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2018年11月19日 (月)

ハルヒ神学vs長門神学(1):涼宮ハルヒシリーズの結末を予想の巻/『春の夢』40年ぶりのポーの一族新作の巻

■今日から、新シリーズ「ハルヒ神学vs長門神学」を始めます。

 これまでの、「夢の現象学」「フッサール心理学」に続く3番目のシリーズとして、もっぱら映像メディア時評(マンガ、アニメ、映画など)、SFや古典文学などフィクション類の感想を徒然なるままに書き連ねてゆくことになる予定です。
 ちなみに、「ハルヒ」とは、2003年いらい、ラノベやアニメを中心にメディアミックスとして展開されている「涼宮ハルヒシリーズ」のメインヒロイン(画像では左の隅で「団長」の腕章をして立っている)。「長門」とは同じくセカンドヒロインの長門有希のことで、画像のようなルックスで無口キャラの文芸部員ですが、その正体は銀河を統括する情報統合思念体の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド型インターフェース(笑)。

Nagatoharuhi

 「ハルヒ神学vs長門神学」とは、『エンドレスエイトの驚愕:ハルヒ@人間原理』(春秋社、2018)の著者であり、一緒に「人文死生学研究会」をやっている三浦俊彦さんから、一度ハルヒネタで研究会をやらないかという思いつきを聞かされた時に、聖地(西宮市立中央図書館か?)で、番外編として開くならいいかも、と答えて提案しておいたテーマのことです。
 いままでのブログでも、ハルヒシリーズには、自我体験だの独我論的体験だの輪廻転生だのと、死生学的に関連のあるテーマが見え隠れしていることを指摘してきました。このほど、映像メディアやフクションの中に現れたそういったテーマを専門に論じる場として、 新シリーズ「ハルヒ神学vs長門神学」を独立させたものです。
 今回は初回のこととて、そういった少しばかり難しい話は避けて、ハルヒシリーズの結末が見えてきた、という話題から入ります。
■ハルヒシリーズの結末が見えてきた!
 7年ぶりに発表されたハルヒ新作(『ザ・スニーカー Legend』角川書店、2018、所載)ですが、一読して私はハルヒシリーズの結末がそろそろ見えて来た、と思ったものです。
 ファンの間では結末はキョン(=語り手の男子高校生)の夢だったという夢落ち説があるということですが、私の推測もそれに近い。
 1年足らずで朝比奈さん(=未来人の少女)は卒業する。つまり未来に帰ってしまいます。そこでハルヒは欠員を募集する。それに乗じて乗り込んでくるのが敵性宇宙人九曜の変装した姿。
 長門だけは正体を見破りハルヒを護ろうとするが、殆ど人間に近付いた今の力では相討ちが精いっぱい。つまり、長門有希はここで死ぬのです。死ぬことによって人間になったことを証明するのです。今までのブログにも書きましたが、それが彼女の不可避の運命なのです。
 朝比奈さんもいなくなったし、古泉君(=超能力少年)もまた転校して行くし、SOS団は解散します。ハルヒとキョンはあと1年の高校生活を、もっぱら受験勉強に充てて過ごし、無事、同じ大学への進学を決めます。
 同時にキョンは、とんでもないことに気がつくのです。2年間にわたって宇宙人と未来人と超能力者と遊んだことに、ハルヒはとうとう気づかなかった。それどころか自分以外は誰も知らないのです。自分の思い出以外に、長門が宇宙人で朝比奈さんが未来人で古泉君が超能力者だったという客観的証拠が何もないのですから。
