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2015年8月の記事

2015年8月26日 (水)

夢の現象学(88):今朝見た夢は現実世界の平行宇宙に似ていたの巻

■8月26日 夢を見た。東邦大にいた。


 教養1号館の古い建物の三階が研究室のまま、定年退職になるという設定だった。
 時間設定は、退職後少ししての時期らしかった。何かの用事で教養1号館に足を運び、研究室の斜向いの旧第二外国語研究室に、見知らぬ顔の新任教員が入っているのを目撃したのだった。
 次にその上の4階の教室に上ると、何かの実習(化学実習?)をやっていた。現実には4階は非常に大きな階段教室にだったのだが、夢では3つの中規模教室に仕切られていた。実習クラスの人数が多すぎて、3つの教室に分かれて同じ授業を、教員はただ一人で、やっているらしかった。私が入っていった教室は、最前列の三列だけが学生で埋まっているという、中途半端な状態だった。教員は他の教室にいるらしい。
 私はこの教室の前部の壁に何か用件があったらしい。「ちょっとごめんなさい」とか言って、壁から何かを取り出して、「お邪魔しました」とかいって引き揚げた。
 後は憶えていない。
■つまらない夢のようだが敢えて記録するのは、少しづつ現実界と設定がズレているから。
@教養科の古い建物の三階が研究室のまま定年退職。→→実際は生命圏環境科学科に移ると同時に新築の理学部5号館5階に研究室を移してから定年退職。
@時間設定が退職後1年以内。→→今は退職後4年目。
@旧第二外国語研究室に見知らぬ顔の新任教員が。→→昨年学科創設記念行事に出席したとき環境管理科学部門の新任教員に初めて会った。
@4階には教室が三つあった。→→実際には大きな教室が1つだけ。
 このように設定が少しづつ違う世界から戻ってきたのだった。しかも、思い出せることがホンの少ししかないにもかかわらず、なぜか、一個の世界に生きていたという、一種の懐かしさを伴った充実感があった。
 現実世界と夢世界の関係は、設定が少しづつ違う平行宇宙同士の関係に似ている。
 物理学的には、エヴェレットの量子力学の多世界解釈だ。
 そして分析哲学的には、デーヴィット・ルイスの可能世界同士の関係というわけだ。
 そんなことまで考えるほどに、実在の世界に確かに存在していた、という充実感があった。
 もっとも、逆に、特に悪夢ではないのに非現実性に耐えられず、夢だというはっきりした自覚がないままに目ざめる努力を無意識に始めていて、実際に目がさめてホッとするという、そんな夢も少なくないのだが。
+++【お願いェブサイトにも著作権があります!引用の際はこのウェブの著者名:渡辺恒夫を明記の上、このURL名も必ず併記して下さい。+++

2015年8月 3日 (月)

フッサール心理学(31):ジュリアン・グリーンの異色作 "Si j'etais vous ..."(もしも私があなただったら)の序文に幼少期の自我体験を見つけたの巻

■このところ、ジュリアン・グリーンの"Si j'etais vous ..."を、原書で読み進めている。近くの公立図書館で、偶然見つけた本だ。

 アマゾンで検索すると1979年に翻訳も出ているようだが、古書の価格が9千円もするので、やむなく、さび付きかけたフランス語を思い出しながら、毎日少しずつ読み進めている。

 この小説の着想が、幼少期の自我体験、それも「なぜ私は他の人間ではないのか」という意識の超難問の体験にあることを、作者自身の序文で知ったからだ。ジュリアン・グリーンは、30年以上前に、キリスト教文学選集の中で中編『地上の旅人』(「地を旅する者」という訳もある)を一読し、深い印象を受けたのだった。

 本ばかり読んで育った若者が、大学に入るためにひとりで町へ出るが、初めての現実世界との接触に耐えられず、ドッペルゲンガー(またはイマージナリ・コンパニオン)に導かれて崖から身を投げてしまう、というあらすじだ。アマゾンブックレヴューにも出しておいた(『現代フランス幻想小説傑作選』という本へのレヴューとしてだが)。
 タイトル「地上の旅人」には、地に生きるには向かない魂が、なぜか地に生れ落ちて艱難をなめ、早々と地上から去ってゆく、といった意味が込められている。
 読んだ当初は、これは自分のことだ、と思って読んだのだった。けれども、それ以後30年以上も、「地上」にしがみ付いているというのも、やるべきことが残っている、と思ったからだ。
 
 "Si j'etais vous ..."に戻るが、作者序文によると、主人公はなぜか「他の人間になる」という能力を得て、次々に色んな人間になってみる、というのがあらすじだという。
 ところが、十数頁読み進めても、まだ主人公である作家志望の事務員が帰宅して、夜空をしばらく眺めて、一日を振り返り、突然「悪魔とのランデヴー」という小説を書き出し、夜11時になると来訪者を待って門の外まで出て思いにふけり‥‥
 という具合に、主人公の心象風景の描写に終始して、動きがない。会話も一切ない。主人公の独白の連続なのだ。そういえば、昔の心理小説はたいてい、こんな感じだったなと思うと、なんだかなつかしい。
 ところがこれでけっこう、どんどん物語の中に引きこまれていってしまう。日本語だったらスラスラ字面ばかりを追ってかえって、内面に入り込めず、投げ出していたところだったかもしれない。辞書をひきながら原書で読むことで、かえって入り込めているのかもしれない。
 ともあれ、まだストーリに動きのない段階だが、何か変化があったらまた報告したい。
■コーンスタム著『(仮題)ヨーロッパの子どもの〈自己〉との出会い:自我体験の心理学』(渡辺恒夫・高石恭子(共訳)、金子書房)の出版が、来年2月に延びるらしい。
:
 書き忘れたが、ジュリアン・グリーンなどというカトリックの作家への興味が復活したのは、ひとえに、上記の訳業の中で、ジュリアン・グリーンの幼少期の別の自我体験の事例がこの本に載っているのに出会ったからだった。その縁で、日本でも全集が出ているのを知った。しかし、奇妙なことに、全集と銘打っているわりには、この、"Si j'etais vous ..."が収録されていないのだが。
 それはともあれ、オランダ人心理学者コーンスタム著の表記の訳本は、予想より遅れて、来年2月か3月の出版となったことを、先月、共訳者の高石さんと担当編集者と三人で初顔合わせをして、初めて知った。
 その席、原著の表紙が気に入っているので、訳本にも使えないか提案してみたが、版権の関係で無理らしい。でも、良い表紙なので、ここにアップロードしておきたい

「cover.pdf」をダウンロード

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