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2017年6月の記事

2017年6月16日 (金)

夢の現象学(124):独我論者の国にいて異星人侵略の報を受けるの巻

■2017年6月16日。早朝5時過ぎ。どこかの苑(その)にいた。苑は独我論者の国ということになっていた。

 アメリカのどこかの地域らしかった。編集者のHさんもいたような。苑にいる「独我論者」達が本物かどうか、調査官が来るとかいった話になっていたような(国の名に値するか否かの調査らしい)。
 私はなにやらアサガオの種のようなものを地面にまいては土を薄くかぶせていた。芽が出れば独我論はホンモノだ、と思っていたような。
 そこにHさんが来て、異星人の侵略を知らせる。西海岸(アメリカの)がすでに占領されているらしい。
 どうしたらいいだろうか。
 私は独我論者らしくもなく、ゲリラ戦を提案する。「この苑で、種として土の中に潜んで‥‥」とか考えていたような。
 あるいは、「この苑は周囲より少し高台になっているので、外側に落ちてそこで隠れて‥‥」とかも考えたような。
 自分を「種」と同一視していたような。
■「アサガオの種」は、ひと月前に世田谷の家で庭に撒いたアサガオの種そのままだった。最初の方では「種」が独我論者ということになっていたが、終りの方では自分も独我論者として「種」の一つになっていたらしい。
  撒いているアサガオの種が独我論者だったり、独我論者の国を作る計画に独我論がホンモノか調べに調査官が来ることになっていたり、異星人が侵略して来たり、自分も独我論者としてゲリラ戦をするつもりだったり、そして最後には自分も自分がまいたアサガオの種の一つだったりと、我ながら奇天烈てんこ盛りの夢だった。
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2017年6月14日 (水)

夢の現象学(123):日本人初の月着陸宇宙船飛行士として出発する前夜の巻/紀元5世紀の他者に成る夢の実例を発見の巻

■2017年6月13日。朝6時。夢をみた。日本人初の月着陸宇宙船飛行士として、月へ出立する前夜だった。
 アメリカらしき基地内で、広いホテルのような部屋に泊まっていた。それまで色々あったようだが、例によって思い出せない。とにかく、あまり眠れないままに朝になってしまったので、早目に宇宙船に乗りにいくことにした。
 途中は、係官らしい地味な男性が同行していたようだった。
 私は(上に宇宙服を着るためか)軽装だった。薄暗い長い廊下を通っていくと、レストランになっている一画に出た。最初のテーブルに、白人の男女が席に着いていた。同行の係官が、同乗予定の先輩宇宙飛行士だと教えてくれた。どうやら同じテーブルで食事を取ることになっているらしいと判断して、軽装を気にしながら近づいて、「I'm Tsuneo Watanabe」とか、たどたどしい英語で自己紹介をする。男の方が何か答えたが思い出せない。女の方が無言なのが少し残念だった。
 二人ともかなり若い。私も同年輩の若さということになっていたようだ。
 そのうち目が醒めた。
■月着陸宇宙船飛行士になって出発する前夜などと、トンデモない夢を見たものだ。そのような願望は全くないし、宇宙飛行士になるなど考えただけでも裸足で逃げ出したくなる。
 ニールセンの、前日と7日前の現実の記憶が夢にでることが多いという実験結果を踏まえて、この一週間ばかりの出来事を思い返してみる。
 前日(月)。一日家にいて、CITIの倫理教育プログラムをネット上で受講し、クイズなるものに回答し、受講証明書を首尾よくゲットした。受講は昨年、科研費申請に加わるのに必要だと自治医大の方から言われて、初めて受けてこれが二度目だ。専任の頃にはこんなものはなかったから、小保方事件の御蔭というわけだ。迷惑な話だ。とはいえ、やってみると結構おもしろいものだ。いずれにしても問題には月面宇宙船の話など出てこなかった。
 2日前(日)。久しぶりにスポーツクラブで泳いだ。
 3日前(土)。本郷の臨床心理関係の研究会で、田中さん植田さんと共訳した『現象学的心理学への招待』(ラングドリッジ著、新曜社)の読書会をやると言われて、出席。田中さんはわざわざドイツから、植田さんも岡山から、スカイプ参加だった。
 4日前(金)。夕方まで世田谷の家にいて掃除や洗濯をして、2時間以上かけて帰ってきた。
 5日前(木)。駒場の「障害と科学技術」ゼミに研究生として出席。世田谷の家に行って泊まる。今、思い出したのだが、途中でツタヤに立ち寄って、スターウォーズシリーズ「帝国の逆襲」というDVDを借りて見たが、宇宙船がやたらに出てくる。関係があるとしたらこれかもしれない。
 それでも、日本人初の月着陸宇宙船飛行士の出発前夜、などという設定には、心当たりがない。
 このような夢を見ると、並行世界で別な運命を生きる別な渡辺恒夫の記憶をのぞき込んだ、という気がどうしてもしてくる。
 もう一つの可能性が、意識下の別人格説だ。深層心理学説の一種だが、現象学とは折り合いが悪い。無意識を現象学するとは自己矛盾だからだ。それでも果敢に無意識の現象学に挑戦した例を、たしかルドルフ・ベルネの論文で読んだことがあるが、あまり印象には残っていない。
:
■モーリーの未訳の本に、5世紀の「他者になる夢」の実例を見つけるの巻
 その、科研費「夢の現象学」の第一回研究会が、先月末に自治医大であり、重要文献として挙げられたAlfred Maury:"La magie et l'astrologie, troisieme ed, revue et corrigee,"(Pais: Librairie Academique, 1868)を、研究代表者の武内大教授から借りて帰った。Mauryとは、フロイト以前の夢研究の大家で、夢の瞬間生起説で知られている。
 そして早速、他者に成る夢の実例を発見した。以下にその部分を紹介する。
 西暦5世紀の末と言えば、異教の禁止によって女神キュベレーの神殿が完全に放棄された時代であるが、祖国(フリギア)の信仰に忠実な哲学者ダマシウス(Damascius)は、同行者一人のみを伴って、カロンの門と呼ばれている地底の洞窟へと降りたのだった。人々の言う、そこへ侵入する危険をものともせずに。彼の報告によると、正気かつ安全に洞窟から脱出したのであるが、家に帰ってまもなく次のような夢を見たという。その夢の中で彼は、フリギアの男神でキュベレーの愛人であるアティス(Atys)であり、この神に奉納された祭礼の供宴に立ち会っていたようであった。(p.236)
 この、5世紀の哲学者の夢の例を読んで、古代人は自己と他者の境界が不分明だったからたやすく他者と融合したのだろう、といった解釈が出てくるかもしれないが、それは現象学的ならざる解釈である。夢の中での他者の融合が可能であるためには、夢世界とそして現実世界において、体験世界の志向的構造がどのようになっていなければならないかを、解明することこそが、現象学の仕事なのだから。
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2017年6月 7日 (水)

