日記・コラム・つぶやき

2008年11月30日 (日)

夢の現象学(-7):ブログに夢日記を書く夢を見た

2008年11月30日

 ブログに夢日記を書いている夢を見た。日曜なので一度目を覚まし、二度寝をして見た夢だ。フランス語の長大な書物が出てきた。何卷もある本が棚に並んでいた。あるいは、壁面に書かれていたような気もする。サルトルの『存在と無』かプルーストの『失われた時を求めて』のようだった。前者は学生時分に松浪信三郎訳で一気に読んだが、原文は比較的最近、拾い読みした程度。プルーストにいたっては、一巻途中で挫折している。

 それはともあれ、夢の中ではその長大な物語には、世界の秘密が解き明かされていることになっていた。私は勇を振るって読み始めた‥‥。

 世界の秘密が説き示されている長大なフランス語の物語を読み始める、という夢は、かつて何度か見たことがある。最近見るのは十年ぶりぐらいだろうか。この夢を思い返していると、たいてい、芋蔓式に、火星からのロケット攻撃を受けようとしている不安に満ちた未来社会の情景が思い出されてくる。ロケットは金太郎飴のようなケバケバシイ色をしていた。実際に攻撃を受ける一歩手前の段階で、不安な予兆が夢の中の世界全体に満ちていた。次の場面では、なぜか、火星への宇宙船の中にいた‥‥。

 この夢を思い出すと、たいてい、さらに別の夢の記憶が手繰り寄せられてくる。さらにはるかな遠い未来、銀河系外を進む巨大な宇宙船の中にいるのだった。ホールのような場所で、壁面のスクリーンには遠方の銀河団が映し出されていた‥‥

 以前から思っていたことだが、夢の記憶は夢の記憶同士で、現実記憶とは別の場所に、まとめて仕舞い込まれているらしい。だから芋蔓式にいくつも出てくるのだろう。(夕、4時半。市図書館にて。)

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2008年11月 9日 (日)

夢の中での学会に黒田正典先生が……

2008年11月8日(土)。朝。夢を見た。黒田正典先生が学会か研究会で高知に来ていた。私はまだ高知に居ることになっていたようだった。数人しか来ない寂しい会で、旅館のような場所だった。他に、東邦の情報科学科のK教授も居た(デタラメな人物配置だ)。

 話題は、来年にAPAが佐倉で開催されることになったことで、それなら日帰りで家から通える、などと考えた(か、口に出していったかははっきりしない)。学会が終って雑談といった雰囲気で、旅館の畳敷広間で食事をしているのだった。それも終りが近づいた。黒田先生はその旅館に泊まっているらしかった。「明日は何時ごろお帰りですか」と尋ねた。十時ごろ、という答だった。私は見送っていきたかったのだが、遠慮して「明日はちょっと用事があるので」と言ってしまった。

 席をはずし、念のため手帳を繰って見た。去年の手帳なので、曜日間違いを起こす恐れがあったが、それでも、明日土曜には予定は載っていなかった。「{かつては鉄道だったが}今は飛行機だからなあ、と、そばにいる誰かに、言い訳がましく言った。「ああ、高知の空港は行ったらなかなか戻ってこれないからな」と、その誰かが答えた。

 広間に戻ると、もう誰も居なかった。旅館の女の人に「あのお年寄は」と尋ねると、あそこに居ると答えた。なるほど、広間の向う側の外が崖になっていて、そこに居た。戻ってきたので、別れの挨拶をした。そこで目が覚めた。

 目覚めのあとの気分は、懐かしさと寂しさの入り混じったものだった。こんなに迫真的に夢にみるなんて、まさか、今年92歳の先生に何かあったのジャアないだろうな……

 もう一つ、この夢の前の夢が思い出された。別の学会に出ていて、フランス語で原稿を準備してきたのに、公用語が英語だけと分かって、急遽、英語でアドリブ翻訳して口頭発表していた。

 この夢の特徴は、ホブソンがいっていた、見当識の喪失だ。20年前に去ったのにまだ高知に居ることになっていたり、それでいて佐倉で学会があるから日帰りできると思ったり。

