわけでな」
 団長の思いつきは実行された。

●運命の人との出会い

 サーカス団がドイツに入って二年目のこと。
 その年の冬は経験したことのないような厳しいものになった。
 ストーヴの傍にいても、体のふるえがとまらなかった。
 あたしは風邪をこじらせて、春になっても小さな咳をいつもするようになった。
 イタリアへ行きたい、帰りたい、と心から思った。
 故郷の町がどこかも分からない。
 両親の顔も名も知らない。
 それどころか自分の本当の名も知らない。
 それでも、思い出の中の湖畔の風景は忘れることがなかった。
 レモンの花が咲き、暗い木陰には黄金色のオレンジが燃えていた。
 青い空からやわらかい風がそよいでいた。
 ミルテは静かに、月桂樹は高くそびえていた。
 行きたい、帰りたい、南の国へ。
 想いはつのった。

 サーカス団から脱走してでもイタリアをめざしたかった。
 南の地平に白い壁のように聳えるアルプスを越えてでも。
 おそろしい山賊や人さらいの噂が絶えることがなく、
単身向かっても、もっとひどい境遇に沈められることは火を見るよりあきらかだったけど。

M0485_main_2

 

 

 やがてサーカス団は南ドイツの大きな町についた。
 そこで一週間ほど興行を打つということだった。

 その町でのことだった。
 運命の人、ヴィルヘルム・マイスターさんと出会ったのは。

【図は手塚治虫作「ミニヨン」(1957)より、南ドイツの町で踊るミニヨン。『手塚治虫マンガ文学館』(ちくま文庫、2001, p.86

 

 

 

続きを読む "長門詩篇Ⅶ「ミニヨンの物語、そして謎の吟遊詩人」" »

2019年2月15日 (金)

長門詩篇Ⅵ「また図書館に。あるいはサーカスの少女ミニヨンの歌」

長門有希詩篇Ⅴから続く>

■長門有希詩篇Ⅵ「また図書館に。あるいはサーカスの少女ミニヨンの歌」

〔紹介 アニメとラノベでヒットした『涼宮ハルヒの憂鬱』(原作:谷川流)の二次創作です。北高一年生の文芸部員、正体は銀河の彼方から送り込まれた生体アンドロイドである長門有希が、その孤独な運命と夢と読書の歓びとあえかな恋心を歌い上げます。今回は北高に入学して二か月目ごろのお話です。〕

 ある日の授業風景、現国

わたし、銀河を統括する情報統合思念体に送り込まれた対人コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースである長門有希が、教室でどんなかということは、クラスが違うので涼宮ハルヒらSOS団のメンバーにはあまり知られてはいない。

まだ眼鏡っ娘だった頃の、ある日の授業風景から始めよう。

その日は、現国の時間が始まる1分前になると、教頭先生が見慣れぬ若い女の先生を連れて教室に入ってきた。
 そして、担当の先生が予定より早く産休に入ったので、急遽、現国は今日からしばらくの間、3月に関西学院大学を卒業したばかりの森先生に担当していただくと言って、出て行った。

新しい先生は、「森園生」と黒板に自分の名を大書すると、教育実習でなく本当に教えるのは今日は初めてですけど、頑張りますのでよろしくお願いします、と頭を下げた。

余計なおしゃべりはしそうもない代わりに、にこやかな笑みを絶やさない、芯の強そうな美人の先生だった。男子生徒が嬉しそうな顔をしているのが分かる。

わたしには、この名前にも顔にも、見覚えがある気がしたが、はっきり思い出せなかった。
 三年前の七夕の夜に、三年後の異時間同位体の“わたし”と同期して得た未来の記憶は、その後の2年8か月にもわたる休眠期によって、細部が失われてしまっていたから。
 その方がいい。未来のことなど知らない方がよいのだから。

