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2018年2月の記事

2018年2月28日 (水)

夢の現象学(140):殆ど巨樹一本から成る鎮守の森の巻/オープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』が創刊に向けて原稿募集中

■2018年2月24日朝こ
 小さな神社の鎮守の森にいた。この森がどうやら、殆ど一本の巨樹から成っていることに気づく。真上を見上げると、真っ直ぐな幹が斜めにはるかの高みにまで達している。巨樹はまた、ふた股に分かれている。斜めになっている幹を支える他の大木があり、複雑な形状に枝分かれしているが、よく見ると、枯死しているようだ。ほかの独立した樹は、高さも幹の太さも比べ物にならない。
 茂った枝の奥が洞みたいになっていて、そこに小さな祠が鎮座している。浅間神社だ。一円玉を小さな賽銭箱に投げ入れて拝する。
 私は、合宿に行かねばならないのだった。今は12時半過ぎだから、まず昼食を取らねば。いつの間にか、京大教養部にいることになっていた(夢で何度か行ったことがある)。食堂に入ると、まだ昼食の料理が残っていて、何人か学生が食事中だ。合宿はどこに行くのだろう、と思った。他のみんなは昼食からして一緒だが、例によって私一人がはぐれている。そもそも、合宿の参加者の中に顔見知りからしてほとんどいない。
 過去の合宿でも、何度かはぐれかけた苦い思い出が浮かび上がってくる(実際は他の夢の記憶だが、この夢の中では現実の過去と言うことになっていた)。
 卒業旅行としての合宿だが、ふと、別に行かなくともいいのだ、と気づき、気が楽になった。
■「真っ直ぐな幹が斜めにはるかの高みにまで達している」という光景は、つい10日前にも行った、神明社の境内だ。実際にはアカマツで、群を抜いて高い。それなにの、他の2本の大木には幹にしめ縄が巻いてあるのに、何も巻いていない。神木扱いを受けていないのだな、等と思うことがある。
 枯死した樹は、やはり10日前に見た祖師谷の庭の海棠の樹を思い出す。
 このように、直ちに10日前の記憶が連想されてくる。
 後半の夢は、何度も見た合宿の夢のテーマの変奏だ。京大教養部の建物も、何度か反復して出てくるテーマだが、この二つのテーマの合体は珍しい。
 「行かなくともいいのだと気付き、気が楽になった」のは、このテーマとしては新たなる展開と言えるのではないだろうか。ひょっとしたら、合宿の夢は、もう見なくて済むようになるかもしれない。
●●●新感覚のオープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』は、創刊に向けて原稿募集中です。詳しくは下記サイト参照
エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくは上記サイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
原著論文、研究企画、翻訳(以上は査読あり)、ブックレビュー、映像メディア時評、学会・研究会参加印象記、その他随想など幅広いジャンルの投稿を期待しています。投稿は無料です。詳しくは上記サイト中「Call for Papers」の「投稿・執筆規定」をご覧ください。

2018年2月17日 (土)

夢の現象学(139)双頭の犬の巻/『こころの科学とエピステモロジー』創刊号に向けて原稿募集中

■2018年2月14日朝
 最初の方は憶えていない。犬を連れて競走をしているような場所にいた。木立を縫った小道を、犬と一緒に競走して行くのである。私自身も参加していたか、見物のひとりだったかははっきりしない。(競走に個人でなく家族として参加しているらしい)他の家族が連れた犬は随分細いな、などと思いながら見ていると、「何か変なのが来たよ」と誰かが言う。双頭の犬が現れたのだ。
 おびえる細い犬。私は、他の家族の犬なのに、抱いてやる。
 よくみると、双頭に見えただけで、首回りに長い毛が炎のように逆立っているのだった。ドーベルマンではないが、それに近い黒くて凶暴そうな犬だった。
 「あんな警備用の犬を連れてくるなんて‥‥」と思ったか声に出して言ったか。この辺で目が覚めた。
 「」内は会話だが、自分が考えたのか、考えを声に出して言ったのか、それとも他の登場人物が言ったのか。この夢に限らず、はっきりしないことが多い。
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エピステモロジー (épistémologie)」はフランス語圏では、科学的知の批判検討を意味します。心理学を始め、精神医学、認知科学、脳神経科学、人工知能など、こころの科学と総称される領域全般に対して、批判的検討を加えることを主目的とします。詳しくは上記サイトよりダウンロードできる『創刊準備号』巻頭の「エディトリアル」を参照してください。
原著論文、研究企画、翻訳(以上は査読あり)、ブックレビュー、映像メディア時評、学会・研究会参加印象記、その他随想など幅広いジャンルの投稿を期待しています。投稿は無料です。詳しくは上記サイト中「Call for Papers」の「投稿・執筆規定」をご覧ください。