 ここに至ってキョンは、異世界人とは自分のことだったと気づきます。自分だけが他の誰とも異なる記憶を持っているのですから。
 キョンは、「消失世界」で、大人版朝比奈さんに、姉のような女教師のような慈しみある目を向けられつつ言われたことばーー「いつかあなたは高校時代を懐かしく思い出すことでしょう」をかみしめます。確かに懐かしい。しかも自分の思い出は、他者と共有不可能な、自分だけのものなのですから、いっそうかけがえがない。
 その意味でこの思い出は、夢に似ているのです。
 どうかこんなアホな結末を、作者が実行に移さないように!
(註)この一文は「アドホック日記」(三浦俊彦主宰)に載せた文章のほぼ再録です
https://green.ap.teacup.com/miurat/5653.html#comment65194
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■『春の夢』(萩尾望都)ーー40年ぶりの「ポーの一族」シリーズ新作を読むの巻
 夜遅く、世田谷のツタヤで『長門有希ちゃんの消失』(涼宮ハルヒシリーズのスピンオフ)DVDを借りようとしたら、ちょうど未見の5巻目以降がごっそり借り出し中になっていました。これも元はと言えば三浦さんの薦めで見始めたのですが、ラブコメのはずなのに切なくなってきてしまう。「ありがとう、だいすき」というエンディングテーマソングの題名からして切ないし。
 だからぜひ続きが見たかったのですが、貸し出し中なら仕方がない。ぼんやりと視線をそこここの棚にさまよわせているうちに、『春の夢ーー萩尾望都作、ポーの一族40年ぶり新作』という背表紙が目にとまりました。
 あの、伝説の『ポーの一族』に40年ぶりの新作だって?さっそく借り出して読んで、そして、期待たがわぬ感動に浸ったのです。
 物語りは相変わらず繊細で複雑なので、ここで要約はできません。第二次大戦末期のイギリスはウェールズの片田舎の館に避難して来たポーツネル男爵ことエドガーと、僚友のアラン。隣の館には、ドイツから亡命してきたユダヤ系の姉と弟。弟は音楽が得意でシューベルトの「春の夢」をドイツ語で歌うのですが、姉も、また保護者となっているイギリス人一家も、迫害者の国の歌なんて、敵国の歌なんてと、いい顔をしません。それでもひょんなことから弟はエドガーの館に行くようになってエドガーのピアノ伴奏で歌うようになります。やがて姉も ‥‥。
 そのうちに、色々不幸な事件が重なって、姉は16歳で死んでしまいます。でも、死ぬ間際にエドガーは自分の血を少女に分かち与えるのです。それによって少女は不死の吸血鬼一族に迎え入れられ、いつ目覚めるともない長い眠りに入るのです。
 繊細で美しい物語を読み終わって、私は、不死人であるエドガーとアランが、今でも世界のどこかの片隅にひっそりと生きているようなふしぎな感覚にとらえられました。
 そう、この感覚は、ハルヒシリーズにどっぷり浸っていると、ハルヒ団長を先頭としたSOS団の面々が、そこらの高校生に交じって普通に歩いているような錯覚に陥るのと、共通しています。いいえ、ただの錯覚ではありません。とりわけ私には、無口な読書少女で実は宇宙人が地球に送り込んだ有機アンドロイドという設定の長門有希には、どうしても既視感を覚えてしまうのです。
 次回から、この既視感を暴くために、「長門神学」を展開することにします。
 