 この夢にもフロイの言う「昼間の残りもの」がある。APA(American Psychological Association)が佐倉で来年ある、というのは、前日、来年トロントで開催のAPAシンポジウムへの返事を、友人にメールしたからだ。トロントが佐倉になったのは、心理的な近さで共通点があるからだろう。とにかく、見当識の滅茶苦茶な、いかにも夢らしい夢だった。

 それにしても、日本の心理学界からはさっぱりお呼びがかからないのに、外国の学会からお呼びがかかるとは、おかしなものだ。一面、よくある話でもある、などと考えてしまった。

 なお、7/27付記事「多元主義のメタ心理学的基礎」でリンクを張っておいた英文論文をAPAで使うことになりそうなので、念のため削除しておく。その代わりといっては何だが、一昨日に公式サイトにアップローしておいた「環境科学とはどのような科学か」という論文へのリンクを張っておきたい。ちなみに、こちらの論文は、昨日(11/8)の「心の科学の基礎論研究会」で発表したものだ。

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2008年10月 6日 (月)

モンドリアンの絵のようなパソコンウィルス

2008年10月4日

 夕方、研究室でうたた寝をして見た夢。

 パソコン上でメールを開こうとしていた。「台湾」というサブジェクト名のメールが来ていた。開くと、モンドリアンの絵のような様々な色彩の長方形が窓のようにひしめき合い、輝度を変化させている画面になった(描画技術の程度が低いのでここで紹介できないのが残念)。

 長方形の多くは、オレンジっぽい色調だった。見ていると引き込まれそうになってくる。輝度の変化で脳に作用して意識変容をもたらす仕掛けの新型ウィルスだろうか、と思った。また、単に意識変容だけでなく、見入った者を画面の向こう側へと転送してしまう、超科学的な転送機かとも、疑った。

 それから別な場面になった(というよりこちらの方が先だったかもしれない)。岡田先生が、研究室に、学生をひとり連れて来訪した。二年生の時に私の夢科学ゼミを受けた学生で、なにやらここにしかない文献が欲しいのだそうだ……。あとは思い出せない。

 後の方の場面は、昨日、薬学部の学生が、ラバージの『明晰夢』を借りに来たエピソードと、一昨日、岡田先生が実際に来訪したエピソードの融合だ。どちらも、実際の体験が夢に出現するのに一週間はかかるという、ジュベ=ホブソン説の反証だ。けれども、ニールセンのより新しい研究によると、翌晩あたりと一週間後と、体験が夢に現れるピークは二つあるという。

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2008年9月28日 (日)

地底の湖で植物=人間に出会う

2008年9月28日(日)

夢を見た。地底深くの湖があった。正確には地底深く湖の化石がうずもれていた、と書くべきか。大きさは体育館がすっぽり収まるくらい。そこに、水を注ぎいれる実験をしていたような記憶がある。湖の様子は、ガラス越しに、ちょうど水族館で水槽を見るように、見えるのだった。

 湖底は、地層がむき出しになっていた。中に、一ところ、緑色の斑点の入った層があった。注がれた水がその層のところまで浸す。すると、緑色の範囲が拡がり出す。何かの植物がよみがえり、繁殖を始めたのだ。私はいつのまにか湖の水中を、潜水具(らしきもの)を付けて遊泳していたのだが、身体にも藻のようなものが絡みつき出した。どんどん増えてくる。しかも、藻類は、知能をもっているらしい。「植物人間」という言葉が思い浮かぶ。

 そこで、目がさめた。胸がドキドキしていた。書いてみるとたいしたことがないようだが、夢の中では、藻類に絡みつかれて、パニックになっていたのだ。

 目が醒めた直後は、完璧に筋の通った見事なSFを夢の中で作り上げた、と、思い込んだのだった。ところが、全体を思い返してみても、少しも辻褄のあった、まとまったストーにならない。このままでは記憶から完全にするりとぬけ落ちてしまう、といささか焦って、とにかくも書き出したら、以上のような貧弱でわけのわからないものになってしまった。

 夢を覚えておくのが難しいのは、パラドックスが多く含まれているからかもしれない。エッシャーの不可能図形はちらと見る分には、見ることは可能だ。けれども、よく見ると、直視することが不可能だと分かってくる。それと同じように、夢の中の筋立てや構成要素もまた、覚えているつもりでも、思い出そうとすると、それが不可能だと分かる、ということだろう。

