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2018年8月の記事

2018年8月18日 (土)

夢の現象学(148):教祖一代記を夢みてもう一つの現実を生きていた充実感が残ったの巻

■2018年8月1日。

 夢記録ノートから写す。ノートに日付がないが、見たのは7月下旬だったはず。
 カルト宗教(オウム真理教のような)の教祖の一代記を夢みた。富士山のような高山での修行。その頂上付近は大文字山の山頂を連想させる斜面となっていて、そこを歩いていた記憶。
 それ以外に思い出せることが何もないのに、目覚めた直後には、もう一つの現実を生きていたという、ずっしりした充実感があった。
■2018年8月17日(金)。
 夢の中では大学の開講日だった。開講日なのに時間割が分からず、自分の担当授業がどの教室になっているかも分からず、あせっていた(この種の夢はよく見る)。事務室の前の露台のような場所に時間割が並んで置いてあるという情報があったので(視覚的に見えた)、行こうとしていた。
 気がつくと私は、パジャマの上にガウンを羽織っただけの姿だった。家に引き返すか、間に合わないようならこのまま押し通すか、等と迷った。小野学部長の姿があった(ここから目覚めてから東邦大学だったと解釈したらしい)。
 私の教える科目は(心理学ではなく)哲学になっていた。初めての科目なので、死について話そうか、等と考えた。そのうち目が覚めた。
■最後の死について話す云々は、11月で沖縄である質的心理学会のシンポ「人文死生学宣言の誕生」で話すことを考えていることに関係がある。
 前回のブログにも書いたが、死は生に比べて無限に悪いという死の害の説は、生の日常性と死の非日常性の距離が無限であるところに由来している。
 対策としては、生の非日常化を図ることだーーと、ここまで前回のブログで書いた。
 最近考えていることは、
 死の非日常化には二つの途があります。
 1)同時代の全ての他者がゾンビであることに気づくこと。でも、これはあまり薦められません。なによりも難しいし、下手に気づいたら人間関係がうまくいかなくなる危険性がある。
 2)夢日記を付けること。これなら誰でもできるかもしれません。夢日記を続けているうちに、夢と夢とがおもったよりつながり合っていて、現実の生に劣らぬ実在性を秘めていることに気がつく可能性があります。こうして、現実世界も夢世界の一種に過ぎないことが実感されてくる。生が非日常化されるのです。
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エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくは上記サイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
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2018年8月 8日 (水)

フッサール心理学(49):質的心理学会(沖縄)での「人文死生学シンポジウム」での企画趣旨案の巻

■今年(2018)の質的心理学会大会(沖縄県名護市、11月24日)で、「『人文死生学宣言』の誕生」という副題のシンポジウムを行うことが決まったが、私は話題提供を遠慮したので、代りに「企画趣旨」を限られた時間でいかに有効に語るかを考えている。


 順序としてはこうだ。
→まず自己紹介として、大会受付で展示販売中の『質的心理学研究』最新号に、「他者になる夢の現象学的解明ーーフッサール志向性論による主題分析」という論文を載せていることを紹介した後、次のように論理を進める。
→この論文は、現実では他者になれないのになぜ夢では他者になれるかを、フッサール現象学によって解明したものです。
→解明の結果、驚くべきことが判明しました。
→他者になる方法は、夢を見る以外に、もう一つあることが分かった。
→それは、
→私が死ぬことである。
→といったことが、『人文死生学宣言』の私が執筆した第4章「他者とは時間を異にする私なのか」に書いてあります。
■次に、死ぬことは生きることより無限に悪いという「死の害」の説について一言する。この説は、自然科学万能の風潮に追随し続けている現代英米哲学で流行っているらしいが。
→生よりも死の方が無限に悪いという感覚は、科学技術的合理性に貫かれた現代にあっては、生の日常性と死の非日常性の間の距離が無限となっている所に由来する。
→したがって生を非日常化することが、有効な「感性的」反駁となる。非日常性同士で、生と死の距離が縮まるから。
→生の非日常化は(私の場合)次のような道筋をたどる。
1)自己の唯一性の自覚(→他者のゾンビ化)。=非日常化!
2)それでも、自他の等根源性の要請を断念しない。
3)1+2→人間的世界経験の根源的パラドックスへの直面=非日常化!
4)パラドックス解決としての、「他者とは時間を異にする私」という死生観の展開
■最近、福島県の亡母の実家の叔母の葬式に行ってきた。
焼香から始まって出棺、焼場での骨拾い、斎場に戻っての酒宴と、伝統に則った式次第に参加して思ったことは、葬式仏教などと悪口を言われながらも、結構、生の非日常化に貢献しているのではないかということだった。
 葬儀のセレモニーは、確実に生を非日常化して死との距離を縮める。
 これは貴重な文化的伝統というべきだろう。
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