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2015年2月の記事

2015年2月26日 (木)

夢の現象学(82):地球侵略の宇宙人エージェントに変身するの巻

■久しぶりに「他者になる夢」を見た。

 大学のキャンパスにいた。騒然としていて半世紀前の京大のようだった(現実の京大と似ているわけでなく、目が覚めてからの連想かもしれない)。どうやら、学生の蜂起が間近いらしかった。
 同時に、宇宙人の侵略が進行中だった。なぜか私はそれを知っていた。多分、第三者視点で、全体を物語る作者の立場にいたからかもしれない(もちろん夢の中ではそんな自覚は多分なく、目覚めて気がついたことだが)。
 キャンパスの中にF教授(東邦大学の情報科学科教授だった人で、私より一歳年下)の姿があった。
 Fさんは、地球人に姿を変えた宇宙人エージェントの一人らしい。事務職員らしき男に出会うと、その額に手を当てる。しばらくすると職員は、「何日の何時にこれこれの部屋の鍵を開けておく」といったことを呟いた。精神支配が効き目を奏したらしい。額に手を当てている時間が少し長すぎて、あまり実用的でないような気がしたが。
 そのうち、私はFさんに成っていたようだった。
 Fさんの姿で宇宙人エージェントとしてキャンパスの建物の間を行くと、学生運動家の集団が来たので、建物の中に隠れてやりすごした。リーダーの精悍な顔に、京大時代、哲学科で同級だったO君を認めた(O君は民青系だから学生蜂起とは対立する側のはずだが、そんな矛盾は夢の中では念頭に浮かばなかった)。
 私はキャンパスの中を、建物から建物に、ぴょんぴょんと半ば飛ぶようにして進んでいく。キャンパスのその辺は、東邦大学の隣の日大に隣接する塀際の、理学部4号館のあたりの風景になっていた。
 そのうち目が覚めた。
■現象学的考察:F教授は現実の他者というよりフィクション中の人物ではないか?

 F教授は実在する他者である。けれども、この夢が最初のうち第三者視点で物語作家のように全体を進行させつつ観察していた、という記憶が正しいなら、F教授は、ハリーポッター物語を読んでいる時の魔法使いハリーとたいして変わらぬ存在とも思えてくる。他者への変身と言っても、虚構存在への変身と、現象学的には区別できなくなってしまう。
 印刷中論文「他の誰かになる夢」↓

「AuthorsProof_No15WatanabeT.pdf」をダウンロード

でも指摘しておいたが、もともと夢世界では、現実世界における実在他者と虚構他者の間の区別が成り立たないのだ。
 つまり、夢世界では他者の超越性が問題にならない、ということになる。
 するとどういうことになるのか。
 このような現象学的構造の夢世界における間主観性に、フッサール間主観性論(正確にはそのクラウス・ヘルトによる批判的再構成)が適用できるということ自体、フッサールでは他者の超越性が本当は喪われている、ということを示しているのかもしれないではないか!
+++【お願いェブサイトにも著作権があります!引用の際はこのウェブの著者名:渡辺恒夫を明記の上、このURL名も必ず併記して下さい。+++

2015年2月21日 (土)

夢の現象学(81):宇宙的な夢を見て、現象学における「なぜ」の問いの意味を考察するの巻

■久しぶりに宇宙的な夢を見る。2015年2月20日。

 神々の階梯の中で、度量衡を司る地位にあったようだった。
 神々の一員として私は、なにかを「いじった」。すると、夜空に、星よりは明るいが月のような面ではなく点であるような輝点が、多数出現した。
 輝点は、正方形の格子状を成して、天空いっぱいに展開しているのだった。星よりも明るいせいか、高度は星よりも低く感じられる。
 