 この夢にも、色々とパラドックスが含まれている。たとえば、湖全体が化石とはどういうことか。なぜ、藻が増えて身体にドロリと絡んできただけで、植物=人間と分かるのか。夢の中にいる間は、そして目覚めた直後には、理由が分かっていたはずだが、思い返そうとしても、不可能図形を直視する場合のように、うまくいかない。

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2008年5月 7日 (水)

意識を肉体から引き剥がす実験装置、自我体験満載の精神医学者の遺著など、最近の意味深な夢

*******2008年5月6日:意識を肉体から引き剥がす装置を実験する大科学者*********

 夢を見た。手塚治虫にも匹敵する偉大なマンガ家の作品を読んでいた。肉体から離れた意識の可能性を追求した大科学者の物語だった。

 その方法は、まず、そのような可能性を示唆する歴史上の文献や、自分自身の記憶ーーつまり、夢記録ーーを収集する。幽体離脱体験もまた、そのような事例として解釈できる。そして、それらの事例研究に基づいて、意識は、もし肉体に拠らなければ何に拠って存在し得るかの、仮説を立てる。どうやら、空間そのものの構造化に拠るらしいのだが。

 マンガの最後の場面は、未来のある情景だった。どこかの、呼吸可能な大気のない惑星表面らしい。なにやら、無人と化したマンションの建つ都市の廃墟で、科学者は大掛かりな装置を組み立てていた。空気がないのに生きていけるのは、そのように呼吸系を改造したからだった。そうやって組み立て終った装置に自分自身をベルトで留め、自分を実験台として、意識を肉体から解き放とうという実験なのだった。

 大科学者らしく、自分で装置を作れるのだな、と読みながら感心していた(このあたりのコマでは、だいたい夢の中ではそうなのだが、アニメのように動くコマで、しかも自分が読者の側なのか、その中に入り込んでいるのか、不分明なのだった)。なぜなら、実際には科学研究者というものは、極端に専門化細分化していて、理論家なら装置の一つも組み立てられないし、工学者といえど、少し専門が違えばやはり必要な装置を組み立てられるどころではないから(理科系の人たちと共同研究をやって実感したところだ)。だから現実には、チームで研究するのだが、たった一人で何から何までやるとは、やっぱりマンガだ(と、これは、すでに半覚醒状態で考えていたらしい)。

 以下は、半ば覚醒した意識で考えたことになるが、意識を肉体から解き放つ実験で連想されるのは、半村良の未完の長編『太陽の世界』で、超能力者兄弟の一方が、死に臨んで、一族の守り神となるために念力で意識を死にゆく肉体から引き離すエピソードだ。また、蛭川立氏なら、体外離脱体験(OBE)を入眠時に起こす能力があるから、このような実験もひょっとして可能かもしれない、と思った。

 以下は、起きて考えたことになるが、私は今まで、体外離脱体験の信憑性には否定的なほうだった(遍在転生観はそれを必要としていない、というアプリオリな理由で)。けれども、肉体に依存した《私》のあり方というものもまた、偶然的なものであるからには、闇雲に否定する必要もないのではないか、と思った。しかも、肉体から離脱しても、何らかの空間構造に拠る以上は、《いま、ここ》のパースペクチブ性も維持される……。というより、パースペクチヴ性こそが、《私》が存在することの定義だろう。

 ビッグ・バンで宇宙が始まるのと同時に、《私》は存在を始めた、という、かつての空想を、もう一度、取り上げて見たくなった。もし、宇宙それ自体に何らかのパースペクチブ性があれば、そこに《私》が存在する、もしくは、宇宙は私である、といえるのではないか。

 ********2008年4月25日:精神医学者を偲ぶ門人の会合に出席する************

 夢を見た。木村敏(だったと思うが、もしかして土居健郎か中井久夫の可能性も)の、兼ねて気にかかっていたがまだ未読の本を買った。毎日新聞社刊ということになっていた。主に編集者と著者の対談から成る、しかもかなりの大活字で、売らんかなの魂胆が見え見えの本で、少しいやな予感がした。どうやらこの編集者は、本作りに一家言があり、理想の編集を目指しているらしい(起きてこの日記を書きながら、編集者志望がとうとう実らなかったHさんを思い出した)。冒頭だけ、著者の講演記録だった。

