« 夢の現象学(115):哲学者大森荘蔵に夢の中で会えて感激の巻 | トップページ | 夢の現象学(116):『君の名は。』を見て夢の現象学者として考えるーー他の誰かになる夢・意識の超難問・可能世界 »

2017年1月26日 (木)

フッサール心理学(43):最終講義を「分生社会」の構想で締めくくるの巻

■2017年1月26日

前回にも書いたように、今週1月23日は明治大学での学部の最終講義となった。
「認知科学」という科目名だが、テーマを「自己と他者の認知科学」に設定し、このテーマでの根本問題を分かりやすく扱ってきたつもりだ。いずれこのブログでも講義ノートを公開したい。
 その最終講義の最後は次のようなパワポ画面で締めくくっておいた。
++++++++++++++++++++++++++++++++
フッサール現象学(=モナド論)から導き出される社会理念
・Nous ne sont pas sous le mēme ciel(私たちは同じ空の下にはいない)
・他者を深く理解しようとすればするほど、お互いに別の世界に住んでいることに気づく。
⇒分生社会の構想(アマゾンブックレヴュー『隠された障害:漫画家山田花子と非言語性LD』)(⇔共生社会)
・私はあなたを理解していないかもしれないが、あなただって私を理解していないのだから、勘弁してほしい。
・だから、なるべく分かれて生きよう。
++++++++++++++++++++++++++++++++
そして、アマゾンブックレヴューを示しながら、
「今から分生社会という社会理念を構築するには、私は年を取りすぎています。諸君の中から興味を持つ人が出てくることを期待しています。」と述べて、5年間にわたる明治大学講義の最後の言葉としたのだった。
 そのアマゾンブックレビューを、かなり長いが引用しておく。
  山田花子の作品と生涯の意義を考えさせられる本書からの「分生社会」へのヒント(2013/10/3)
 とても印象に残る本でした。
 山田花子について知ったのは、彼女の死の直後くらいかな。20歳も年下の友人に薦められて、マンガ作品と『自殺寸前日記』を読みました。「私は絶滅寸前種族」「‥‥とは共存不可能」という表現がリフレインのように出てきたことが、特に記憶に残っています。それ以来、山田花子は私のうちで一つの謎だったのが、この本の分析で謎の一端が解けたような気がしました。カルテと入院記録と本人の日記で構成した中盤は読者によっては冗長とも感じられるでしょうが、著者が精神科医だからこそ書けた章で、自死へと向かう臨場感が出て読み応えがありました。特に、後半の第5章と「あとがきに代えて」に著者の主張が強く打ち出されて、いくつか印象に残る文章になっています。
 一つだけ、例を挙げておきますー「‥‥学校では、『差別をしてはいけません』という言葉での教育が行われる。(実際に被差別の体験がある場合は別だが)適応の良い多くの健康な子どもは、『「差別というものは(世の中に)存在するべきではない」と考えているようにみせる』ことが最も重要であると認識する。」(p.234)
 この文章は、彼女の作品に出てくる、「表問題児」に対する「裏問題児」としての自己規定を論じた部分に出てくる。表問題児は知的障害児として描かれており、いじめを受けると先生が、差別をしてはいけませんと厳しくクラスメートを叱ってくれる。ところが裏問題児がいじめられる理由は容易には可視化できないので、自分のせいだと思ってしまう。山田花子のような抜群の記憶力と表現力の持ち主にして初めて、いじめられる理由が生き生きと描写され、そしてそれを元にして著者は非言語性学習障害という診断を下すことができた、というわけです。ちなみに、裏問題児は表問題児を羨み、辛辣な視線を投げかけます。これが、ヒキオタ(=成人後の裏問題児)によるネットでの差別発言にもつながります。
 私も以前から、なぜか仲間外れにされてしまうという体験が日常的だったことから、可視的な差別に対する見えざる差別ということを考えてきました。可視的なマイノリティに対する不可視のマイノリティ問題ともいえます。障害や肌の色や国籍や出身階級といった可視的要因によらない差別は、結局、自分の性格のせい、というように考えてしまいます。現今の就活でコミュ力がなにより重視されるように、性格による差別が最後に残る差別になるのかもしれません。そこで本書のように、アスペルガー障害もカヴァーしきれない例を、非言語性LDとして早期に診断して対処することで差別を可視化する、という「医療化」もまた、救いにはなるかもしれません。でも、そういう医療化が現にDSM改訂のたびに生じているように際限なく拡大すると、医療化には薬の開発が相伴うので、行き着く先は「幸福薬」が支配する社会、ということになりそうなのが怖いです。
 「あとがきに代えて」を読んでいる時に閃いたことがあったので、忘れないうちに書いておきます。そこには山田花子が幼いころ、ボロボロになるまで読んだという『やっぱりおおかみ』という絵本が紹介されています。世界で最後の一匹になってしまったオオカミは、友達が欲しくてヤギやブタや牛の集団に近づくたびに手ひどく拒絶され、最後にビルの屋上から地平を見渡して「やっぱり俺はおおかみだもん、おおかみとして生きるしかないよ」と呟き、なんだか愉快な気持ちになるのです。著者も感動したと書いていますが、私もあらすじだけを読んだだけで感動しました。そして閃いたのは、「分生社会」という理念です。「共生社会」の反対概念です。”Nous ne sont pas sous le meme ciel” と言うフランス語があります(アクサン記号省略して済みません)。私たちは同じ空の下に居るのではない。だから私はあなたを理解できないが、あなただって私を理解できないのだから勘弁して欲しい。せめて、これからは分かれて生きることにしようではないか。
 いい加減、共生だのコミュニケーションだのといった偽善はやめて、分生社会の実現を目標にしませんか。今の科学技術力をもってすれば、決して難しいことではない筈です。そんなことを、本書を読み終えて考えました。
+++【ブログの主の関連する新刊】『夢の現象学・入門』(渡辺恒夫著、講談社新書メチエ、2016年7月刊)+++

« 夢の現象学(115):哲学者大森荘蔵に夢の中で会えて感激の巻 | トップページ | 夢の現象学(116):『君の名は。』を見て夢の現象学者として考えるーー他の誰かになる夢・意識の超難問・可能世界 »

哲学」カテゴリの記事

心理学」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/501358/64813384

この記事へのトラックバック一覧です: フッサール心理学(43):最終講義を「分生社会」の構想で締めくくるの巻:

« 夢の現象学(115):哲学者大森荘蔵に夢の中で会えて感激の巻 | トップページ | 夢の現象学(116):『君の名は。』を見て夢の現象学者として考えるーー他の誰かになる夢・意識の超難問・可能世界 »

電子ジャーナル:こころの科学とエピステモロジー

ブログの主の最新刊

最近の記事

無料ブログはココログ
2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

人文死生学研究会