« フッサール心理学(50):『涼宮ハルヒの消失』に感動し、「優しい忘却」の歌詞を掲げるの巻/コミュ障の現象学から見た長門有希 | トップページ | フッサール心理学(51):涼宮ハルヒは自我体験の夢を見たか »

2018年10月 5日 (金)

夢の現象学(149):「現実世界での過去の夢」が「夢世界での現実の過去」になるの巻/大聖堂様式の三越のファサードで重量を支えるスフィンクスが立ち上がるの巻

■2018年9月22日(土)。早朝。(11月下旬のはずの)質的心理学会沖縄大会に参加していた。なぜか一家4人揃っていた。

 そこは大きな日本旅館のホールのようなところだった(過去の夢で見覚えがあったような)。入場してくる顔見知りに挨拶をしていたが、「なぜかみんな精神科医だ」と思った。私の企画したシンポジウムのタイトルに「精神医学と現象学的心理学から見た‥‥」という文句がはいっていたからだろうか。同じシンポジストの新山さん(精神科医)もいたような。
 前後がはっきりしないが、やはり精神科医で、夢の中では知り合っていることになっている人物に挨拶された。
 名前がなかなか出てこない。
 それでも、頑張って何とか思い出して、「安田先生‥‥」とか言った。スピリチュアル系の研究会が、東海地方の山間の合宿形式であった時に見た顔だ(目覚めてからは、見知らぬ顔だと思った。研究会合宿というのも、「夢世界の中の現実の過去」にあったことになっているが、現実世界から見たら過去の夢のことだ)。
 そのあと、私がいる一画の群では、40年前に超心理学会で知り合ったやはり精神科医の長崎鋼典先生(故人)がいて、別の群の、やはり精神科医の誰かと引き合わせているところだった。その誰かが「安田先生」だったかもしれない。
 その後、家族が席を占めているテーブルに行き、長女と何やら出された料理の中の食べ物について話していた。後は思い出せない。
 (午前十時半。図書館側の喫茶にて)。
■2018年10月5日。京都にいた。人生の最終段階を迎え、京都で有料老人ホームに入っていたのだった。
 ホームは大部屋で、入居者同士が大勢で雑魚寝をするのだった。(かつて高知大に勤めていた頃によく利用していた宇高連絡船や、高知大阪南港間のフェリーの船室に似ていた)。そこで私は、寝言か譫言に見せかけて自分の死生観を、つまり遍在転生観を語ってやろうか、などと思っていた。
 次に憶えている場面では、ホームから外出して京都の町を散策していた。すると、右手に(地理的に北白川あたりだったと目覚めてから思ったが)、デパートが見えてきた。三越だった。現実の三越とは無関係の、ノートルダム大聖堂のような形をしたビルだった。建物のファサードの下部には、牛だか獅子だかの巨像が、スフィンクスのように蹲って建物を支えていた。
 さらに足を伸ばすと(地理的に下賀茂の辺りだったと目覚めてから思ったが)、やはり右手にまた三越があった。ほぼ同じ様式の建築だった(この辺で、三越1から三越2まで冬の夜になったら明かりに照らされて‥‥歩くのもいいな等と、ファイナルステージにそぐわないことを考えていた)。
 ただ一つ、違ったところがあった。ファサードの下部に蹲っていた牛頭スフィンクス巨像が、ここでは立ち上がっているのだった。
 私は(誰かはっきりしない)連れに、「あれ、このスフィンクスは、がんばって立ち上がってるよ」と言った。
 記憶では前の三越1でと同じく、この三越2でも、蹲った姿勢で巨大な建築を支えていたはずなのに。もしほんとうに、「がんばって」立ち上がったのだったら、超常現象じゃないか‥‥などと、考えたか連れに話したかした。
 そのうち目が覚めた。
■人生のファイナルステージという設定は、別件で2年ばかり抗ホルモン療法で治療を続けている上に、今週初めの病院の検査でポリープ摘出術を勧められたりして、いよいよその時期が近いなと実感したことが下敷きになっているのだろう。
 老人ホーム云々は、亡母を東京から同じ市内の老人ホームに入れて、訪問するごとに散策に連れ出した経験がもとになっているようだ。小奇麗なホームで、自分もその時になったら入れれば、などと思っていた。それも10年前のことになってしまったが。
 スフィンクスが立ちあがっていたというのは、故・横山光輝作の名作『バビル二世』の続きという設定の『バビル二世リターナー』というマンガで、そんな場面があったのが連想される。けれども、ノートルダム寺院の建築様式の三越デパートというのには心当たりがない。目ざめて思い起こすと、パリのノートルダムよりは、車で通って観光をしただけのベルギーの古都ゲントで目にした黒ずんだ古い聖堂建築の方に似ていた気がする。
 北白川から下賀茂上賀茂にかけての、つまり京都の北東の区画を歩いている夢は、何度も見ている。実際に京都に住んでいたのは十代末から二十代を通じてだったが、夢の中の京都は現実に記憶の中にある京都とは色々と異なっている。現実の京都とは独立に夢世界の京都がいつもどこかに存在していて、それが時々夢に出てくる、という感じだ。
 けれども、なぜ京都の老人ホームに入居して、外出すると大聖堂建築様式の三越が二つもあり、ファサードの下部で牛頭スフィンクスが建物の重量を支えていたりするのだろう。
 理解しがたいとしかいいようがない。
●●●『人文死生学宣言:私の死の謎』(渡辺恒夫・三浦俊彦・新山喜嗣/編、春秋社、2017)好評発売中●●●
●●●新感覚のオープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』は、創刊に向けて原稿募集中です。詳しくは下記サイト参照
エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくは上記サイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
原著論文、研究企画、翻訳(以上は査読あり)、ブックレビュー、映像メディア時評、学会・研究会参加印象記、その他随想など幅広いジャンルの投稿を期待しています。投稿は無料です。詳しくは上記サイト中「Call for Papers」の「投稿・執筆規定」をご覧ください。

« フッサール心理学(50):『涼宮ハルヒの消失』に感動し、「優しい忘却」の歌詞を掲げるの巻/コミュ障の現象学から見た長門有希 | トップページ | フッサール心理学(51):涼宮ハルヒは自我体験の夢を見たか »

哲学」カテゴリの記事

心理学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/501358/67196674

この記事へのトラックバック一覧です: 夢の現象学(149):「現実世界での過去の夢」が「夢世界での現実の過去」になるの巻/大聖堂様式の三越のファサードで重量を支えるスフィンクスが立ち上がるの巻:

« フッサール心理学(50):『涼宮ハルヒの消失』に感動し、「優しい忘却」の歌詞を掲げるの巻/コミュ障の現象学から見た長門有希 | トップページ | フッサール心理学(51):涼宮ハルヒは自我体験の夢を見たか »

電子ジャーナル:こころの科学とエピステモロジー

ブログの主の最新刊

無料ブログはココログ
2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

人文死生学研究会