 次に思い出せる場面では、「猫と乗合馬車」が出てきた。
 乗合馬車の駅の待合室に、一匹の猫がいた。
 それから夢はまだまだ続くのだが、もう思い出せない。
 そのうち目が覚めた。
 ベッドサイドに置いたノートにキーワードを書きつけてまた眠った。
 再度目が覚めて、また面白い夢を見たのでメモしようと思っているうちに、また眠ってしまった。
 二度目に目が覚めると、二つ目の夢は完全に忘れてしまい、一つ目の夢のメモだけが残っていた。これを手掛かりにこうして書いている。
■一つ目の夢の前半に自由連想法を施す。
 すると、5日前の15日(日)にツタヤで見つけて読んだ『累』というマンガにあった場面が思い出された。「銀河鉄道の夜」の芝居を高校生が練習していて、「プレアディス、‥‥」とか星座の名を呼ぶ場面だった。
 ひょっとしてこれが星空の場面に影響しているのなら、一週間後に現実の要素が夢に取り込まれるピークが来るという、フランスの夢科学者ジュヴェらの説に合う(現代のニールセンらの研究では直後が第一のピークだから第二のピーク)。
 次に、後半の乗合馬車と猫の場面に自由連想をしてみる。
 すると、ジュヴェが書いた科学小説『夢の城』の主人公の貴族科学者が、東欧へ乗合馬車で旅行する場面が思い出された。この旅行で主人公は、現実の要素が夢に出てくるのに一週間かかるというタイムラグの自己観察をするのである。また主人公は、睡眠中の猫が定期的にヒゲをピクピクさせるのを観察して、レム睡眠を発見した、ということになっている。18世紀が舞台だが。
 けれども、この連想は飛躍しすぎだ。夢の中で夢主(私)が、ジュヴェの、一週間後に現実要素が夢に出現するピークが来るというタイムラグ説を、まさに夢の中で気がついて、さらに『夢の城』を連想してその中の要素によって次の夢を構成した、といった、無理な設定になってしまうから。
 それと、神々の階梯の中に私自身が位置づけられるとは、いったい何なんだろう。連想されるのは、10年以上前、カナダ在外研究中に毎晩のようにテレビで見ていた『ドラゴンボール』に出てくる、「界王」のヒエラルキーぐらいなのだが。
 さらに、度量衡を司る神、というのは一体何か。そういえば、4、5日前に日経新聞で読んだ、度量衡の基準を百年ぶりぐらいに、より現代の原子物理学に基づいたものへと見直すという、記事が連想される。
■こうして、夢の材料の現実での由来が連想によって明らかにされると、夢の構成過程についての仮説が立てられる。
 レム睡眠時のPGO波で記憶がランダムに撹拌されて、10年前に見た『ドラゴンボール』の界王のヒエラルキーが浮かび上がった。
⇒自分をそのヒエラルキー中に位置づけた。
⇒4、5日前の日経記事からの連想で、自分を度量衡を司る神とした。
⇒4、5日前に読んだ『累』からの連想で、神のわざが星空の変容として具体化した。
⇒これらの場面の要素が4、5日前の現実世界に由来することを(無意識のうちに?)夢主が看取して、ジュヴェの、タイムラグ説を連想した。
⇒ジュヴェの小説の中の乗合馬車と猫が登場した。
 だからといって、なぜこのようなストーリー(物語)になったかが、解明できたわけではないのだが。
■現象学で「なぜ」に答えるのは「説明」ではなく「解明」である
 ここで、「なぜ」に答えるのは現象学の仕事なのか、という疑問が湧く。「なぜ」に答えようとするのは、「結果」に対する「原因」を求める、因果説明になってしまい、現象学にならないのではないか、と。
 けれども、直ぐ前のブログ記事にPDF版をアップロードしておいた印刷中論文「他の誰かになる夢と間主観性」では、なぜ夢世界では他者に変身できるのか、という問いに答えようとしているではないか。参考までにPDF版を、ここでも

「JokomiKenkyuNo15WatanabeT_inprint.pdf」をダウンロード

しておく。
 「なぜ」への答は、クラウス・ヘルトによって批判的に再構成されたフッサール他者論では、他者への独自の志向性である向現前化が、実は2種類の準現在化の協働にほかならない、というところに求められたのだった。
 つまり、夢世界の現象に対する「なぜ」への答えは、向現前化という最も基底的な現象学的構造が、現実世界と夢世界とで相違している、というところに求められたのだった。
 夢世界では、現実世界での準現在化対象が、片っ端から現在化する。
 だから、二種類の準現在化の協働から成る向現前化であるはずの他者も、現在化するが故に現前化する。つまり、他者へと変身するのである。
 ただし、夢の中に出現した他者という他者に、片っ端から変身するわけではないので、どんな条件でどんな他者に変身するかが、次の課題となる。これについては印刷中論文の末尾でも示唆しておいたが、どうやら私は「主役」へと変身する傾向があるらしい。
 以上の考察を踏まえると、「なぜこのようなストーリーになるのか」という「なぜ」への解答もまた、より基底的な現象学的構造に求めるべし、ということになってくる。
 そして、このように、現象への「なぜ」に答えるのを、より基礎的基底的な現象学的構造に求める解答の仕方を、現象学的解明というのである。(2月22日、夜)
■まとめ:説明と理解と現象学的解明
 まとめよう。
 説明(explain, explanation)ーー個別事象を一般法則に包摂すること。これによって、過去へ向かっては「原因による説明」が、未来へ向かっては「予測」が、可能になる。地震学が、原因による説明に成功しても地震予知に成功しないのは、説明科学として未熟なのである。
 理解(understanding, comprehension)ーー「理由」による説明。「彼女が窓を開けたのは部屋が蒸し暑いからだ」というのが、理由による説明である。理由による説明と原因による説明が異なることは、前者が目的論的説明でもあることに留意すればたやすく分かる。「彼女は部屋の蒸し暑さを減じる<ために>窓を開けた」というように、「ために」のカテゴリーが使われているから。
 現象学的解明(explication, elucidation)ーー個別的現象を、より基底的な構造に還元して理解すること。たとえば、「なぜ私は現実にはハリー・ポッターに変身できないのに、夢の中では変身できるのか」という、個別的現象に関する問いに対し、「現実界では自分がハリー・ポッターだと想像しても、想像にすぎないという意識と二重になっているから、確信の域まで行かない。ところが夢世界では意識が一重だから、ハリー・ポッターだと想像すればそう確信することになってしまう」と答えること。現実世界と夢世界の最も基底的な構造の違いに還元して個別事象を理解し説明するのが、現象学的解明であるといえよう。(3月3日の追加)
+++【お願いェブサイトにも著作権があります!引用の際はこのウェブの著者名:渡辺恒夫を明記の上、このURL名も必ず併記して下さい。+++