2018年2月 3日 (土)

新感覚のオープンアクセスジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』が、創刊に向けて原稿募集中です

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夢の現象学(138):『失われた時を求めて』の語り手の幼少期はフッサールだという思念にウトウトしかけて落ち込んだの巻

■2018年1月28日(日)。朝6時ごろ。

 京都にいた。私を知っているという女子学生(1年生らしい)が話しかけてきた(内容は憶えていない)。どうして知っているのかと問うと、何やら独文学者の大山定一のことが出てきた。女子学生も、同志社の独文らしかた。「らしかった」というのは、京都の今出川通りの同志社の近くにいたからなのだが。若すぎるが女子学生を研究会に誘おう、と思った。研究会の別の世話人である「河瀬君」(私より背が高く色の褐色がかった、目覚めてから思い出すと見知らぬ顔)もその場にいたからだった。
 と言ったような断片をスマホに打ち込んで、また眠った。正午近くになって突然思い出して、スマホを頼りにこれだけ書いたが、憶えているのはこれだけだった。ちなみに大山定一は、私が京大に入学したときの文学部長で、一度あいさつを聞いたことがある。前年に大山定一訳で『ファウスト』を読んだばかりで、あまり感心しなかったせいもあって、さしたる印象は受けなかった。「河瀬君」というのは研究会には実在しない名前で、思い出せるのは小学校高学年での同級生だけだが、夢の中の顔とは違っていた。
■2018年1月31日早朝。
 列車がずらりと並んだターミナル駅にいた。位置的には東京駅だが、ホームの構造は、昔の上野駅や現在の井の頭線渋谷駅のようないかにも終着駅らしい「櫛型」をしていて、列車の前面が並んでいるのが見渡せるのだった。ところがなぜか、前面にはみな、工事中のような「幌」が被せられているので、行く先が分からない。私は品川あたりまで行ってそこから西の方向へ乗り換えるつもりだったらしい(山手線に乗り換えるということか?)乗換るべき駅が自分でもはっきり分からないので、とりあえず適当な「幌」をかき分けて列車に乗り込み、「横浜まで行きますか」と訊いた(ような)。
 車内は向い合せの席は(個室になっていて見えないが)ほぼ満席らしい。普通の席のちょど端の方にあった席が空いていたので、そこに座る。
 発車するとこの列車は、図に描いたような奇妙な形をして走っている(図略)。車両の一つ一つが三角の山の形をしていて、地のベージュの上に虹を巻いたような華やかな色をしているのだ。私は(なぜかこの辺で車外に出ていたが)、列車以上の猛スピードで線路に沿って走り(こんな猛スピードを人に見咎められないかと懸念しながら)、列車を追い抜くと先回りして、田園風景の中を列車が来るのを待ち構えてスマホで撮影する。
: 
■2018年1月31日午後。
 夕方4時半ごろ。R. Bernetのフッサール研究書を読んでいるうちに、理解しがたい箇所がでてきて注意が散漫になり、前夜に読んだ『失われた時を求めて』の第1巻、「私」がコンブレ―の町で過ごした幼少期を回想するシーンを思い浮かべた。
 そのとき、唐突に、「コンブレ―で幼少期を生きる『私』はフッサールだ」という思念が閃いたーーというより、堕ち込んだ。ハッと我に返って、うとうとしかけたのだと気付いた。
 フロイトが言う、人物合成という夢作業が、うとうとしかけただけで生じたのだ。図書館にて。
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