■付記 ハルヒシリーズファンにそっと秘密ネタを教えます‥‥
 下記の『人文死生学宣言』という本の執筆陣には、「消失世界」で涼宮ハルヒと古泉君が進学した高校のモデルとなった学校の先生が加わっています。
 今度会った時にでも、2003年ごろに涼宮ハルヒと古泉一樹という生徒が在籍していなかったか、尋ねてみるつもりです。
 もし在籍していたら、この現実世界とは「消失世界」であり、長門有希は世界を改変したのではなく元に戻したのであり、ハルヒの力によって宇宙人製有機アンドロイドにされていた自分を、元の人間に戻したのだという、「長門戻った説」(三浦、2018、p.161)が正しいことになるのです!?
●●●『人文死生学宣言:私の死の謎』(渡辺恒夫・三浦俊彦・新山喜嗣/編、春秋社、2017)好評発売中●●●

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コメント

はじめまして。
私は20年以上前に『輪廻転生を考える』をトランスジェンダーの方から譲っていただいて愛読していたものです。その方はなぜ女性化したいかの根拠を求めて先生のご著書に大いに励まされたようでした(大島弓子の『つるばらつるばら』というまんがのような感じでしょうか)。
あと、『ポーの一族』も小学校時代から愛読していました。中学で仲良くなった友達にこの漫画を貸したらなぜか中島みゆきのカセットテープをくれ、「私『キツネ狩りの歌』が好きなの」って言われました。
大人になってある職場で仲良くなった同僚とカラオケに行って『キツネ狩りの歌』を私が歌ったら、「この歌って『ポーの一族』っぽいよね」と彼女が言ってものすごくびっくりしてうれしくなった記憶があります。
涼宮ハルヒシリーズはまだあんまり見ていませんが、私の印象ではハルヒと長門は同じ人物のように感じています。つまり、ハルヒも「疎外された人」であり、長門のように自閉という手段では対処しきれない容貌の良さや能力の高さと格闘していかなくてはならないからです。長門のような態度で通過できたら楽なのにそれができない。そうであれば盾が必要です。それがキョンなのではないか。…わたしはそんな風に思えたのです。だから、「ハルヒをかばって長門が死ぬ」というのは人格の統合…つまり、ハルヒが長門から独り立ちできた、というイメージを私は持ちました。
ハムレットのモチーフが演劇的に出てくるようですが、ハルヒの輝きに比べるとキョンと古泉はハムレット以外の「その他の男」という感じでいかにも釣り合いません。
ハルヒが本当に女性として統合された人格を獲得したらもっと別のステージに行く力があり、そのときキョンには佐々木がいる…そんな感じになるのかな、なんて、あんまり読んでいないので適当ですが私は予想しています。
先生の新しい取り組みを楽しみに拝見しております。
それでは。

コメントありがとうございます。昔出した本でもお役に立っているのかと思うと、嬉しいです。
 『ポーの一族』を小学生の時から読んでいたなんて羨ましいですね。私の時代には手塚治虫の『リボンの騎士』であり、もっと遡ると初期の『メトロポリス』にまで行き着きます。人間として育てられた人造人間の少年が、自分の正体を知ってしまい、絶望して人間に対して反乱を起こすという物語。アトムのように何万馬力かで空も飛ぶのですが、容貌はギリシア彫刻の美神を象り、喉の奥のボタンを押されると少女にも変身するという、トランスジェンダーの遥かなるパイオニアみたいな名作です。
 ハルヒシリーズの結末予想は、こんな結末になって欲しくないからこそ書いたというべきか。なんとなく作者さんは、最初のハルヒ&キョンのカップルの青春成長物語という幹に、途中からアンドロイドの自我の目覚めという別テーマが蔓のように絡まって、収拾に苦慮しているような感じがします。人格の統合とはユング派的ですね。キョンが平凡に感じられるのは(事実「普通」の人間なのですが)、視点定位の座になっているからでしょう(それにしてもモテすぎですが)。
 キョン視点は、相補うものとしての長門視点の物語を自ずと呼び求めるようです。最近長門ssを少しばかり覗きましたが、力作怪作ぞろいでびっくりしました。また色々教えてください。
 

お返事ありがとうございます。
手塚治虫という人は、後の追随を許さない高い塔の様ですよね。いまだに「医師免許」を持つトップクラスの漫画家が存在しないのが象徴的だと思います。
宮崎駿が「神の視点」と嫌った部分が手塚作品には散らばっていて興味深いです。
トランスジェンダーはローマ時代から「ヘルムアフロディテ」という信仰があり、三橋順子さんなどは「男女という左右ではなく聖卑という斜めの超越がある」ということをおっしゃっていて、なるほど、と思っています。
トランスジェンダーではなく「女装」の世界でも実生活ではものすごくマッチョな男性がマッチョな女装を極めていく傾向がかつては見られました(今は遠ざかっているのでわかりませんが)。それは渡辺先生が「神聖少女都市…」で鮮やかに描き出して見せて下さった「究極の自己愛」かな、なんて思いました。
ネットでは「おじさん」が「美少女」の着ぐるみを着るような現象が加速しており、渡辺先生の『少女論』のなかでの論考の素晴らしさが今になって輝きを増しているようで感心するばかりです。
それでは。

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