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2017年12月の記事

2017年12月27日 (水)

夢の現象学(135):地平を備えた夢(その2)の巻/『人はなぜ夢を見るのか』(化学同人)の韓国語版が出たの巻

■2017年12月25日。夢を見た。例によって最後の場面しか憶えていない。

 大きな駅のホールのような所にいた。カウンターが3つあった。中央は人が多く、両端のカウンターはまばらだった。私は始め、端のカウンターの列に並んだのだが、時間から見て、中央しか開いていない筈だと気付いた。
 そこで中央のカウンターに行って、「あちらのカウンターは開いていないんですか」と尋ねた。女性職員が、「開いていないですね、はい」と答えた。明るいオレンジ色の制服の女性職員だった。同じような制服の女性職員が、中央のカウンターにも両端のそれにも配置されている。私はとにかく、何か相談するつもりだったが、結局、切符を買うことに落ち着いた。そこで目が覚めた。
 ここだけ取り出せばつまらない夢だが、特に記録するのは、この夢にも「地平」がある、と思ったから。この場面の前の部分が、忘却の地平に消えているのだから。(朝7時27分)。
■『人はなぜ夢を見るのか:夢科学四〇〇〇年の問いと答え』を7年前に刊行してくれた化学同人から、KLEMAという韓国の出版社から韓国語訳が出たということで、4冊送ってきた。表紙をスキャンした画像を添付しておく⇒

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 韓国の方々に拙著が読まれるのかと思うと、嬉しいことは嬉しいが、あいにくせっかく送られてきた韓国語版をひらいても、ハングル文字ばかりで何一つ分からない。巻末の参考文献だけは、ハングル語化されていず、日本語と英語のままなのだが。

 

 このままでは宝の持ち腐れになるので、知人で在日の文芸評論家で現象学者のTさんに送ろうと思ったが、在日2世にハングルだけの本が読めるか心配になった。いろいろ考えた末、済州島出身の環境心理学者の女性で、東邦大で環境心理の授業も担当して貰ったことのある、Oさんのことを思い出した。年が明けたらOさんに1冊送り、他にも送れる人がいないか聞いてみることにしよう。

〇〇〇『人文死生学宣言:私の死の謎』(渡辺恒夫・三浦俊彦・新山喜嗣/編、春秋社、2700円)が、2017年11月25日から発売されています〇〇〇〇

2017年12月15日 (金)

夢の現象学(134):地平(Horizont)を備えた夢の巻/サルトルの夢理論(その2)の巻

■フッサール現象学でいう地平(Horizont)を備えた夢を見た。

 右手に林が続くひらけた場所にいた。地面は左手に向かってやや傾斜し、その果てには池か湖の面があるようだった。

 あたりは騒然としていた。世界中が騒然としているようだった。宇宙人の侵略らしいのだった。

 色々な出来事があったが、枕元のノートを手にした時点ですでに、忘却の地平の彼方へと退きつつあった。

 最後の場面では、斜め上の方角に進めばひかくてき安全なようだと分かったので、その方向へ進んで行った。夕闇が下りつつあった。暗い中に、死体が散らばっているのが見分けられた。中に生き残ったらしい女の子もいた。「この辺も、宇宙人のエージェントがひそんでいるから(という情報が入ってきていた)、油断できない」と思いながら、林の縁を進む。

 このあたりで目が覚めた。7時ごろだった。

■メモを取りながら、 この夢には地平がある、と思った。

 地平(Horizont)とは、後期フッサール現象学の重要な用語で、視界を限界づける地平線まで行くとまた新たな地平線がひろがる、というように、体験世界の現実的有限性と可能的無限性を併せて表現できる、魅惑的な語だ。今、読んでいるサルトルの"Imaginaire"によると、夢には世界(le monde)がない、という。「世界」とは、ハイデガー由来の「世界内存在」の「世界」のことで、ここではフッサールの「地平」とほぼ同義に使われている。