「今日は、田代先生からの引継ぎで、35頁の近代詩のところからです」
   指示に従って生徒たちが、ガサガサと教科書をめくる。

「ミニヨンの歌」と大きくあって、横に「ゲーテ作、SSS訳」とある。
   頁の下部に、「明治22年発表。SSSは新体詩の運動を始めた新声社の略で、実際の訳は森鴎外の妹、小金井喜美子とも、鴎外その人だとも言われている」と、細かい文字で註が付いていた。

「明治の訳詩かァ、つまんなさそう‥‥」後の席で女生徒が、小声でつぶやくのが聞こえる。
 「どうせなら尾崎豊にでもすればよかったのに」と、ジャズやロックの歴史に詳しいことが自慢の男子生徒の声。
 じっさい、頁の上の詩は、わたしの脳内装備型日本語変換辞書にもなじみのない文語調で書かれていて、高校生が親しめるものではなさそうだった。

「まず、私が読みます」といって森先生は、涼やかな声で三連からなる詩を、よどみなく読み上げた。

「このミニヨンの歌は、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』という長い小説に出てくる詩です。
 舞台は十八世紀のドイツで、ミニヨンは幼い時にさらわれてサーカス団に売られた可哀そうな少女です。
 親方に鞭で打たれて苛められているところを、主人公のヴィルヘルムという青年が救い出し、お金を出してサーカス団から解放してあげます。
 お礼にミニヨンがヴィルヘルムに歌って聞かせたのがこの詩で、思い出の中の故郷イタリアのことを歌って、ウィルヘルムに一緒に行きたいと誘うのが、全体の意味です。
 最後の「行かまし」というのは、「行きたいの」という、願望の意味ですね」

「くっさー。サーカスに売られて苛められる少女だって。大昔の少女漫画まんまじゃん」と、背後で小さく別の女子生徒の声。
 「大正ロマン、てところね」と、少女マンガ通を自認するまた別の女子生徒が応じる。

森先生が続ける。
 「この詩は名訳ですけど、古すぎで皆さんにはすぐに良さは分からないと思います。もっと新しい良い訳が出ているので、皆さんに読んでもらうことにします。」
 そう言うと、コピーを取り出し、配り始めた。
 行きわたったところを見計らって、座席表を眺め、なぜかわたしの方を見て、言った。
 「長門有希さん、いま配った新しい訳を読んで下さい」

教室が一瞬、ざわついた。
 わたしは構わずコピーを持って立ち、読み始めた。

 ●「君よ知るや南の国――」の朗読で文学少女長門有希のイメージが定着する

 〔ミニヨンの歌〕

君よ知るや南の国。レモンの花咲き、
 暗き木陰に、黄金なすオレンジ燃え、
 青き空より、やわらかき風のそよぎ、
   ミルテ静かに、月桂樹[ローレル]は高くそびゆる。
   君よ知るや、かの国を。
         かなたへ、かなたへ、
   おお、いとしき人よ、君と共に行かまし。

君よ知るやかの家を、円柱[まるばしら]に屋根は安らい、
   広間はかがやき、小部屋はきらめく。
   大理石[マーブル]の像たちは、我[あ]に問いかく、
   哀れなる子よ、いかなる目に遭いしかと。
 君よ知るや、かの家を
   かなたへ、かなたへ、
 おお、我[あ]を護[も]る人よ、君と共に行かまし。

君よ知るやかの山、雲の通い路を。
 霧のなかに、驢馬は道を求め、
 ほこらには、年老いし竜の住み、
 岩はそびえ、滝はあふれ下る。
 君よ知るや、かの山を。
   かなたへ、かなたへ、
 おお、父よ、われらが道を、ともに行かまし。


 読み終わると、不思議な沈黙が教室を支配した。
 わたしは着席してよいか、指示を待って森先生を見る。
 夢を見ているような顔をしていたが、我に返ったように先生は言った。
 「素晴らしい読みでした、長門さん。まるでミニヨンが乗り移ったみたいよ!」
 そして、パチパチと手を叩いた。
 拍子がパラパラと生徒たちの間にも起こり、やがて全員に広がった。「さすが文芸部員」といった声も上がった。

