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2016年2月の記事

2016年2月26日 (金)

フッサール心理学(36):翻訳書が出版されたの巻/ジュリアン・グリーンを読了した感動の巻

■2016年2月25日。ようやく、翻訳書『子どもの自我体験ーーヨーロッパ人における自伝的記憶』(ドルフ・コーンスタム著、渡辺恒夫・高石恭子訳、金子書房)が出版された。出版社が宣伝用のリーフレットを作ってくれたので、下記にリンクを貼っておく。

「Ad.IchErlebnis.pdf」をダウンロード

 この本の特徴は、なんといっても、オランダ、ドイツ、スイス、オーストリア、ベルギー在住の85名にのぼる人びとからの、子どもの頃の貴重な「自我体験回想」報告が収録されているところにある。それに加えて第2章には、ブルノー・ワルター、ウラジミール・ナボコフ、ジャン・パウル、カール・ユング、などの著名な人々の自伝からも、事例が採られている。

 第二章の最後には、フランスのカソリック作家ジュリアン・グリーンの自伝からも、幼年期の回想事例が採録されている。

 ジュリアン・グリーンなどといっても、よほどのフランス文学マニアでもなければ今は知る人も少ないだろうが、30年以上も前に、キリスト教文学選集の中に収められた中編「地上の旅人」を、タイトルに惹かれて一読して以来、気にかかる存在だった。だから、『子どもの自我体験』の原書でその回想事例にお目にかかって以来、何か別の作品を読みたいと思っていた。そんなおり、昨年の7月ごろだったか、よく行く市立図書館の洋書の棚に、"Si j'étais vous..."という題の、ポケット判のフランス書を見つけて、手に取った。このタイトルは、英語でいえば"If I were you, ..."にあたる。「もしも私があなただったなら」という、反事実的条件法の表現だ。

 付いていた序文を読み始めて私はすっかり驚いてしまった。この小説を書いた動機は、子どもの頃、「なぜ自分は他の人間に生まれなかったのか」という疑問に悩まされたからだ、とあったからだ。これはまさに、自我体験であり、さらに言えば、その核心ともいうべき、「意識の超難問体験」ではないか。私は、さび付いたフランス語の力も顧みずに借りて帰って読み始めた。

 読了したのは2週間まえだから、半年以上かかった。毎日読む時間があったわけではないが、平均して一日一頁の割でしか読み進めなかったことになる。こんなに時間がかかったのは、何しろ1946年出版の小説で、語彙が古典的に豊富で、最初から最後まで仏和大辞典を首っ引きという状態を脱することができなかったからだった。こんなにゆっくり読んでいたら、ふつうは小説の面白さがなくなって投げ出してしまうところだろう。それなのに、最後まで読み通せたのは、じっさい、面白かったからだ。

 事務員をやっている貧しい文学青年が、魔法使いの老人に誘われて、秘密のパーティに連れていかれる。パーティの主催者は(悪魔の化身らしいが)、青年に、相手の身体に触れて唱えれば、その相手と入れ替われるという、呪文を授ける。

 主人公は翌朝さっそく事務所へ行き、まず雇い主と入れ替わり、銀行から大金を引き出して大金持ちになる。ところが老人の身体なので、内臓が痛む。そこで行き当たりばったりの屈強そうな若者と入れ替わる。ところがその若者の狭小な脳髄では、呪文はおろか自分の本来の名前さえ憶えていられず、「情婦」の家に押しかけて口論の果てに誤って絞め殺してしまう。追われる身となった主人公の前に魔法使いの老人が現れ、もっとふさわしい相手を選べとお説教をする。

 と、こんな具合に、いろんな人間に次々に入れ替わった末に、誰も幸福ではないことに気付き、自分自身に戻ることをこいねがうようになり‥‥と、まあ、あらすじだけ書けば、なにやら筒井康隆風のドタバタSF喜劇みたいに感じられてしまうが、読み終わった時の感動は、並々ならぬものがあった。

 筒井康隆とは異なって、主人公の心理の緻密な描写が続くのだが、それでも退屈しないのは、フランスの街の情景描写によって心理の襞ひだを表現しているからだろう。晴れた空に突然雷鳴がとどろいて、にわかに掻き曇り、雨が降り出すと思うと、たちまちまた晴れあがる。そんな天候の変化の描写が主人公の心の変化の描写ともなっている。しばしば繰り返される、雷鳴とスコールとその後の晴れあがった街並みの描写を読んでいて、私は、シャンソンの「パリの空の下」の歌詞の最後の方を連想したものだった。

