夢の現象学(103):覚醒直後の数分間見当識を失うの巻/FM横浜の番組出演でみなとみらいへ行くの巻
■2016年7月25日。
夢を見た。窓外に海辺が拡がっているマンションらしき所に住んでいた。高知の海だったかもしれない。海辺の風景以外にも、ストーリーがあったと思うが、思い出せない。
そして、目が醒めた。醒めた直後は、現実にも窓外に海辺の風景がひろがっている、と思い込んでいたようだ。続いて、「あれ、自分はいったいどこに住んでいるんだろう」と、自問自答した。どうやら、ここは千葉らしい、と分かるまで、数分かかったのだった。見当識を喪失していたのだ。
アラン・ホブソンの『夢に迷う脳』の冒頭にも、旅行中にホテルで目を覚まして、もっとひどい見当識喪失に陥った経験談が載っている。といっても、「ここはどこ?」は分からなくなっても、「私は誰?」までは見当識障害は及んでいなかったようだ。
もし、毎朝目を醒ますたびごとに、「ここはどこ?私は誰?」が分からなくなって、そのつど色んな手がかりから再構成をせざるを得ないとしたら、毎朝異なる人格として目を醒ますのと、似たようなことになるだろう。人格の同一性には明証的な基準なんか存在しないという、私がこれから練り上げて行かねばならない立場にとっては、有利になる話ではないだろうか。(朝10時、総武線快速の車中にて。
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■前後するが、7月23日(土)には、 FM横浜のFuturScapeという番組に生放送で出演すべく、朝7時半に千葉駅を出発して、桜木町から、みなとみらいのランドマークタワー10Fのスタジオまで行った。
ディレクターが作ってくれた台本とがよかったせいもあり、パーソナリティの小山薫堂さんと柳井麻稀さんが理解が早く話しやすかったためもあり、思ったより出来栄えは良かったようだ。
終わって、スタッフの人たちも、面白かったと言ってくれた。
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