2015年2月 1日 (日)

夢の現象学(80):論文「他の誰かになる夢と間主観性」のAAM版を公開するの巻

■明治大学の紀要論文「他の誰かになる夢と間主観性:夢の現象学ノート(1)」が、昨年末に査読を通ったので、この1月の半ばに、必要な修正を施したうえで、決定版を事務局に送付しておいた。

 他の論文で査読が遅れているものもあり、紀要が出るのは3月末になる見込みだという。昨年と同じペースだ。昨年度の論文は、それからさらに図書館にレポジトリー入りを申請し、PDF版が出たのは7月のことだった。今年はそれほど悠長に構えているつもりもないので、自分で作った

「JokomiKenkyuNo15WatanabeT_inprint.pdf」をダウンロード

を公開しておく。
 PDF版と言っても、まだ出版になっていない以上、AAM版(Accepted Author Manuscript)だ。
 これは、掲載承認済みの原稿に必要に応じて修正を施した著者による決定版で、最終的にジャーナルに送った原稿と同一の原稿だ。ほぼそのまま掲載になる予定で、初校も出ているので掲載誌上の頁番号も分かっている。
 各種専門誌発行の最大手、ELSEVIER社のサイトを見ると、AAM版は商業目的でない限り著者自身が公開してもよろしいと書いてあるので、本ブログ上のアップロードも問題ないだろう。引用に当たっては、PDF版のヘッドにある注意書きを読んでいただきたい。
 参考までに、以下に「要約」と「キーワード」を引用しておく。なにやら専門用語が多くてムズカシそうだが、要約は厳しい字数制限があるため、どうしても厳めしい文章になってしまう。本文はもっと分かりやすいので、興味のある方は読んでいただきたい。

【要約】他者へと変身する夢を間主観性問題への挑戦とみなし、現象学的解明を試みる。まず著者の先行研究より、夢世界では想像対象、予期・想起対象など準現在化対象は、すべて現在化(=現実化)されることを確認した。次に、著者自身のブログに掲載された74の夢事例の中から視点転換を伴い他者になる夢5例を選択して考察するという、現象学的な当事者研究を行った。その結果、フッサール間主観性論でいう向現前化の対象が現前化するという、共通の構造的特徴を確認した。結論として、フッサール説では他者への志向的意識(=向現前化)は想像意識と予期・想起意識という2種の準現在化の共同作業ということになってしまうとして批判したクラウス・ヘルト説を、間主観性論の批判的再構成とみなして依拠し、夢世界ではこれら2種の準現在化作用が共に現在化され現実化するがゆえに他者への変身が可能となる、というように解明した。

【キーワード】 夢の当事者研究、現象学的心理学、フッサールの間主観性理論、現前化/向現前化、クラウス・ヘルト

■今朝がたも見知らぬ他人ばかりの夢を見た。
 今年(2015年)に入ってから、肝腎の夢日記を書いていないので、今朝方に見た夢を書いておく。
 26年前まで勤めていた高知大学の朝倉キャンパスが出てきた。土電(路面電車)を降りて西へ、キャンパスの塀に沿って歩くと、キャンパスの角に出る。そこから南に向かって歩いていたようだった。
 この辺は、車の多いひどく殺風景なところだ。といっても、すぐ西には、異常に竹藪の繁茂した山が聳えていたりするので、単なる大都会風殺風景とも違う。
 誰かと一緒に、歩いていた。誰かは見知らぬ、やや若い男だった。工場の敷地のようなところに入り込んだ。反差別製造工場、ということになっていたと憶えている(スマホに残したメモ書きによると)。あとは憶えていない。
 この夢が印象に残ったのは、出てきた唯一の他人が、見知らぬ人間だったからだ。数日前に見た夢も、見知らぬ人間ばかりだった。小規模の学会のような場にいたのだが、学会の世話役というのが、見知らぬ若い(私にくらべればの話だが)男だった。他に、見知った顔はいなかった。
 数年前にこのブログにアップロードした記事も、世の中見知らぬ人間ばかりになるという不安の萌した夢の記録だったが、不安が現実に近くなりつつあるような気がする。
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