  <未完>

 

 

2016年2月 3日 (水)

夢の現象学(96):ゲーテの自伝中のドッペルゲンガー体験は自己像客観視を伴う予知的夢なのかの巻

■2016年2月3日 「夢の現象学」記事は通例、夢記録テクストを書くのだが、今回はゲーテの『詩と真実』からの引用から始める。

 ゲーテにドッペルゲンガー(二重身)を見た体験があることは、主に精神医学者の著作を通じて知っていたが、この程、遅ればせながら自伝の『詩と真実・第3部第4部』(潮出版社)を一読して、原文に接することができた(もちろん原典完訳版でという意味だが)。
 抜粋すると‥‥
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このようにあわただしく混乱したなかでも、私はもういちどフリーデリーケに会うことを思い切ることはできなかった。なんとも切ない数日であったが、その日々の思い出は残っていない。馬上からもういちど彼女に手をさし延べたとき、彼女の目に涙が浮かんでいた。私もひどく辛かった。それから小途をドゥルーゼンハイムへ馬を駆ったが、そのときじつに奇妙な予感のひとつに襲われた。すなわち、私自身に向かって同じ道を馬に乗ってやってくる私の姿を、肉眼でなく、心の目で見たのである。しかも、いまだいちども着たことがないような、わずか金色のまじった薄鼠色の衣服を着ているのだった。私がこの夢を揺り落とすと、たちまちその姿はすっかり消えてしまった。それにしても、八年後に、この夢にみた衣服を、しかも自ら選んだものではなく、まったくの偶然に着こんで、フリーデリーケをもういちど訪問するために、この同じ道を通ったのはじつに不思議である。それに、こうした事柄がどういう意味をもっているにせよ、この不思議な幻像は別離のあの瞬間にいささか心の落着きを私にあたえてくれた。素晴しいエルザスを、そこで私の獲得したすべてとともに永遠に捨て去らねばならない苦痛も和らげられた。‥‥(55頁、河原忠彦・山崎章甫、訳)
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■じっくり読んでみると、これはドッペルゲンガー幻覚ではない、ということが分かる。
 馬に乗っていたのだから、半睡半醒状態での夢、と見てよい。そして夢の中ではこのような、自分の姿を客観視する体験は、けっして稀なものではないのだ。私自身の夢にもそのような例がある。次は、男子大学生の夢記録からの抜粋だ。
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‥‥気が付くとコンクリートの古ぼけた五階建てぐらいのうす茶色した建造物(ウェディングケーキのような上階にいくに従ってちいさくなっていくような感じで、そして、窓は各階に一つぽっかりあいている、裏に絵を描きました)の一番上の階にいる僕が見える。次に最上階から僕は、地上で野球をやっている少年たちを見ている。‥‥
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 少し分かりにくいが、「ウェディングケーキのような建物の一番上の階にいる僕が見える」とあるのが、自己像客観視だ。添えられた絵には、窓の中の小さな人影に「僕」とあり、そして地上からそれを見上げている大きな人影にも「僕」と記入がされている。夢でよくある、見る自己と見られる自己との分裂だ(次の場面では地上の僕は上階にいる僕に吸収されて分裂は終っているが)。ゲーテの体験でも、馬に乗った同士が行き会ったのだから、自己像客観視による自己分裂と解することができる。
■ゲーテ自身はこの体験を予知的に理解したらしい
 ゲーテが体験をじつに不思議なものと思ったのは、「八年後に、この夢にみた衣服を、しかも自ら選んだものではなく、まったくの偶然に着こんで、フリーデリーケをもういちど訪問するために、この同じ道を通った」ことである。
 ただし、無意識的な創作の可能性を否定するに足る証拠ーーその体験の直後にすぐに書き留めた記録が残っているなどーーが提示されていない以上は、次のように解釈するのが、妥当な線といえる。
 ゲーテは馬上で睡眠状態に陥って、夢のなかで自己像を客観視した。けれども自分では眠ったという自覚がないので、幻覚だと思った。8年後に同じ道を通って既視感(デジャヴュ)に襲われ、かつての自己像客観視を思い出した。そして、かつての分身の服装と現在実際に身に着けた服装が、あたかも同一であるかのような気がして、これを未来予知的に解釈した。
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