 けれども、読んでみて、すばらしい自我体験があちこちに鏤められていると分かった。

 次の場面では、この著者は1990年代末に亡くなっていて(本の奥付で分かった)、しかもクリスチャンということになっていたのだが、クリスチャンと心理臨床家の男女から成る、若手の門人たちの会合に、なぜか出席していたのだった。例の本に、そのような会合の呼びかけが出ていたらしい。学校の教室のような会場で、私は前から二番目で右端に近い席にいた。椅子は木製で移動式だった。若手の臨床家らしい男が司会をしていた。もちろん、見知った顔はひとりもいない。なぜか会場の前の方で、照明を明るくしたり暗くしたりしているのが奇妙だった(プロジェクターを使っていたわけでもないのに)。

 企画は進行し、その間私は、例によって発言の機会を失い、例の通りの欲求不満状態になっていたようだった(「私はクリスチャンではないが……」といったことだけは辛うじて発言したが)。そのうち、司会の男が、「男女別に固まらないで、互い違いに座ろう」といったことを言い出して、皆で席替えした。フリートークが始まるらしい。私は、隣に座った女性に、冒頭の講演の中味を指して、「すばらしい体験描写ですね。自我体験というんですけどね……」とか話しかけた。「自我体験?」と聞き返す女性。案の定、聞いたことがないようだった。

 この本には、次から次へとふしぎな体験描写が現れて、それがすべて、著者自らの自我体験なのだった。しびれる位すばらしい、しかも一見しただけではそれと分からぬ、独自の自我体験事例なのだった。……

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2007年11月26日 (月)

カラスに生れ変り、ゴジラと闘い、7つの月が昇る村へ行き‥‥最近の奇天烈な夢

  最近の奇天烈な夢をまとめて報告する。カラスに生れ変り、飛行機械となってゴジラと遭遇し、7つの月の昇る村へ宝探しに行き、中世インドの貿易商人が私の転生であるか否かを判別できる方法を編み出したのだった。

なお、かつて同人誌『夢と人生』に、「夢日記」と題して渡辺恒人名義で公開した夢記録を、PDFファイル化して、

「dreamdiary1970s.pdf」をダウンロード

貼り付けておく。将来的に夢の現象学的当事者研究に着手した際の、データ・プールの準備としてである。


■■■■■■{2007年10月3日:カラスに生れ変わる}■■■■■■

 京都にいた。数人の学者のグループがあった(その一人はなぜか、京都とは縁のなさそうなT大情報科学科のM教授だった。鼻の下の黒い髭が印象に残っている)。百万遍の日仏学館のような建物(以前にも夢にでてきた)の中だった。学者たちがテーブルを囲んで何か会合をしていた。このグループには生まれ変り信仰があった。友人のだれそれが死んで鳥になった、といった話をしていた。そこで私は(それまで私はどこにいたかは分からない、純粋の視線として客観的に見ていたのかもしれない)死んで鳥になることにした。するとたちまち死んでしまい、カラスになったのだった。大きなカラスだった。日仏学館の部屋のホールのように高い天井を、バタバタと飛んだ。一座の長のような年取った人物が目ざとくそれを見つけた。会合は、フランス書の輪読会らしかった。私はそのフランス語を、ガアガア鳴いて音して見せた。すると、その老人には分ったようだった。鋭い眼で私=カラスをじっとみつめた。「そういえば、Wが死んだら鳥に生れ変わって現れる、といったことを云っていたような……」と呟いた。

 そのうち、日付が変った。一座は今度はなにやら行事の相談をしていた。古来から伝承された行事だった。私はカアカアと鳴いた。するとこの泣き声も通じたらしい。「Wだけしか知らない、いにしえのことを、このカラスは知っている」といいながら、別の老人が鋭い目で見た。「カラスよお前はいったい、誰なんだ!」私は「ガア」とわざと意味なく鳴いた。私であることを知って欲しい一方、知られたらマズイ、といったような気持ちだった……。そのうち目がさめてしまった。(10月3日、朝。夢の最後の方では、もう目覚めていて、夢だと知りながら、そのストーリーが自動的に奔流のような勢いで進んでゆくのを、なかば驚きながら傍観ていたような……。)