どうして。普通に感情を交えずに、淡々と読んだつもりだったのに。わたしは席に座りながら思った。
 すると、おしゃべりな脳内装備型日本語変換辞書が、勝手に立ち上がって囁いた。

 ――嘘。あなたは途中から、図書館のことを思い出していたの。
  この前の日曜に、初めてのSOS団野外活動で“彼”に連れられて行った図書館のことを。
  あの時あなたは、まるで夢遊病患者のようなステップでふらふらと本棚に向かって歩き出した。
  そして厚い哲学書を手に取ると、三時間もの間、その場で立ったまま読みふけった。
  しまいに“彼”が来て、涼宮ハルヒが集合時間がとっくに過ぎていると電話で怒りまくっているので、早く駅前に戻らなければならないと促した。

Nagatokyon_toshokan あなたは、床に根が生えたように動かなかった。
  仕方なく“彼”は、カウンターに行ってあなたの貸し出しカードを作ってもらい、読んでいる本を借りてあげた。
  その図書館のことをあなたは思い出していたの。
  「南の国」も「かの家」もあなたの中では図書館で、「君」も“彼”のことだったのに――

勝手な解釈しないでよ。わたしは脳内辞書を黙らせた。

でも、この日から、クラスでのわたしへの風向きが、微妙に変化したのは確かだった。
 何人か、文芸部に入部したいと言ってきた男子生徒がいた。
 やや緊張気味に、憧れるようなまなざしを向けて。
 わたしは「今は募集していない」と素っ気なく答えた。
 文芸部室はすっかりSOS団の巣窟になっていて、放課後になるとハルヒが朝比奈みくるにコスプレを演じさせようと大騒ぎしていたから

にべもなく断られても何人かの男子生徒は、憧れるようなまなざしを向け続けた。
 どうやら、「眼鏡キャラ、無口キャラ、神秘的な無表情系」というミステリアスな文学少女のイメージが、定着したようだった。

でも、そののち1,2週間で大きな出来事が次々に起こり、眼鏡は失くすわで、そんなことは念頭からなくなってしまった。

 

続きを読む "長門詩篇Ⅵ「また図書館に。あるいはサーカスの少女ミニヨンの歌」" »

2019年1月20日 (日)

長門詩篇Ⅴ「パンドーラの歌」

〔紹介 アニメとラノベでヒットした『涼宮ハルヒの憂鬱』(原作:谷川流)の二次創作です。北高一年生の文芸部員で、その正体は銀河を統括する情報統合思念体が送り込んだ対人コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの長門有希が、運命と夢とあえかな恋とを歌い上げます。〕

長門有希詩篇Ⅳから続く>

■長門有希詩篇Ⅴ「パンドーラの歌」

  どこか知らない、乾いた大地を旅していた。
 白茶けた岩山と岩山の合間に緑の草地がところどころに拡がり、羊や牛がのどかに草を食んでいた。
 遠く、青い水平線が望まれることもあった。
 少し広い牧草地と岩山の間には、たいてい泉か井戸があり、岩山に隠れるようにして煉瓦の白茶けた家が何軒か固まって、村落を作っていた。
 わたしは、ある時は何人かの集団で、またある時は一人っきりで、村から村へと渡り歩いていた。
 歩き通しのこともあれば、農夫の荷車に乗せて貰うこともあった

 村に着くと、好奇心で目を輝かせた村びとが、大人も子どもも、老いも若きも集まってくる。わたしは広場でタンバリンを打ち鳴らして踊りながら、大地と豊穣の女神デーメーテールや愛と婚姻の女神アフロディーティーに捧げる歌を歌った。

 その後、求めに応じて占いをする。わたしの占いは良く当たると評判だった。
 そのまま村の有力者の家に泊まることもあったが、たいていはそこで春をひさぐことになるのだった。
 それも、歩き巫女の仕事の内だった。

 そうやって村から村を渡り歩きながら、わたしはパンドーラという名の、伝説的な巫女の消息を求めていた。

 パンドーラは、何千年も昔から生きているという。不老の美しさを保ちながら。
 ある説によると、パンドーラこそ、最初の人間の女だという。
 今でも、どこかの廃墟となった神殿の奥深く棲むが、実際にあったという人は誰もいないという。

