フッサール心理学(47):ボーヴォワールの自我体験(意識の超難問体験)の巻/夢の現象学(143):恐竜のような長い首の列車に乗って高知に行くの巻
■シモーヌ・ド・ボーヴォワールの自伝シリーズ『決算のとき』の冒頭に、深い自我体験、しかもその中核となる「意識の超難問体験」を発見したので、引用しておく。
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最近出版され最近読んだ西平直先生の「誕生のインファンティア」と岡ノ谷一夫先生の「脳に心が読めるか?ー心の進化を知るための90冊」にほぼ自我体験と言っていい事例が記載されていて、自我体験がかつてより市民権を得てきたのか得てきてないのか分からない今日このごろでございます。
投稿: フラワーアイランド | 2018年5月10日 (木) 01時16分
情報有難うございました。そのうち読んでおきます。
自我体験研究は国内だけでやっていても市民権を得られないと思います。認知心理学者Neisser(1988) が提案した5つの自己のうち、private self とconceptual self の間の矛盾の意識が、現象学者のSpiegelberg(1964) の言うI-am-me experienceであるという理論的枠組みの元に、国際誌への投稿準備を進めているのですが、(当然ながら英語なので)なかなかはかどりません。その元になった、昨年日本であった国際学会ISTPで口頭発表した"Phenomenological approach to the developmental study of 'self': In Europe and Japan"
の原稿を、researchmap
(https://researchmap.jp/read0027589)
からダウンロードできるようにしておいたので、何年か後に英語で論文を書くことに興味が出てきたら、思い出して読んでみて下さい(笑)。
投稿: fantastiquelabo | 2018年5月11日 (金) 22時35分
ご返信ありがとうございます。どんな学問でもそうだと思いますが心理学は特に(?)国内だけでは世界的には見向きもされず世界的に見向きもさらなければ国内でも見向きもされないと痛感しております。自我体験の研究そのものもビューラーやシュプランガーがいなかったらと思うとなんとも言えない気持ちになります。
論文の方お教え頂きありがとうございます。論文の方拝読させていただきます。
英語の論文は翻訳会社に依頼されるわけではなく先生ご自身で書かれているのですね。自分も英語の勉強を頑張らなくてはと思うと同時に敬服いたしました。
投稿: フラワーアイランド | 2018年5月12日 (土) 00時43分
たびたび申し訳ありません。
先程の自我体験例と合わせて、°C-uteというアイドルグループの哲学とはなんの縁も無さそうな女の子がラジオで話した子どもの頃の独我論のエピソードが非常に面白かったので、もしかしたらご視聴になられているかもしれませんが貼り付けさせていただきます。先生が論文で書かれていた独我論の偶発的事例とはこういうことなのかなと勝手に思っています。
https://youtu.be/hACB4iIpK_I
投稿: フラワーアイランド | 2018年5月12日 (土) 01時15分
youtube見ました。まさに典型的な独我論的体験ですね。他人がニセモノだと分かった瞬間にバレたとばかり神さまがホンモノの他者を創造したという神話は、自明性の扉が最終的に閉じてしまった瞬間を、寓意しているのだと思います。それまでは日常世界の存在は自明ではなく、トルゥーマン・ショウの世界で、何もなかったはずの壁に突然扉が開いて大勢の人が自分を見物していることが一瞬バレたりするような、自明性の亀裂が時々生じていたものが、最終的に自明性の世界を疑うことが出来なくなり、その後は単なる記憶としてのみ残るような、そんな瞬間を。
意義あるデータとして、テクストに落として保管しておくのがいいです。哲学と異なり心理学ではデータの収集が基本ですから。
投稿: fantastiquelabo | 2018年5月14日 (月) 20時48分
ご返信ありがとうございました。人がこのような体験を持ちうるということが人が孤独でありそもそも持つ原罪なのかとさえ思えます。自分なりに細々と自明性とは何かということを探求して行きたいと思います。
投稿: フラワーアイランド | 2018年5月20日 (日) 00時28分