■■■2007年8月17日:飛行機械となってゴジラに遭遇する}■■■ 

 夕暮れの駅のプラットホームにいた。

 関西のほうからはるばるやってきた列車があった。運転士が、仲間の運転士と、「まだあと……時間運転だ」と話していた。仲間の運転士は、「大変だ」とか答えていた。もう数時間は運転していたのだから、これで合計何時間の勤務になるのだろう……などと、私は、プラットホームに立って思った。位置関係からは東京駅なのだが、現実のようなにぎやかな駅ではなく、裏寂れていて、暮色がただよっていた。

 それから私は、空を飛んで、列車が来た元のほうへーー関西へ、出発した。物凄いスピードで飛べるのだった。身体も竹とんぼのような、大きなプロペラが前面に一個付いた姿になっていた。そして、なぜか、私は「機械」であって生物ではないことの誇りに充たされていた。

 そうやって、列車が走ってきた線路の上を滑空して、どこまでも飛行した。プロペラ音を響かせながら。

 関西にほど近いあたりに、動物園が見えてきた。動物たちにちょっかいを出してみたくなった。機械の動物に対する優位性を確かめるために。巨大な猛獣のまわりを飛び回ってからかった。そのうち、広い野原に出た。ゴジラがいた。あまり大きくないから子供ゴジラだろうか(?)その鼻先を、からかうように飛び回った。映画で見たゴジラとちがい、身体が柔らかくて軟体動物のようなゴジラだった。

 そのうち、対ゴジラ秘密兵器であるオキシ……ライザー(映画で初代ゴジラを倒した化学兵器)のことが、出てきた。ブンブン飛び回る竹とんぼ機械の私は、いまや、客観的に他者となって、ゴジラの体を分析しているのだ(この化学兵器を使う準備としてか……)。やがて、ゴジラも元は人間だと分析できた。人間の中のゴジラ的な部分が限りなく拡大した怪物だったのだ(そのような存在として、ゴジラはもと男なのか?女ゴジラというのはいるのか、などと考えた)。だから、対人兵器であるオキシ……ライザーとかいう兵器が、ゴジラには有効なのだ。この、ブンブン飛び回る竹とんぼ様の飛行物体が、どうやらそのオキシ……ライザーらしかった。このあたりで目が覚めた。(8月4日、朝7時ごろ見た夢。飛ぶ夢はよく見るが、たいていは天井にやっと頭が触れるていどの、「空中浮遊」であって、高速で飛ぶのは珍しい。)

■■■■■2007年5月25日:七つの月が昇る村へ行く}■■■■■

カナダ在外研究から帰国した直後の、200410月から始まる夢日記ノート分冊を読み返して、改めて奇天烈な夢が少なくないことに気づく。これから、少しずつ、掲載してゆくことにしよう。

 多分、200410月とおぼしい、日付のない夢‥‥。「七つの月が昇る時‥‥」という俗謡に導かれて、宝探しをする夢である。

 その夢の中では私は民俗学者で、何人かの連れと、ある村で宝探しをしていたのだった。そのきっかけは、その村で、「ひとつとせ、七つの月が昇とき、昇るとき‥‥」という俗謡を、子供たちが歌っているのを聞いたことにあった。

 「七つの月」とは、七つの穴を通して月が七つに見える地点のことらしかった。山深く、岩壁の穴を通して月が七つに見える場所があり、それが、宝のありかへの手掛りになっているのだった。‥‥

 目が覚めた直後には、そのままで小説になりそうな完璧なストーリーに思われたが、きとめているうちに荒唐無稽なのに我ながらあきれてしまった。そもそも、月を七つの穴を通してみると七つに見えるという設定が、そのままでは物理学的に不可能だ。その時のノートには、確かに七つの穴を通して月が七つに見えるメカニズムが図解されているが、両端に近い穴では月からの光線が、凸レンズを通る際のように屈折して、再び目に収束するように描かれている。もし、岩壁の穴にレンズが嵌っていたならば、可能になるわけだが‥‥。

  20041024

 戦後すぐの混乱期のような時代にいた。米兵がいた。私がいた。そしてフランスの王族(?)の出らしき人物がいた。この人物は、なにやら服を汚されたといって米兵に文句を言い、服を洗わせていた。私は米兵に、「彼は貴族だ。宝石をいっぱい持っているらしい」といったことを云っていた。だから皆、彼のいう事を聞くのだ‥‥と。

