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2018年7月の記事

2018年7月25日 (水)

フッサール心理学(48):アンドレ・ジッドの自我体験(?)

■サルトルは『ボードレール』の中でこう書いている。

‥‥誰でも幼年時代に突発的で、圧倒的な自意識の目覚めを経験する。ジードはそのことを『一粒の麦』で書いた。彼のあとではマリア・ル・アルドアン夫人が『黒い帆』で書いている。だが『ジャマイカ島の颱風』を書いたヒューズほどこのことを巧みに語った者はいない。‥‥(p.11)

  サルトルは、ヒューズの例しか具体的には引用していない。けれども、この記述を受けてSpiegelberg (1961)が、マリア・ル・アルドアンの例とヒューズの例を引用考察し、さらにコーンスタムが『子どもの自我体験』(金子書房、2016)の中で引用考察している。ところが、ジードの例は、サルトルが名を出しているだけで、誰も引用していない。

 今回、ジードの『一粒の麦もし死なずば』を改めて読み返して見て、サルトルを含めて誰も具体的に引用していないわけが分かった。自我体験であることが分かりにくいのだ。

 とにかく、該当すると思われる一節を、下記に書き出しておこう。

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 数年後、父の死の直後のこと。つまり僕は十歳になっていたわけだ。舞台はまたしても朝の食事の食卓だ。ただし、今度は、母と僕とは差し向いの二人きり。その朝、僕は学校へ行ってきたのだった。何ごとがあったものか?何ごともなかったものらしい‥‥・。それなのになぜ僕は、急に泣きくずれて、母の膝に倒れ、すすり泣いたり、痙攣(ひきつけ)たりしたのだろうか。あの幼い従弟が死んだときとまったく同じな、あの説明しがたい苦悶を感じたものらしかった。とにかく、僕のうちにある見知らぬ海の特別な閘門が急に開きでもしたかのように、波が僕の心の中におびただしく流れこんでくるのだった。僕はさびしいというようむしろ恐ろしかった。だが、僕がすすり泣きながら絶望的にくり返しているつぎの言葉を、わずかに聞くだけの母に、どうしてこれを説明することができよう?
 「僕は皆と同じでないんだ!僕は皆と同じでないんだ」

 (アンドレ・ジッド『一粒の麦もし死なずば』(堀口大学/訳、新潮文庫)p.137)
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 確かに、この最後の行の意味はわかりにくい。念のため原文をみると次のようになっている。
--Je ne suis pas pareil aux autres! Je ne suis pas pareil aux autres!
(André Gide: Si le grain ne meurt. Éditions Gallimard, 1955, p.133.
 これでは堀口大学以外に、訳しようがないと思われる。あるいは自我体験というより、独我論的体験が入った体験だったかもしれないが。
 ともあれ、Spiegelbergのように質問紙調査をやったわけではないが、サルトルは「事例」を3つあげている。事実上、自我体験研究の先駆者といえるのではないだろうか。
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エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくは上記サイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
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2018年7月 4日 (水)

夢の現象学(147):夢を思い出そうとしているうちに一昨日の「フランス語圏発達心理学文献を原典で読む会」のことを思い出したの巻

■7月2日(月)。早朝、夢を見た。スケールの大きな物語が進行していたが、ほとんど思い出せない。なにやら着流し姿の江戸の侍がいたような憶えがある。侍は巨大な力を秘めているようだった。けれども、途中から「妥協」があったような。