Photo_2

 どれくらいの月日が、そうやって流れたかは分からない。ある日、とうとう、海に面した断崖に立つ崩れかけた神殿の奥で、わたしはパンドーラに会ったのだった。

 「わたくしの名を、久方ぶりに呼ぶのは誰ですか‥‥」
 神殿の奥の暗がりから、立ちのぼる香煙をかき分けるようにして長身をあらわした巫女を見て、わたしは小さく叫んでいた。
 「朝比奈みくるさん!?」
 「その人のことは知りません」
 巫女は平静に言葉を継いだ。「でも、美の理想は、どんな時代でも似たようなものになってしまうのです。このパンドーラは、元々、理想の美を体現せんものと、オリュンポスの神々によって造型されたものですから‥‥」
 そして、憂いを含んだ目でわたしを見て、「して、何用あって、このような荒れ果てた地に、世に忘れ去られた巫女のところに、来たのです?はかなげな乙女よ」
 「乙女などではありません‥‥」
 わたしは、昨夜も村で、自分の体に散々加えられた、おぞましい仕打ちの数々を思い起こして顔を赤らめながら、答えた。「春をひさぐのをなりわいとする、ただの卑しい歩き巫女‥‥」
 そして、聞こえないような小声で付け加えたーー「はかなくもないのだし‥‥」
 伝説の巫女は、じっとわたしに目を注いで、少し悲しげに言った。
 「そのようなことを言うものではありません。黒い瞳に青みがかった銀色の髪をした乙女よ。あなたの闇に星を鏤めたような瞳の奥には、無窮の宇宙が広がっているものを。見ていると吸い込まれそうな。ーーして、何用ですか?」 
 「パンドーラさま。わたしは知りたい。わたしはなぜ、今、ここにいるのかを。わたしは一体、誰なのかを」

 わたしは跪くと、堰を切ったように語り始めた。
 「気がついた時にはもう、わたしは、15か16歳の女として、旅芸人の一座に加わって村から村へと渡り歩いていました。
 わたしには、親も兄弟姉妹もありません。わたしを拾ってくれた一座の親方は、わたしが空から降ってきた、と言っていたものです。
 ですからわたしには、子どもの頃の記憶がありません。
 踊り子として一座と共に過ごすうちに、わたしには予言の力があることが分かってきました。日ごとに煩わしく言い寄ってくるようになった親方の息子からのがれたくもあって、歩き巫女の一行に身を投じました。
 先輩の巫女たちの中には、天涯孤独な上に内気で無口なわたしを憐れんで、妹のように可愛がってくれる人もいたのです。
 でも、4、5年もたつと、その人たちからも別れなければならなくなりました。
 わたしが、齢を取らないからです。
 仲良しだった友だちが、自分だけが齢を取ってゆくのに気づくと、わたしに嫉妬の目を向け、しまいに魔女だの化物だのとののしるのです。
 そのうちに、はるかな神代から、人でありながら不老の若さ、永遠の美を留めているという、最高の巫女、パンドーラさまの噂を聞きました。
 あなたこそ、わたしが誰なのか、なぜここにこの時代にいるのかを、教えていただける方ではないでしょうか」

 「憐れな乙女よ」パンドーラは、跪いたわたしに歩み寄り、手を取って言った。
 「この世におけるそなたの使命を教えるには、まず、わたくしが何者であるかを伝えねばなりません。でも、この時代の人々の言葉も概念も、あまりにも未成熟です。
 ですが、楽の音に、歌に、乗せれば伝えることもできましょう。
 アフロディーティの歩き巫女よ、立ちなさい。タンバリンを取って踊りなさい。
 わたくしが歌い、もの語るのに合せてーー」