 目覚めて一時間はたっているのでその他のことは殆ど思い出せないが、なにやら他の時代に生きている他人の人生の一齣を覗き込んだような気がする。そんな、変なリアリティーを感じる夢だった。

■■2007年4月2日:中世インドの貿易商人は私の転生か}■■

夢日記より。3月8日分を掲載。

 また奇天烈な夢をみた。最初の方は、324=320+4といった計算法をやっていたように憶えている(昨日帰途の電車内で読んだ『高校数学+α』の影響)。次の場面では、文献を読むだけで、過去の人間が《私》の転生であるかどうか客観的に判定できる方法を、開発していた。それをもって、三人の「候補者」について分析を始めようとしていた。その中のひとりは、中世インド(らしき時代)の貿易商人で、その人物の日記を手に入れ、「自我体験・独我論的体験」*が出現しているかが判定できれば、《私》の転生であるか否かも分かるのだった。

 場面が変わる。どこかの大学のロビーのような場所にいた。研究会の常連のほかに、初対面の、三十代の背の高い哲学研究者がいた。**ウィルソンを研究しているという。**の部分が聞き取れなかった。コリンウィルソンはありえないから、「アンガス・ウィルソン?」と聞き返した。そうではないらしかったが、「アンガス・ウィルソンを知っている人は今では少ないですよ」と驚きの表情。私は、「今度、研究会で、その**ウィルソンについて発表してくださいよ」と誘っておいた。なぜか、**ウィルソンもひょっとしたら、遍在転生*に関係があるかもしれないと、思ったように憶えている。(3月8日、木。朝十時。京成車中にて。)

*「自我体験・独我論的体験」「遍在転生」については、『<私の死>の謎』(渡辺恒夫著、ナカニシヤ出版)と『輪廻転生を考える』(渡辺恒夫著、講談社現代新書)を参照のこと。

■■■■■■■■■20071月2日:われは人形}■■■■■■■■■

[過去の夢日記よりの抜粋]

「われは人形」というタイトルがすぐさま付くような、短編小説のような夢をみた。

 オーストラリア人の「作家K」と、オーストラリア北部から飛行機で飛び立つと富士山が水平線に見える、といった話をしていたような……。そのうち、Kは、人形にまつわる話を始めた。

 ……まだ小学生の頃、Kは、その木製の人形を買ったのだった(人形というより、木製の小さな白鳥の置物だったかもしれない)。人形はKに、「幸運」をもたらすようだった。友達みんなが、Kの人形のことを知っていたほどだった。

 Kはいつも人形と一緒にいた。人形を捨てても、いつのまにかKの手元に舞い戻っているのだった。こころみに売り払ったことが、三度ほどあったが、それでもなぜか、いつも手元に戻ってくるのだった。……

 最後に、その「作家」の人形にまつわる長い話は、次のようなラストでしめくくられることになる。

 「友人や家族が人形を見つけたらしいけど、私に言わずに燃してしまったらしい」

 「惜しいと思わなかったのですか」と私。

 「全然。まあ、助教授のポストを捨てた、という位なら、惜しかったかもしれないですけどね……」

 「その代わり、あなたは死ぬ!」私は叫んだ。その瞬間、私は、自分が人形であることを確信していた。Kは、アッと叫ぶまもなく、固まってしまった。

 Kに手を伸ばすと、息をしていなかった。

*この夢を見たのは実は、1年半まえ(2005年の6月下旬から7月上旬の間)のことなのだが、「夢の中で私は、あたかも誰か他人によって書かれたシナリオを演じている役者のようである」という知見の例証として、抜粋しておいた。このような内容の短編小説など読んだこともないし、考えたこともない。強いていえば、33年前のSFマガジン誌上での第1SFコンテスト入選作品に、似たラスト(確か、語り手の“オレ”が相手の長い話が終わったところで正体を明らかにして殺してしまうといった)があったと憶えているが、その他の点では類似点はない。ちなみにこのコンテストのもう一人の入選者は、現在、心の科学の基礎論研究会で時おり顔を合わせる松崎保美さんであった。

 抑圧され意識下に追いやられて分裂・独立したもうひとつの自我が、私の知ないところでいまだに怪奇幻想作家として創作活動を行っているらしい。

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電子ジャーナル:こころの科学とエピステモロジー

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