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2018年3月の記事

2018年3月17日 (土)

夢の現象学(142):北極圏の街にいた夢の巻/ダライラマの花嫁の夢の巻/

■2018年3月15日。朝。北極圏の街にいた。アラスカらしい(と思ったのはひょっとして目覚めてからの推測かもしれない。夢の中で分かっていたのは北極圏だということだけ)。街中で、女の人ふたりが立ち話をしているところに、野良犬が来て、後足で立ち上がり、一方の女の人の胸に鼻先を押し付ける。明らかに、飼ってくれという意思表示だ。相手にされないとみると、二人が別れた後、もう一方の女の人の後を追い、やはり後足で立ち上がって、今度は前足を突き出して押し付けながら付いてくるのだった。そんな光景を見て、家に帰って家族に話したような‥‥

 北極圏の街にはまったく心当たりがない。数日前、家でテレビを見ていて、北欧の街でオーロラを見る話が出てきた位だろうか。野良犬の仕草も見たことがない。以前、戦後すぐの闇市にいるという、他人の人生の一コマを覗き込んだような夢を見て、『夢の現象学・入門』に載せて考察したことがあった。この夢にも、他人の人生の一コマを覗き込んだような薄気味悪さがある。

■「ダライラマの花嫁」という題がピッタリの奇想天外な夢。

 2018年3月17日。早朝。私は、次代のダライラマ何世だかを生む定めになって、現ダライラマの元を訪問することになったのだった。ダライラマの側近(?)と、もう一人日本側の代理人(?)の二人が同行していた。大きなホールのような建物に入り、ダライラマ側の側近が、その建物にいた係員(?)に、来意を告げる。私は恥ずかしかったが、これも宗教的にして政治的でもある聖なる儀式の一環なのだと自分に言い聞かせて、気を取り直した。

 前後関係がもう思い出せないが、ホールでは、最終的な筆記テストを受け、無事、次期ダライラマを産む資格が、公的に付与された。

 ホールの内部は薄暗く、ひと気がほとんどない。大きなホールの内部にさらにいくつか小規模のホールがあるという、映画館と云うかシネマックスのような構造をしていた(ということに、眼が覚めてから気付いた。)他に思い出せることはもはやないが、妙にリアルな夢だった。後で、「ダライラマの花嫁」という題がピッタリだと思いついた。それにしても、次代のダライラマを産む定めになって現ダライラマの元に行くだのと、こんな突拍子もない夢はさすがに見たことがない。目が覚めている限り、逆立ちしても出てこない奇想天外ぶりだ。ダライラマのことなど、普段は考えないので、連想しても出てくるものがないのだが。

 シネマックスに関しては、一月ほど前に、運転免許証を返上しに試験場に行った後に東京湾岸沿いのシネマックスまで足を延ばし、「The Promise君への誓い」という映画を見たことが思い出される。百年以上前の、第一次世界大戦が始まったころのオスマントルコ領で起こった、アルメニア人虐殺を題材とした映画だった。家族全員を殺された主人公のアルメニア人医学生が、「復讐したい」と呟く。それを聞いた友人が、「生き延びることが復讐になる」と答えるのが印象に残った。このやり取りが伏線となって、その後はアメリカに渡ってかの地で成功したらしい主人公が、最後は養女(やはり虐殺の中で孤児となった少女)の結婚式に、同じくアメリカに逃れてその地に根を張ったアルメニア系の一団が大勢つめかけて、祝福をしてフィナーレとなる。生き延びたのだ。

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エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくは上記サイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
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2018年3月 5日 (月)

夢の現象学(141):高校時代のクラスメートの家を訪ねるの巻/オープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』が創刊に向けて原稿募集中

■2018年3月4日。朝。氏原君の家を訪ねる夢。氏原君とは高校時代のクラスメートで、高1の時に学内同人誌に載せた小説が文芸誌の同人誌評に取り上げられて、同世代の中では抜群の才能と激賞された人物だ。私も当時読んだが、サルトルの「嘔吐」に雰囲気が似ていて、もっと気品のある文体で描かれた短編で、率直に凄いなと思わないではいられなかった。当時は、クラスの誰しもが、遠からず若き天才作家としてデビューすることと思っていたものだ。

 早稲田の仏文に進み、早稲田文学や他にも文芸誌に2、3作載ったことを、風の便りに聞いていたが、それからは消息を聞かなくなった。数年前に、ふと気になってネット検索してみたところ、仏文科出身の銀行家として国際的に活動しているとのことだった。

 その氏原君の現在の家を訪ねたのだった。平屋で、自家用の畑があった。奥さんもいたようだ。本人の顔は、半世紀以上前に知っていた顔とは違っていたが、夢の中では気にならなかった。何を話したかは憶えていないが、「非常勤で食っている」といったことを、本人の口から聞いたか、第三者視点てそういうことにして辻褄を合せようと思ったのか分からないが、記憶に残った。そのうち目が覚めた。
■抜群の才能と激賞された天分にもかかわらず、どうして作家として大成できなかったのだろうか。そもそも、同年生まれで作家になった例というのを聞いたことがない。1年下なら、津島祐子、金井美恵子、中上健次、といるのだが。
 この3人に共通するのは何か。二人は女性である。中上健次は高卒で紀州から上京した。東京のエリート層の出身である氏原君に比べれば、三人共いわば周縁人(マージナルパーソン)といえる。そう、ちょうど大学紛争の時代で、文学でもマージナルが持て囃されていたのだ。  
 そんな、文学を評価する尺度にも非文学的なイデオロギーが介入するような、集団主義的(collectivist)な風潮が猖獗を極めた時代だったのだ。特に彼の進学先など、革命的共産主義者同盟○□派のような、(『全体主義の起源』の著者ハンナ・アーレントの名がポピュラーになった今でこそおおっぴらにこう言えるが)コテコテの全体主義(totalitarian)集団が支配していたのだから。
 彼の文章で、集団主義への真底からの嫌悪が滲み出たものが印象に残っている。きっと、時代の逆風を鋭敏にも感じ取って、文学から、というより文壇とかジャーナリズムとかいう世界から、賢明にも身を遠ざけたのかもしれない。そんなことを、眼が覚めてから考えた。
 ちなみに、高校時代はそれほど親しかったわけではない。それ以前に、今でいう「学校カースト」を当時に当てはめれば最上層にいた彼は、最下層にいた私など話しかけるのも恐れ多い存在だったのだ。
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