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2018年6月 9日 (土)

夢の現象学(145):拙著『夢の現象学・入門』のエピグラフに、よりふさわしかったボルヘスの詩の巻

■2018年6月8日。図書館で、『ボルヘス詩集』を何気なくめくっていると、「夢」という作品が目に留まった。一読して、これこそ、一昨年に出版した『夢の現象学・入門』のエピグラフにふさわしかったのに、と思った。

 ちなみに実際のエピグラフには、ホフマンスタールの「世界の秘密」から抜粋して使ったのだった。
 こんな具合だ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
深い泉はよく知っている、
かつてはだれもが深く、おしだまり、
だれもがそれを知っていた。
深い泉はそれをよく知っている、
泉に身をかがめ、一人の旅人がそれをとらえ、
とらえてまたそれを失くした。
深い泉はよく知っている、
かつてはだれもが知っていた、
いまは夢が、輪をかいてふるえめぐるばかり。
――ホフマンスタール「世界の秘密」(一八九四)より、一部を改変・省略して引用。
  (『夢の現象学・入門』渡辺恒夫著、講談社選書メチエ、2016、p.2)
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 この引用で気になっていたのは、原詩の全12連のうち3連しか引用していないし、おまけに最後の行に出てくる「夢」と、本のテーマである「夢」とでは意味がずれていることだった。
 その点、ボルヘスの詩は、本の内容にもふさわしい。
 以下に全体を引用する。
■ボルヘス作「夢」
 そこここの時計が惜しげもなく
 時を振る舞うころ、
 わたしはウリッセースの舟子らを遥かに越えて、
 人間の記憶の及ばない、
 眠りの地へと赴くだろう。
 そしてその海中に没した土から、いまだに謎の解けない遺物を拾い上げる。
 素朴な植物学の草花、
 いかにも雑多な動物、
 死者たちとの対話、
 実は仮面である顔、
 非常に古い言語に属する言葉、
 白昼がわれわれに与えるものとは
 比べられない、たまさかの恐怖。
 私は万人であるか何者でもないかであり、
 それと知らずにわたしである他者であり、あの別の夢、
 わたしの目覚めを見た者であるのだろう。彼はそれを、
 諦めの微笑を浮かべながら裁いていくのだ。
   (『ボルヘス詩集』 鼓直/訳編、思潮社、1998、p.90)
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
 ところがこの詩集には、下に引用したように、更にいっそうエピグラフ向きだった作品がある。いまからェピグラフを差し替えるわけにもいかないので、次に出す本には、ぜひボルヘスから拝借したいものだ。といっても、目下計画しているコミュ障本は、ボルヘス向きでもないのだが。
:
■ボルヘス作「デカルト」
 わたしは地上で唯一の人間である。おそらく、地上も人間も存在しないのだろう。
 おそらく、ある神が私を欺いているのだろう。
 おそらく、ある神が罰として時を、あの大きな幻影をわたしに与えたのだ。
 わたしは月を夢みる。月を捉えるわたしの眼を夢みる。
 わたしは最初の日の夕べと朝を夢みた。
 わたしはカルタゴとカルタゴを劫略した軍団を夢みた。
 わたしはルーカーヌス〔註 ボルヘスの友人〕を夢みた。
 わたしはゴルゴダの丘とローマの十字架を夢みた。
 わたしは幾何学を夢みた。
 わたしは点と線、平面と体積を夢みた。
 わたしは黄と青と赤を夢みた。
 わたしは虚弱な少年時代を夢みた。
 わたしは地図と王国、あの夜明けの決闘を夢みた。
 わたしは想像を絶する苦痛を夢みた。
 わたしは剣を夢みた。
 わたしはボヘミアのエリザベートを夢みた。
 わたしは疑念と確信を夢みた。
 わたしは昨日という日を夢みた。
 おそらく、わたしに昨日はなく、おそらく、わたしはまだ生まれていない。
 おそらく、わたしは夢みたと夢みている。
 わたしは少し寒気がする。少し不安である。
 ダニューブ河に夜が訪れている。
 わたしはデカルトを、彼の両親の信頼を夢み続けることにしよう。
           (『ボルヘス詩集』 鼓直/訳編、思潮社、1998、p.115-116)
●●●新感覚のオープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』は、創刊に向けて原稿募集中です。詳しくは下記サイト参照
エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくは上記サイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
原著論文、研究企画、翻訳(以上は査読あり)、ブックレビュー、映像メディア時評、学会・研究会参加印象記、その他随想など幅広いジャンルの投稿を期待しています。投稿は無料です。詳しくは上記サイト中「Call for Papers」の「投稿・執筆規定」をご覧ください。

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コメント

ボルヘスの詩はウィトゲンシュタインの言葉「歴史が私にどんな関係があろう。私の世界こそが最初にして唯一の世界なのだ。」を思い出させました。
最近読んだ本にまた独我論的体験を見つけたのでおこがましいですが、書かせていただきます。出典は以前も書かせて頂いた東京大学大学院総合文化研究科教授の岡ノ谷一夫先生の本です。

ーカプグラ症候群は、自分の親しい人が偽物なんじゃないかと思ってしまう精神疾患の一種で、僕は小学生のとき、これにかかったのだと思います。
僕のお母さんに、「どう考えても、あなたはロボットだと思う」と伝え、でとこう考える自分がおかしいと思うので、病院に連れて行ってくださいと頼み、病院に行きました。いろんな検査を受けて、お医者さんも困り果てて、「心の病気です」と言われました。そんなことは最初から、自分でわかっていたのにね。
入院している間に三島由紀夫が割腹自殺しましたが、僕が入っていた病棟にはテレビがなくて、退院してから知りました。2週間くらい入院していたと思います。
先生がクラス全員に書かせた手紙をもってきてくれて、その中に僕の好きだった女の子の手紙もあり、それを読んだらやさしいことが書いてありました。人を好きになる気持ちを思い出したら、なんだか治ってしまいました。
岡ノ谷一夫著「つながりの生物学」pp228

失礼いたしました。
つながりの生物学ではなく、つながりの進化生物学でした。

『つながりの進化生物学』の該当箇所を読みましたが、著者の自己診断のカプグラ症候群ではなく、おっしゃる通りの独我論的体験ですね。
 カプグラ症候群なら、「お母さんそのもの」がどこかに消えてしまって、目の前の人はニセモノと感じられます。ところがこの例では、「お母さんそのもの」がそもそも存在しないという事態の認識を、ロボットと表現しているように思えます。
 この本をざっと見ただけでも著者の並々ならぬ知識と感性が窺えるにもかかわらず、「カプグラ症候群」のような自己誤診をしているのは、多分、哲学学説の独我論は知っていても、発達心理上の現象としての独我論的体験の存在を知らなかったためと思われます。

返信頂きましてありがとうございございます。紹介させていただいた本も読んで下さり恐縮です。
岡ノ谷先生が書かれたカプグラ症候群という箇所は、カプグラ症候群ならばそんなに簡単に治るものだろうか、と私も違和感を感じました。
先日、ある機会があり岡ノ谷先生にお会いできたのですが、遍在転生観のお話も岡ノ谷先生はされていて渡辺先生のお名前も出されていました。それなのにご存知ないいうことも不自然な気もしますが、『つながりの進化生物学』を出されたときにはご存知なかっただけかも知れません。
貴重なお時間を毎回頂き、非才な一学生の譫言に返信をして下さり本当にありがとうございます。

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