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2019年1月17日 (木)

夢の現象学(156):続きの夢で疑問への解が与えられるの巻/ハルヒ神学vs.長門神学(4):ヒロイン論

■2019年1月12日。世田谷の家の二階にいた。

 北窓に虫がいっぱいたかっているようだ。
 見ると、脚の長いラクダ色の蜘蛛がべったりたかっている。しかも窓の内側に。
 潰す紙がないか、狭い室内を見まわしたが、ないようなのでやむを得ず、パジャマの裾で包み込んだ。
 モゾモゾ動いているのを、力を入れて押し潰した。
 そこで目が覚めた。
 また眠り、夢の続きを見た。
 裏の家で大掃除をしていた。裏庭に回ると、奥さんらしい人がこちらの庭に少し入り込んで、箒で掃いている(現実には裏の家との間には高いコンクリートの壁があるが、夢では低い柵みたいになっていた)。
 それを見て、蜘蛛が大量に入り込んでいた原因が分かった、と思った。
 奥さんに今晩はと挨拶する。私の顔は知らないだろうと思いながら。
 この辺で目が覚めたらしい。
○現象学的考察。
 このような、事実的でもあり論理的(疑問→解答の形式の)でもある続きの夢を見ると、眼が覚めていた間も夢は、(フッサール現象学的な意味で)超越性をもった「世界」として続いていた、と考えたくなる。
 覚醒時にひどい見当識障害が起こってでもいない限り、普通はめざめて即座に、寝入る前の世界との、連続性を確信する。それは同時に、眠っている間も「私がいない世界」が超越性をもって続いていたことの、確信でもある。
 それと同様の確信が、「続き物の夢」から導き出されない理由があろうか。
 テオフィル・ゴーチエの吸血鬼物の傑作『死女の恋』では、若き修道士が教会の扉の前で妖しい美女と目を合せたばかりに、夜ごと遊蕩の青年貴族となって美女と共に享楽の生活を送る。昼間の短調な修道院生活と、どちらが夢でどちらが現か分からなくなる。
 違いが出るのは、吸血鬼の墓を暴き、生けるがごとき美女の死体の心像に銀の杭を打ち込むことで、夜の華麗な生活に永久に終止符が打たれることによってである。
 けれども、以前もこのブログに書いたことだが、「現実世界」の方も、何時か終わる(=死ぬ)のだから、「夢世界」とたいして違わないとも言えるではないか。
                                     (午前11時。喫茶にて)。
■ハルヒ神学vs.長門神学(4):ヒロイン論
 今回は長門詩篇は一休みして、ヒロイン論なるものをすることにします。
 いったい、涼宮ハルヒシリーズのヒロインは誰なのでしょうか。
 言うまでもなく、シリーズ名になっている、涼宮ハルヒその人です。
 より詳しく答えたい人は、次のように言うかもしれません。
 SOS団の三人娘がヒロインで、うち、メインヒロインが涼宮ハルヒで、サブヒロインが未来人の朝比奈みくると宇宙人の長門有希だ、と。
 じっさい、先頭作『涼宮ハルヒの憂鬱』が出版された当時なら、このような位置づけを誰も疑わなかったでしょう。
 さらに言えば、出版社(角川)サイドのプロモーションでは、ハルヒ>朝比奈さん>長門、という序列が規定事項だったようでした。これは、シリーズ単行本の表紙に登場する順序でもあり、今に至るまで、出版社サイドが固執しているらしき序列でもあります。
 ところが、作者(谷川流氏)の思惑は、そしてファンの想いも、途中で違ってきたようなのです。
 まず、シリーズ第三作『涼宮ハルヒの退屈』の「あとがき」で、作者は、次のように述べているのです。
 「この辺でシリーズ名を、がんばれ長門さんにしようと思ったが、それでは物語が動きそうもないので断念した」と。
 じっさい、この第三作の頃から、ハルヒが原因で起こる騒動を語り手のキョンと長門有希とがコンビで解決に当たるという、物語スタイルが定着したのでした。
 そして第4作『消失』で、とうとう長門有希がハルヒを押しのけて、新たなヒロインの座についたように、フアンの目には映じたようでした。
 かくして、長門有希には、ハルヒに次ぐ「セカンドヒロイン」、ハルヒと並ぶ「ダブルヒロイン」、さらには「真のヒロイン」の名でさえ献じられることになったのでした。もちろん、ハルヒも朝比奈さんも目ではない、ダントツ人気に支えられてのことです。
 けれども、こういったセカンドヒロイン等などの称号では、ハルヒ、長門、そして朝比奈さんの三人に割り当てられた、ヒロイン機能の分担が、ハッキリしないうらみがあります。
 そこで私は次の呼称を提案するのです。
○表ヒロイン、裏ヒロイン、横ヒロイン(「ハルヒシリーズ」と「グイン・サーガ」の比較)
 つまり、表ヒロイン=涼宮ハルヒ、裏ヒロイン=長門有希、横ヒロイン=朝比奈みくるです。
 この呼称の特徴づけをより詳しく見るために、栗本薫の異世界ヒロイックファンタジー『グイン・サーガ』を比較の対象に選ぶことにします。
 もっとも、『ハルヒ』と異なって女性作者の手になる『グイン・サーガ』で、比較の対象となるのは、[ヒロイン」ではなく「ヒーロー」です。
 そう、グイン・サーガには、三人のヒーローがいます。
 まず、シリーズの名ともなっている、「豹頭の超戦士グイン」です。グインが表ヒーローなのです。記憶を喪失したまま物語の冒頭に忽然と出現したグインが、自己を探究するのが表のテーマなのです。
 ところが、出番はむしろ、「狂戦士イシュトヴァーン」の方が多い。それどころか、傭兵だった時からすでに王者の風格を漂わせていたグインに比べると、港町ヴァラキアの娼婦の子として生まれ、一介の傭兵から身を起こして権謀術策の果てにゴーラ国の王座を簒奪してしまう、一代の梟雄イシュトヴァーンの方に作者が感情移入していることは、長年の読者なら手に取るようにわかる事です。