 言われるままにわたしは背に負ったタンバリンを手に取って、シャラシャラと打ち振り踊り始めた。
 澄み切った歌声が、パンドラの紅い唇から流れ出す。

〔パンドーラの歌〕

我が故郷〔ふるさと〕は銀河の彼方
光が尽き光の生まれるところ
エックス線星は歌い
超新星は紫の輝きを放ち
渦状星雲が群れ集い
ブラックホールが音もなく崩壊する
重力が生まれ重力の尽きるところ

銀河の彼方からわたくしは来た
宇宙開闢以来在る究極知性
情報統合思念体の、最初の対人コンタクト用
ヒューマノイド・インターフェースとして
獣と変わらぬこの星の人類に
知識と技芸を授けるために

こうしていつか人間たちは

Pandora_2鳥獣を狩り野苺を摘むのをやめ
牛と羊を飼い畑を耕すようになった。
洞窟を出て石造りの都市に住み
棍棒の代わりに青銅の剣と鋼の鏃で武装した。
天体を観測して暦を作り
三角測量を覚えてピラミッドを建てた。

けれど農耕は狩りの生活より労働がきつく
人口の密集した都市では疫病が流行した
富める者、力ある者は
貧しき者、力なき者を虐げ
巨大な軍隊を作りあげて圧政を敷いた
お互いがお互いを羨み、そしり
虚偽と巧言とが真実と廉直を覆い隠した
やがて人々はわたくしパンドーラこそ
あらゆる災厄をもたらした元凶よと
なじるようになった。

嫉妬深いオリュンポスの神々が
人類を懲らしめるべく、ひそかに
あらゆる悪徳と禍の種を詰めて
地上に送った開けるべからずの箱を
好奇心に負けて開いたパンドーラこそは
人類に災厄ををもたらした禍〔わざわい〕の女だと。

わたくしは人々の目から姿を隠し
神殿の廃墟の奥にひとり住まうようになった。
情報統合思念体はもはや人類に介入しようとせず
観測だけにわたくしの役目を限定した。
オリュンポス山から吹き下ろす風の音と
エーゲ海の波濤の響きを聞きながら
わたくしは生き続け、そして待った。

パンドーラの箱にただ一つ残った
最後の贈物を受け取るべき者の訪れを
わたくしに続く二体目の対人コンタクト用
ヒューマノイド・インターフェースが
黒い瞳と青みがかった銀色の髪の
小柄な体、薄い胸の
可憐な乙女として訪れる日をーー

続きを読む "長門詩篇Ⅴ「パンドーラの歌」" »

2019年1月19日 (土)

長門詩篇Ⅳ「運命が扉を二度叩いた日(後篇)」

〔紹介 アニメとラノベでヒットした『涼宮ハルヒの憂鬱』(原作:谷川流)の二次創作です。北高一年生の文芸部員で、その正体は銀河を統括する情報統合思念体が送り込んだ対人コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの長門有希が、運命と夢とあえかな恋とを歌い上げます。〕

長門有希詩篇Ⅲから続く

■長門有希詩篇Ⅳ「運命が扉を二度叩いた日(後篇)」

 運命が扉を二度叩いた日。
 それは、この惑星の暦で7月7日の夜。

 三年後に戻りたいということでマンションを訪れた「彼」と朝比奈みくるを、わたしは和室に案内する。
 二人分の布団を敷く。

Photo_2

 「まさかとは思うが‥‥、ここで寝ろって言うのか?」
 「そう」
 「ここで?朝比奈さんと?二人で?」
 「そう」
 二人は何やら顔を見合わせて躊躇しているが、構わず布団を敷き終わると、わたしは言う。                                                           「寝て」
 「‥‥」
 「寝るだけ」