夢の現象学(122):警官の顔が7年前にテレビで見た白人の顔だった夢ほか、夢4題の巻

■2017年5月28日(日)早朝6時。
 夢を見た。どこかから大学に(T大学か?)戻ってきたところだった。何か事故に巻き込まれて戻って来たらしいがもう思い出せない。その事故について、まず職員組合が、次に警察が、色々事情を訊いたり世話を焼いたりしに来た。ともあれ、まず警察ということになった。
 どこか見たことのある顔の、西洋人ぽい(というより西洋人そのものの顔の)警察官に、色々訊かれて、これからも相談に乗る、と言われた。
 次に外出し、記憶がはっきりしないが、何か平屋建て木造で昔の剣道場みたいな研究室(実在の研究室の面影はない)に戻ると、組合の女性と先ほどの警察官がもう来ていて、自分が先だと言い争っている。これからが思いやられるなと思いながら、二人に、約束だから組合の方を先にしますと言って、警察官にはひとまず引き取ってもらう。組合と付き合うと、今後も組合員としての活動を強要されるのではと憂鬱になるが、仕方がない。
 組合の人と話していると、電気が切れたらしい。外に出ると、壁を伝っているコードが切れてぶら下がっている。組合関係者の何人かが集まってきている。その中に、アホウドリ研究者のHさんもいて、「こうする」と言って、やおらハンダ付け道具一式を取り出す(針金状のハンダの印象が鮮やか)。そして、たちまちコードをつなげてしまう。
 「そのハンダ道具はいつも持ち歩いているの?」とHさんに言いながら、トレードマークであるジーンズ上下の大きなポケットをみる。何と答えたかは憶えていない。
 そのうち目が醒める。
■あの西洋人顔の警察官は、どこか見たことがある顔だと、かなり考えて(2,30分くらいか)、ようやく思い出した。6~7年前にテレビで見たことのある顔だった。オーストラリアのどこかの街を取材している番組で、男性レポーターを映していたところ、現地の人が隣に割り込んで画面に映る悪戯をされた。そんな悪戯をするにしては少しも面白みのない能面みたいな顔だったが。間違いなく、その顔だったのだ。
  以前も、夢に出てきた登場人物が、日頃時々行くスポーツクラブの受付の男の顔を借りていたことがあった。その時は目覚めてすぐ、それと分かった。今度の夢は思い出すまで時間がかかった。思い当てたのが奇跡かもしれない。あるいは西洋人の顔だから、思い当てることができたのだろう。
 夢の登場人物の見知らぬ顔の出所は、たいていは、こういった、行きずりに街中やテレビ画面で見かけた顔なのかもしれない。けれどなぜ警官が西洋人顔なのか。それこそレム睡眠時のPGO波がランダムに記憶を刺激して飛び出した心像を、ストーリーに適当に当てはめただけなのか。
:
■2017年6月4日(日)
 朝7時。目ざめて夢を二つ見たと思い、メモをする。
 第一の夢では、Sさんの3冊ある小説のどれかを再読したい、と思っていた。どれか一冊が、「私も書きたかったのだが、彼が書いてくれているから、まあいいや」と思わせる小説だった。けれども、目が醒めてから(あるいはまだ夢の中だったかもしれないが)思い返すと、そのような小説はないと気づいたのだった。
 第二の夢では、何かの研究会が終ったところだった。屋根のない屋上のようなコンクリートの床の上に、やはりコンクリート製で将棋の駒を立てたような形状の、3メートルはあろうかという奇妙な物体が立っている(図略)。
 その表面のやや上部に正方形の小区画があり、真ん中に鍵穴があり、鍵が差し込んだままになっている。
 会が終ったのだからと、電源が切れているか鍵をひねって確かめた。切れていなかった。Aさん(会の幹事)らしくない、と思う。ひねって確かに切れたので鍵を抜いたが、どこにしまったものか迷う。
