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2017年9月の記事

2017年9月 6日 (水)

フッサール心理学(46):アレクサンドリアの女性哲学者ヒュパティアを描いた『ハイペシア上・下』(春秋社文庫、昭和10年刊行)をついに読んだの巻

■『ハイペシア(上・下)』(チャールズ・キングスレー作、村山勇三訳、春秋社文庫、昭和10年刊行)を、ついに読んだ。

 東邦大学図書館を通じて上智大図書館から借り、館外不出というので三日間図書館に通い、ぶ厚い2巻本を通読した。期待以上の素晴しい傑作だった。

Hypeciacover1

この小説のことは、『心の科学史』(高橋澪子著)で知った。1年ほど前、文庫版の解説を頼まれてゲラ刷りを読んでいるうちに、「‥‥女流数学者。新プラトン主義的神秘思想の持ち主。キリスト教徒たちによって殺害された。この事件を題材としたキングズリー(C. Kingsley, 1819-75) の小説Hypatia (1853)の中で、彼女は非常に魅力的な女性として描かれている」という短い註に出会って以来、ぜひ読みたいと思っていた。やがて戦前に春秋社から翻訳が出ていることが分かり、このたびようやく借り出して読んだというわけだった。
 ローマ帝国モノとしては、あのシェンキヴィッチの名作『クオ・ヴァディス』にも劣らない。むしろ、ネロのキリスト教徒迫害のような比較的よく知られた事件ではなく、キリスト教化してゆくローマ帝国の辺縁にあって最後までギリシャ文化の法灯を伝えていたアレクサンドリアという、あまり知られていない時代を背景にしているだけ、かえって興味深かった。
 ナイル川の上流に位置する岩窟の修道院で育った若き修道僧が、広い世界を学ぶためにアレクサンドリアに出てくる、という冒頭の設定も巧みだ。その修道士の目を通して、本作では「ハイペシア」という発音で出てくる女性哲学者や、彼女と並び「アレクサンドリアの二大美人」と称される妖艶な舞姫や(修道士の生き別れた実の姉だと後に判明する)、ゴート族戦士の一団や、賢く豪胆なユダヤの青年商や、後にその母親と判明する妖術使いの老婆や、ユダヤ人追放とハイペシア虐殺を指揮するアレクサンドリアのキリスト教徒総本山やといった、多彩な人物像が、さながら絵巻物のように絢爛と、それでいて精神的な深さをも備えて、描き出されている。終りの方ではアウグスチヌスまで登場する。ゴート人老戦士が朗誦する、ゲルマンの古謡も味わいがある。訳も、昭和10年にしては古風な文体というべきだが、かえって知られざるこの時代の趣が出ている。
 途中で気がついたのだが、この小説の真の主人公はハイペシアではない。若き修道僧が、いったんはハイペシアに惹かれてキリスト教を捨ててまで弟子入りしたが、最後に信仰に戻って姉を連れて岩窟の修道院に還る。その魂の成長と遍歴が真の主題をなしているのだった。なぜハイペシアの目を通しての物語にしなかったかというと、その理由はラスト近くで自ずと明らかになる。ただの殺され方ではない。大集団によってたかって貝殻で肉をこそぎ落とされ、その間悲鳴を上げ続けるのだから。こんな最後を当人の目を通して描いたら、サドかマゾッホになってしまうだろう。そんな妙な感情移入を防ぐためもあってか、事件の前夜にハイペシアと言葉を交わした若き修道僧に、「あの人は娼婦には慈悲の心を見せなかった」と述懐させ、「汝ら罪なき者のみこの女に石を投げよ」と言ってマグダラのマリアを庇ったイエスと対比させている。
 そんな名作を書いたキングズレーに他の作品が知られていないのは不思議なことだ。ウキペディアを見ると、ダーウィンの友人で、小説家で歴史家で大学教授で司教、とある。道理で教会史に通暁しているわけだ。
 ちなみに、昨年、まだこの小説を発見する前に、同じ事件を題材とした映画『アレクサンドリア』をDVDで見たが、これはあまり面白くなかった。やはり、小説の方が、想像力にものを言わせて果てしなき「地平」をひらくのに適しているようだ。
 それにしても、時々思うのだが、小説とはなんという不思議な装置なんだろう。紙の上にのたくる黒い模様を眺めているちに、ローマ時代のアレクサンドリアにタイムトラヴェルして別人の生を生きることができるなんて。読み終わって三日たった今でも、修道僧の大群が荒れ狂うアレクサンドリアの喧噪が耳の底に残っているような気がする。
 夢世界が現実世界と別個で対等なモナドなら、優れた小説もまた、現実世界と別個で対等なモナドと言うべきではないだろうか。
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詳しくはこのサイトもご参照ください。
https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/
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