 二人が布団を被るのを見届けると、壁際の蛍光灯スイッチに手を掛ける。
 これから三年間、この和室の流体結合情報を凍結する。つまり、時間を三年間止める。
 滅多にない、エマージャンシーモードだ。
  ただし、問題が一つあった。
 三年もの間の時間凍結を一瞬にして実行するには、有機生命体としてのわたしの情報処理速度は、三年後の”わたし”との同期による大量の記憶流入が原因で、約5.8パーセント低下していた。
 この惑星で言われる睡眠を1時間25分取れば、処理速度は百パーセント回復する。
 けれど、ぐずぐずしていられない理由があった。もう一組の謎の時間跳躍者が、このマンションをめざして接近しつつあったのだ。
 やむをえず、得たばかりの三年間の”未来の記憶”のあらかたを削除する。概要だけを残して、具体的なエピソード記憶と、読書によって得た知識の細部を捨てる。
 本来なら、個体として削除する記憶は、情報統合思念体に送らなければならなかった。
 けれども、送るにはバグが多すぎた。
 「感情」と、後に名づけるようになったバグが。
 わたしは、削除した記憶を完全に消去した。初めての、情報統合思念体に対する違反行為だった。

 蛍光灯スイッチを押す。
 部屋が暗くなると同時に、襖を閉める。
 選択時空間内の流体結合情報凍結を完了。
 あとは、きっかり三年後の七月七日の午後9時45分に、流体結合情報凍結を解除すればよい。
 これで”彼”と朝比奈みくるを、三年後の未来へ帰すことができる。

 足早に、リビングルームにとって返す。
 ぐずぐずしている暇はなかった。次に起こることに備えなければならなかったから。
 一時間まえから駅前公園に実体化していた数世紀後からのTPDD装着時間跳躍者と、同時刻に北高に実体化した時間跳躍法不明の何者かが、合流してこのマンションの前まで来ているのだ。
  わたしは、再び眼鏡をかけると、謎の来訪者を待ち受けた。

 玄関のインターフォンチャイムが再び鳴る。
 「長門、俺だ」
 “彼”の声だ。
 まったく予期しないことだった。時間跳躍法不明の何者かとは、和室に時間凍結されて寝ている”彼”の、異時間同位体だったのだ。
 「すまん、ちょっと説明しづらいことが起きて、また未来からやって来た。朝比奈さんもいる。大人のほうの。ええとな、異時間同位体だったか?」
 もう一人の時間跳躍者が、大人版の朝比奈みくるであることは、先ほど“彼”と交わした会話から、察しがついていた。
 その役目が、”彼”を、中学生の涼宮ハルヒが校庭に幾何学模様を描くのを手伝うように、仕向けることだということも。
 けれども、役目が終わってもなぜ、未来に帰らずに“彼”の異時間同位体と合流して来たのだろう。
 「お前の手を借りたい。というか、俺をここに飛ばしたのは未来のお前なんだ」
 ますます不可解で衝撃的な事実だった。
 「そこに俺と朝比奈さんがいるはずだ。時間を止められて客間で寝ている‥‥」
 玄関のロックを解錠する。
 「入って」

 「自己紹介の必要はないよな」
 居間に上がり込むと、立ったまま“彼”は切り出す。
 「この人は朝比奈さん大人バージョンだ。以前、お前も会ったことが、‥‥いや、会うことになるんだ。でもまあ、朝比奈さんで間違いないから、別にいいよな」
 わたしは、彼の背後に隠れるようにしている、長身の美女に視線を注ぐ。
 具体的内容を欠いた未来の記憶シノプシス版からでも、この未来人タイムパトロール員が、地球人類の美の理想を体現していることが、今や理解できた。
 ふっと、痛みに近い疼きが胸に走る。脳内装備型日本語変換辞書が、すかさず反応を返すーー<嫉妬>。
 わたしは、おしゃべりな脳内辞書に沈黙を命じると、立ち尽くす彼に「了解した」答える。

 それから彼は、三年後の七夕の、さらに5ヵ月あまりの未来の期間について、大まかなストーリーラインを語った。
 「‥‥というわけで、俺がまたまた舞い戻ってきたのは、お前のおかげなんだ」言いながら、ジャケットのポケットからしなびた栞をとりだして示す。
 わたしは栞を指先で摘み上げ、表面の花イラストを無視して裏の文字を見る。
 『プログラム起動条件・鍵をそろえよ・最終期限・二日後』
 確かにわたしの字だ。3年5か月と9日後の未来のわたしが書いた字。
 何が起こったのだろう。わたしは混乱する。
 文字を凝視しているうちに、文字列の裏側に隠れたメッセージが、微かに浮かび上がってくる。次第に、事の真相が呑み込めてきた。