Photo

 イシュトヴァーン一代記とは、作者の故・栗本薫さんにとって、「自分が男だったら送ってみたかった人生」だったのでしょうから(画像は『グイン・サーガ別伝6』(角川文庫)の表紙より)。
 もちろん、人気もグインを圧しています。
 つまり、裏ヒーローはイシュトヴァーンなのです。
 作者とキャラの性別が逆転していることを別とすれば、ハルヒとグイン、長門とイシュトヴァーンの類比は明らかです。
 表ヒロイン(表ヒーロー)=ハルヒ(グイン)。正体が不明である。実力は計り知れない。弱点が分からない。感情移入しずらい。神かもしれない(笑。
 オタク的男性読者にとって「自分がハルヒである世界が想像しにくい」のと同様に、腐女子的女性読者にとって「自分がグインである世界は想像しにくい」のです。
 ここに、メインヒロイン(ヒーロー)であるにもかかわらず、ハルヒやグインの人気が、長門やイシュトヴァーンに及ばない理由があります。
 裏ヒロイン(裏ヒーロー)=長門(イシュトヴァーン)。両者ともに、一途であり健気であり卓越した戦闘能力がありながら、どこか脆さと果敢なさを、一種の悲劇性を、漂わせています。オタク的腐女子的読者にとって、感情移入しやすいことも共通しています。
 では、横ヒロインの朝比奈さんに対応する「横ヒーロー」は、グイン・サーガにはいるのでしょうか。
 います。「クリスタル公アルド・ナリス」がそうです。
 ナリスと朝比奈さんは、まずその圧倒的な美貌からして共通しています。
 なにしろ「中原一の美女、流嫡の皇女オクタヴィア」が初登場した時には、「クリスタル公アルド・ナリスと同じくらい美しい」などと描写されたくらいですから(笑。
 朝比奈さんがラノベ的萌え要素満載なのと同じく、ナリスはBL的腐女子的萌え要素満載なのです。
 そして、あまりにあざとい萌え描写が、基本的に潔癖でプラトニックなオタク的腐女子的読者を遠ざけてしまい、真の萌えが裏ヒロイン(裏ヒーロー)に求められる結果となったことも、両者で共通しています。
 このように、表ヒロイン、裏ヒロイン、横ヒロイン、と位置づけることによって、出番や人気の多寡によってメインヒロインであるだのないだのといった、不毛な議論を避けることができるのです。
 ちなみに、表ヒロイン、裏ヒロイン、横ヒロインという着想の元ネタは、歴史伝奇格闘技マンガ『修羅の刻』に出てくる陸奥圓明流の、表宗家、裏宗家、横宗家です。
 
●●●【参考文献】『夢の現象学・入門』(渡辺恒夫著、講談社新書メチエ、2016)●●●
 
 

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