 するとBさん(K大のOG)が、そこの事務員みたいな様子で現れて(前からいたのかもしれないが)、「鍵は(皆さん)その辺に隠しているみたいですわ」と言うので、コンクリートの物体の根元の辺りに置いて土と落ち葉を被せて隠した。
 自分の個人ロッカーの鍵も掛けて抜いたが、これは自分で持っていることにした。
 この辺で目が醒めた。
■「書きたかった小説」のことを考えると決まって連想されるのが、川に面した、生垣に花咲き乱れる家に**て棲んでいる夢だ。同時に、同じ夢の別の場面かそれとも同系列の別の夢か分からぬ情景が、断片的に次々と浮かんでくる。
 ‥‥というのが、これも夢の中だったのかそれとも覚醒時の半睡思考だったのかは分からない。
 ただし、今、はっきりした現実世界(午後2時だから当然だが)の中で思い起こすと、そもそも夢の中で思っていたような書きたい小説など、いまさらないと気がつく。書きたい・書くべき論文ならあって、一昨日はコミュ障論の序文を、ほぼ書き上げたところだった。
■2017年6月5日(月)。朝8時。電車のホームにいた。人でいっぱいだった(覚醒後に思うと目蒲線みたいだった)。いつもは12分間隔なのに、それより早く電車がすぐ来た。小中学生で満員の、1~2両の短い編成の貸切臨時電車だった。電車は、発車したかと思う間もなく、戻ってきた。運転手が何か怒っている。貸切はやめるらしい。そこで私は乗車したような気がする。
 次に記憶の空白が太あるようだ。とにかく、先刻の電車の駅は、海岸から市内に行く途中の駅だということになっていた。私は今度は徒歩で海岸地帯から市内を目指して歩いていた。
 その前のことは思い出せないが、夢の中では恐らく、この地域はユング派が支配していることになっていた。
 歩くにつれて、ひどく荒涼とした風景が展開してくる。褐色の荒れ地には人影ばかりか一本の草木もない。しかも市内に当たるはずの北方の地平には、険しい褐色の山容が迫っている。市街地はその向こうになっているのだろうか。
 しばらく歩くと、先ほどの駅に出た。駅のなかの飲食店は、なじみだということになっていて、入る。注文する段になって、やはりなじみ(?)のウェイトレスと、ジャンケンをしなければならなくなった。**‥‥。この辺で目が醒めた。
■臨時電車というのは、その日、珍しく昼前にC駅から帰る途中で、いつもの終点行ではない動物公園行の電車が、たった3分間隔で来たのに乗った経験が、影響しているようだ。
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■池の鯉を見て思い出した海の巨大鯉は夢だったらしいと気づく
 2017年6月7日(水)。昨日の夕方、公園の池の畔を散歩していて、コイが泳いでいるのを見ているうちに、海岸を泳ぐ巨大なコイの映像が呼び起こされた。金魚を大きな水槽で飼うと大きくなるように、コイも海で育てば際限なく大きくなるのだろうな、と思ったっけ。
 ところが、どこでそんな海で泳ぐ鯉を見たかが思い出せない。そのうち、多分、夕べの夢だったかもしれないと気付いた。昨日(6月6日)の朝については、何もメモ書きが残っていないので、目覚めてすぐ思い出せる夢は見なかったのかもしれないが、ひょっとして海で泳ぐ大鯉の夢は、それ以前の、第一回とか第二回目とかのレム期で見て、そのまま永久に忘却の彼方に去るところが、池の鯉を見て奇跡的に甦ったのかもしれない。
 海の波の中を泳ぐ巨鯉の映像が、いまもなお鮮明に思い浮かんでくる。
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