 「どうすればいいんだ?」
 「わ、わたしは異常な時空間をノーマライズしたいと思っています」
 朝比奈みくるが、おっかなびっくり口を添える。なぜ彼女はわたしを恐れるのか?
 「長門さん‥‥。あなたに協力して欲しいんです。改変された時間平面を元通りにできるのはあなただけなんです。どうか‥‥」
 朝比奈みくるは、拝むように両手を合わせて目を固く閉じた。
 「俺からも頼むよ‥‥」

 わたしは、しばし虚空を見つめた。未来から来た有能なタイムパトロールである朝比奈みくるが知っていて、彼がまだ知らないことがある。
 時空を改変した犯人が、未来の、このわたしだということ‥‥

 それ以後のことは、簡単に記したい。
 「確認する」と、問題の、改変が行われたという時間平面にアクセスを試みる。
 「同期不可能。‥‥その時代の時空連続体そのものにアクセスできない。わたしのリクエストを選択的に排除するためのシステムプロテクトがかけられている」
 危惧の表情を浮かべる彼に、説明を続ける。
 「だが、事情は把握した。再修正可能。‥‥世界を元の状態に戻すには、三年後の12月18日へと行き、時空改変者が当該行為をした直後に、再修正プログラムを起動すればよい」

 そして、わたしには客間で寝ている二人の時間を凍結し続ける作業があるので行けない、と言い、代わりに、再修正プログラムを注入した短針銃を眼鏡から構成して彼に渡したのだった。

 「ところで」と、そこで彼が、今まであえて訊かないでおいたらしい質問をする。「誰が犯人だ。世界を変えたのはどいつだ。ハルヒでないならそれは誰だっていうんだよ。教えてくれ」
 朝比奈みくるが小さく息を吸い込むのが聞こえた。
 わたしはかまわず、淡々と告げた。
 「三年後のわたし。‥‥わたしのメモリ空間に蓄積されたエラーデータの集合が、内包するバグのトリガーとなって異常動作を引き起こした。それは不可避の現象であると予想される。わたしは必ず、三年後の12月18日に世界を再構築するだろう。‥‥対処方法はない。なぜならそのエラーの原因が何なのか、わたしには不明」

 その後、朝比奈みくるに目標の時空間座標を、指先から手の甲への皮膚接触型情報伝達で伝える。
 時空改変に巻き込まれないために、二人に次々に噛みついてナノマシンを体内に注入し、対情報作用遮蔽スクリーンと防護フィールドを、体表面に展開させる。
 「ありがとな」
 時間跳躍の準備を整えた朝比奈みくるに身を接しながら、彼は別れのことばを告げた。
 「また会おう。長門。しっかり文芸部で待っててくれよ。俺とハルヒが行くまでさ」

 そう言う彼の表情には複雑なものがあった。朝比奈さんの目にも、見たことのない光が宿っている。脳内日本語変換辞書が告げるーー〈哀愁を帯びた目〉。
 朝比奈さんが体内装備型TPDDを作動させた。二人の姿が消えた。

 ひとり残されたわたしに、経験したことのない感覚が襲う。
  脳内日本語辞書が告げるーー<淋しい淋しい淋しい淋しい‥‥>
 そして、勝手に歌い出す。

 〔脳内装備型日本語変換辞書の歌〕
 ――そう、あなたは淋しい。
 だって、バグなんかじゃないんだもん。
 バグなんかじゃない
 バグなんかじゃない
 (キョン君のことが好きなくせに)
 あなたは失恋する運命にあるの
 片想いの果てに
 夏休み最後の14日間の時間ループを入れて
 598年の片想いの果てに
 あなたは決定的に失恋するの
 彼が選ぶのは涼宮ハルヒ
 あなたは選ばれない
 世界ごと消去される運命
 彼の手で消去される運命
 あなたは選ばれない
 朝比奈みくるにさえ負ける
 客間で”彼”と仲良く並んで寝ている
 ポンコツロリ巨乳にさえ負ける
 あなたはいつだって三番目なの
 バグなんかじゃないバグなんかじゃない
 キャハハ、キャハハ、キャハハッハ