 記憶の緒をたぐり寄せようとしているうちに、夢ではなく土曜日に早稲田であった、「フランス語圏発達心理学文献を原典で読む会」のことが思い出されてきた。
 その会での中心人物の加藤義信さんの配布資料「フランス語圏発達心理学をフランス語で学ぶ効用(と限界)」にあった、「今世紀初頭以来、日本の大学や研究機関で進行している事態は‥‥「制度化」と「国際化」の急速な進展として理解できる」という部分が、印象に残っている。
 「「制度化の進展とは?」
 ・多くの研究者が専門分化した共通の学会に組織され、
 ・共通の専門用語が教科書的に体系化され、それによっ「て互いのコミュニケーションが可能となり、
 ・問題意識とっ方法における研究パラダイムを他の研究者と共有して、
 ・そのパラダイムの範囲内での「累積科学」への貢献と見なされ得るデータを産出し、
 ・それを共通のフォーマットに則った論文にまとめて、
 ・専門の学術誌に発表することによってプライオリティを競い、
 ・そうした専門家集団を再生産する学位・資格制度が整備された体制。
 「国際化」の進展とは?
 ・こういう「制度化」が、英語を唯一の共用語としつつ地球規模で進むこと。」(加藤、2018、p.1)
 確かに、こういう風潮から見れば、加藤さんは自分でも言っているように、「辺境人」かもしれない。すると、私はどうなるのか。研究会冒頭、自己紹介を加藤さんの次にする破目になって、「加藤さんが辺境人なら自分は宿無しの放浪者だ」といったことを言ったのだったが。今から考えれば、自己規定としては「異世界人」とでも言っておけばよかったのだ。
■フランス中世文学に親しむの巻
 フランスついでだが、今日は図書館で『フランス中世文学集』の第2巻を借りだし、クレチャン・ド・トロワ作「荷車のランスロ」を(もちろん翻訳で)読み始めたが、めっぽう面白い。ランスロとは、英国版アーサー王物語に出てくるランスロットのこと。アーサー王物語の定本ともいえる、15世紀のマーロウ作「アーサー王の死」の最も主要な種本でもある。12世紀のクレチャン・ド・トロワの方は、ロマンス、つまり中世のロマン語で書かれた叙事詩の作者の中で最も有名な人物。いわば、吟遊詩人(トゥルヴァトーレ)の総元締めというところか。
 最近よく思うのだが、私の教養の原点は、10代に親しんだヨーロッパ近代文学にある。その中でも10代前半で特にお気に入りだったのが、ゲーテの「ミニヨンのうた」やノヴァーリスの「青い花」に代表されるロマン派の文学だった。そのロマン派の源流となった12世紀のロマンスの作者の中でも名前だけは憶えていた、クレチャン・ド・トロワの物語詩を、散文訳とはいえ手軽に読める日が来るとは思わなかった。
 まだまだ、読みたい物語、読まずに死んだら心残りだろう物語はいくらでもありそうだ。この本の中でも、同じ作者の聖杯物語が収められているし。
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2018年7月 3日 (火)

夢の現象学(146):夢3題(天文学の科学社会学/トイレの研究/巨大蛇が襲う)の巻

■2018年6月12日。夢を見た。天文学の科学社会学という講座を主催していた。白鳥座のデネブが云々といった中味が思い起こされる。

 そのうち、二つの提案を学生たちに提示したのだった。それは、(1)理学部天文学専攻の見学、(2)隣の、やや似たような傾向の、S氏がやっている講座との連携、であった。ところが反対する学生(男子)が二名ほどいた。(起きてから思い起こしても、顔は見覚えがない)。それでも、反対をものともせずに決行しよう、などと考えた(午前10時。世田谷のS駅近くの喫茶にて)。

  天文学の科学社会学に関しては、だいぶ前にそのような研究を読んで(ラトゥールだったかな)、こんなことをやるよりは天文学そのものをやった方が良かっただろうに、と率直な感想を抱いたことが思い出される。S氏は質的心理学会の幹部だが、科学社会学をやっているわけではない。よく分からぬ夢だった。
■2018年6月13日(水)。早朝4時ごろ。夢を見た。
 トイレの研究(?)をやっていた。C駅から私鉄のK駅のまでのガード下にショッピングモールが複数続いていて、一つずつトイレがあったが、そんな構造の建物にいた。
 一番奥まった建物のトイレが最も居心地がよさそうだった。
 その、4つ並んだ個室トイレの最も奥の部屋に住む工夫を、いろいろしていた気がする。(午前11時。喫茶とドールにて。)
■2018年6月23日(土)。早朝、スケールの大きい夢を見た。
 夢の認知科学のO氏が出てきて、何やらの研究集会に出てくれと言われたような、その逆に出てくれと云ったような、気がするが、どちらかはっきり思い出せない。そのうち、どこやらの大学か研究機関で飼育していた巨大蛇が逃げ出したという情報が入った(どうやって知ったのかハッキリしないが、情報として直接入ってきたのかもしれない)。
 これまた思い出せない理由で、巨大蛇は我々の研究グループを襲撃するらしいという。雑木林の生えた丘陵を越えて逃げる。同行者がいたかははっきりしないが、合流点には国際総合研究機構のKさん(女性)もいたような。
  川のほとりに出た。これで逃げ切ったと安堵していると、また、巨大蛇は川の近くに向かっているという情報が入った。ただし、蛇のターゲットは我々ではない別のグループらしい。が、とにかくまた逃げ出さなければならない。
 この辺で目が覚めた。
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