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2016年2月 3日 (水)

夢の現象学(96):ゲーテの自伝中のドッペルゲンガー体験は自己像客観視を伴う予知的夢なのかの巻

■2016年2月3日 「夢の現象学」記事は通例、夢記録テクストを書くのだが、今回はゲーテの『詩と真実』からの引用から始める。

 ゲーテにドッペルゲンガー(二重身)を見た体験があることは、主に精神医学者の著作を通じて知っていたが、この程、遅ればせながら自伝の『詩と真実・第3部第4部』(潮出版社)を一読して、原文に接することができた(もちろん原典完訳版でという意味だが)。
 抜粋すると‥‥
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このようにあわただしく混乱したなかでも、私はもういちどフリーデリーケに会うことを思い切ることはできなかった。なんとも切ない数日であったが、その日々の思い出は残っていない。馬上からもういちど彼女に手をさし延べたとき、彼女の目に涙が浮かんでいた。私もひどく辛かった。それから小途をドゥルーゼンハイムへ馬を駆ったが、そのときじつに奇妙な予感のひとつに襲われた。すなわち、私自身に向かって同じ道を馬に乗ってやってくる私の姿を、肉眼でなく、心の目で見たのである。しかも、いまだいちども着たことがないような、わずか金色のまじった薄鼠色の衣服を着ているのだった。私がこの夢を揺り落とすと、たちまちその姿はすっかり消えてしまった。それにしても、八年後に、この夢にみた衣服を、しかも自ら選んだものではなく、まったくの偶然に着こんで、フリーデリーケをもういちど訪問するために、この同じ道を通ったのはじつに不思議である。それに、こうした事柄がどういう意味をもっているにせよ、この不思議な幻像は別離のあの瞬間にいささか心の落着きを私にあたえてくれた。素晴しいエルザスを、そこで私の獲得したすべてとともに永遠に捨て去らねばならない苦痛も和らげられた。‥‥(55頁、河原忠彦・山崎章甫、訳)
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■じっくり読んでみると、これはドッペルゲンガー幻覚ではない、ということが分かる。
 馬に乗っていたのだから、半睡半醒状態での夢、と見てよい。そして夢の中ではこのような、自分の姿を客観視する体験は、けっして稀なものではないのだ。私自身の夢にもそのような例がある。次は、男子大学生の夢記録からの抜粋だ。
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‥‥気が付くとコンクリートの古ぼけた五階建てぐらいのうす茶色した建造物(ウェディングケーキのような上階にいくに従ってちいさくなっていくような感じで、そして、窓は各階に一つぽっかりあいている、裏に絵を描きました)の一番上の階にいる僕が見える。次に最上階から僕は、地上で野球をやっている少年たちを見ている。‥‥
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 少し分かりにくいが、「ウェディングケーキのような建物の一番上の階にいる僕が見える」とあるのが、自己像客観視だ。添えられた絵には、窓の中の小さな人影に「僕」とあり、そして地上からそれを見上げている大きな人影にも「僕」と記入がされている。夢でよくある、見る自己と見られる自己との分裂だ(次の場面では地上の僕は上階にいる僕に吸収されて分裂は終っているが)。ゲーテの体験でも、馬に乗った同士が行き会ったのだから、自己像客観視による自己分裂と解することができる。
■ゲーテ自身はこの体験を予知的に理解したらしい
 ゲーテが体験をじつに不思議なものと思ったのは、「八年後に、この夢にみた衣服を、しかも自ら選んだものではなく、まったくの偶然に着こんで、フリーデリーケをもういちど訪問するために、この同じ道を通った」ことである。
 ただし、無意識的な創作の可能性を否定するに足る証拠ーーその体験の直後にすぐに書き留めた記録が残っているなどーーが提示されていない以上は、次のように解釈するのが、妥当な線といえる。
 ゲーテは馬上で睡眠状態に陥って、夢のなかで自己像を客観視した。けれども自分では眠ったという自覚がないので、幻覚だと思った。8年後に同じ道を通って既視感(デジャヴュ)に襲われ、かつての自己像客観視を思い出した。そして、かつての分身の服装と現在実際に身に着けた服装が、あたかも同一であるかのような気がして、これを未来予知的に解釈した。
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