 わたしは、脳内日本語辞書を黙らせる。
 このところ、勝手に起動してきて困るんだもの。
 同時に、気がつく。色のない世界が戻ってしまっていることを。

 最初の“彼”との出会いで、わたしは眼鏡を外したのだった。
 ――ないほうが可愛いと思うぞーー
 という、未来の記憶の中の彼のことばに誘われて。
 その時、“彼”からの見えない光を受けたかのように、世界が色あざやかに輝き出したのだった。
 でも、今は何もかも色がなかった。
 今まで経験したことのない疲労感を覚えて、床の上に座る。
 体内が少しばかり、過熱状態らしい。
 このまま、活動を停止したかった。
 彼と涼宮ハルヒが待つ北高に入学する年の4月まで、あと2年9か月。今まで通りの観測活動は続けられない気がした。

 このまま眠ってしまおう。リビングで座ったままで。
 東中の二年次に在籍している、喜緑さんに脳内発信機で連絡を取る。
 過熱状態が完全に元に戻るまで活動を休止する旨、了解を取る。
 最初に来た”彼”と朝比奈みくるが寝ている和室の流体結合情報凍結を、睡眠状態でも続けられるよう設定し直す。

 こうしてわたしは長い眠りに入った。

  ☆☆☆

 そして、長い夢を見た。

 夢の中でわたしは、白茶けた岩山と岩山のあいだに草地が点在しているだけの、乾燥した見知らぬ大地を旅していた。
 草地では、羊や牛の群れがのどかに草を食んでいるのが見えた。
 ときおり、岩山と岩山の間から、青い水平線がのぞいていた。
 何人かで連れだっていることもあれば、ひとりの時もあった。
 歩き通しのこともあれば、農夫の荷車に乗せて貰ったこともあった。
 岩山と同じ色に白茶けた煉瓦の家が固まった村に着くと、好奇心で目を輝かせた村人たちが群がってくる。
 わたしは、村の広場でタンバリンを手に歌と踊りを披露した。その後、占いをするのだった。
 わたしは、ある時は大地と豊穣の女神デメーテル、ある時は愛と子宝の女神アフロディティーを、村々を回って祀り歩く、放浪の巫女、歩き巫女なのだった。
 そうやって村から村を回りながら、パンドーラという名で知られる、伝説の巫女の居場所を探し求めていた。
 会って、尋ねたいことがあったから。
 なぜ、今、ここにいるのかを。わたしは一体、誰なのかを。

 そして、ある日とうとう、神殿の廃墟でパンドーラに会った。
 その話は、次にしよう。

長門有希詩篇Ⅴ「パンドーラの歌」に続く>

 (原作: Yuki Nagato /脳内口述筆記: Tsuneo Watanabe)

●口述筆記者あとがき:「長門有希詩篇」シリーズは、涼宮ハルヒ関連の二次創作(SS)です。SSの常としてハルヒ関連のあらゆるメディアの無断借用から成り立っていますが、今回は特に、『涼宮ハルヒの退屈』(谷川流作、角川スニーカー文庫、2003)『涼宮ハルヒの消失』(同、2004)を参考にしました。
 なお、画像は、TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの「笹の葉ラプソディ」から、インターネットサイトに転載されていたものを借用しました。
 
●●●『人文死生学宣言:私の死の謎』(渡辺恒夫・三浦俊彦・新山喜嗣/編、春秋社、2017)好評発売中●●●

 
 
 

 

 

 

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

より以前の記事一覧

電子ジャーナル:こころの科学とエピステモロジー

ブログの主の最新刊

人文死生学研究会

無料ブログはココログ
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31