 ところがこの夢には地平がある。夢の前半は、忘却の地平の彼方へと退いてしまっているのだから。

 こんな場合、しつこく思い出そうとすると、以前の別の夜に見た夢記憶の断片が、思い出されることが多い。つまり、新たな地平がひらかれるのだ。想起された夢断片は、より大きな地平を背景としているのだから。

 こう考えてみると、一昨日ー昨日ー今日、という現実記憶の連鎖をもとに構成された現実世界の地平も、夢記憶をもとに予感される夢世界の地平も、地平である限りにおいて対等であるということに、気付かざるをえない。

〇〇〇『人文死生学宣言:私の死の謎』(渡辺恒夫・三浦俊彦・新山喜嗣/編、春秋社、2700円)が、2017年11月25日から発売されています〇〇〇〇

2017年12月 9日 (土)

夢の現象学(133):続きの夢を久しぶりに見るの巻/サルトルの夢理論の巻

■2017年12月9日(土)。早朝、目覚めてすぐ、スマホにキーワードを打ち込む。

 かさ2本買う
 女友達
 私が受け取り
 重い
 夢の続き
 アリス・ビルディング
 今は正午近く。キーワードを手掛かりに夢の再現を試みる。
 「夢の続き」とあるのは、7時ごろ目が覚めてまた眠り、続きを見たのである。続きの夢は「アリス・ビルディング」の内部で進行していた。だから、前の夢も同じ名のビルの中で進行していたのだろう。
 例によって、前の夢のさらに前の部分は、キーワードを打ち込んだ時点ですでに思い出せない。とにかく、やはり、大きなショッピングモールか駅ビルの内部のような所だったが‥‥。こうして記憶を手繰ろうとすると、やはり似たようだが少し違った駅ビルの中で、コーヒーショップがあちらこちらにあり、私はその一つに席を取っている、という情景が思い浮かぶ。けさがたの夢ではなく、ずっと古い夢の記憶のような気がした。さらに記憶を手繰り寄せようとすると、繁華街の一隅にある喫茶店の暗い店内に座っていたシーンが思い浮かぶ。
 これ自体は日常でもありふれたシーンだが、夢記憶を手繰って手繰り寄せられた記憶だから、やはり別の古い夢記憶なのだろう。
 とにかく、スマホに辛うじてメモした場面は前の夢の最後の場面で、そこでは少女といっていい年齢の(現在の私の年齢から見ての話だが)、ふたりの女の子と一緒だった。私自身も同年輩だったような気がする。彼女らが、コウモリ傘を一本ずつ、合計2本買った。私がレジから2本とも受け取った。思ったより重い。
 この辺で、いったん目が覚めて、また眠った。すると、同じアリス・ビルティングの中にいた。だから、久しぶりに、夢の続きを見た、というわけだ。ただし、後の夢では、他に何も思い出せないのだが。
  (午後12時10分ごろ。図書館にて)
■Sartre: "Imaginaire"を、このところ、久しぶりで(35年ぶりか?)、ただし今回は原書で読み返している。
 Le rêve est la réalisation parfaite d'un imaginaire clos (p. 213).
 という、決定的な文章に行き当たった。サルトル夢理論のダメなところだ。
 知覚=明証的だから信憑する必要がない。
 夢=信憑されている想像的なもの(imaginaire)
 想像(imaginaire)=信憑されない
 という三分類に基づいて出てきた文章だが、そもそもなぜ夢を想像だと見なせるのか。
 信憑されている想像など、「これは想像に過ぎない」という二重志向性が消滅している以上、フッサール想像力論に照らせば、想像としての志向的構造を備えているとは言えないだろうに。
〇〇〇『人文死生学宣言:私の死の謎』(渡辺恒夫・三浦俊彦・新山喜嗣/編、春秋社、2700円)が、2017年11月25日から発売されています〇〇〇〇

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