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2014年12月31日 (水)

夢の現象学(79)/フッサール心理学(28):障碍者が出てくる夢からスピーゲルバーグの「生誕という事故」に思いを馳せたの巻

■2014年12月7日(日)の夢。

 時々夢で訪れる大学の研究室のようなところにいた。前半は憶えていない。というより、無理に思い出そうとすると、以前みた夢が断片的に浮かんできてごっちゃになってしまうのだ。
 比較的鮮明に覚えている最後の場面では、その研究室のある大学の棟らしき建物には、共同浴場があるのだった。浴場は通路の間に位置していて、出入口が相対してついていた。また、男女兼用なので、女性がいないところを見計らって入らなければならない。
 一方の入り口から入って脱衣しかけると、反対側の入り口から若い男が何人か入ろうとして来たが、私を認めて引き返した。
 そのうちに、私た入ってきたのと同じ入口から、車椅子の女性と、付き添いらしい女性とが入ってきた。付き添い人が、「すみません、障碍者なので、先に入らせていただけませんか」といったことを言う。車椅子の女性は、両脚が見えない。かなりひどい障碍らしい。これでは断れないと思い、「いいですよ」と承諾した。手荷物をまとめて脱衣場を出るとき、身障者一行に同行して来たとおぼしい、この棟の事務局といった感じの男性と擦れ違った。これではますます断れなかった、と思った。けれども同時に、心の隅では、よほど緊急の事情でもない限り、先着順は守られるべきではないかという、釈然としない気持ちが残っていた。
 そのうち、目が覚めた。

■障碍者が出てきたのはスピーゲルバーグの「生誕という事故」の影響
 車椅子の女性が出てきたのには、連想があった。二日ほど前、現象学的他者理解についての記事の中で(前ブログ記事を参照)、現象学者スピーゲルバーグの「生誕という事故」(確か、accident of the birthだったかな?)について書いたのだった。自我体験の調査研究から、自分がこの人間(筆者から言えば渡辺恒夫)に生まれたのも偶然なら、アフリカの内戦国の地雷で両足を失った貧しい少女に生まれなかったのも偶然、ということになる。全くの偶然だからそれは、「生誕という事故」というべきなのだ。
 ユダヤ系の生まれで、英仏海峡をボートで渡って亡命したという経歴を持つスピーゲルバーグ(H. Spiegelberg: "Steppingstones toward an ethics for fellow existers". Martinus Nijhoff Publishers, 1986)は、この生誕という事故という構想に、差別克服の鍵を求める。
 確かに、いじめっ子が、「自分が今まさに苛めている相手に生まれていたかもしれなかったのだ」と気づけば、もう、いじめなどやっていられなくなるかもしれない。それは、タイの仏僧が、腕にたかった蚊を叩こうとして、「まてよ、この蚊は去年死んだおバアちゃんの生まれ変わりかもしれない」と気がついて、叩くのをやめるのと、同じくらいの効果があるだろう。
 けれども、「生誕という事故」の構想にも限界はある。私は貧しいアフリカの内戦国に生まれないで済んだ、ああよかった、と胸を撫で下ろして、それで無関心になってしまいかねないからだ。

■フッサール他者論から可能世界論へ
 フッサール他者論を突き詰めていけば、ある他者、たとえば山田花子を他者として自己と等根源的に理解するとは、私が山田花子として生まれた可能世界の存在を肯定する、ということになる。ところが私が渡辺恒夫として生まれたのが現実世界である以上、現実世界と可能世界との間には、等根源性が成立しない。このパラドックスをどう解いてゆくのかが、前ブログ記事の続きとなるのだが、怠慢で途絶したままだ。代わりに、前ブログの最後の、質的心理学会シンポジウムの項に、シンポでの私の配布資料「カプグラ症候群と自我体験・独我論的体験への現象学的アプローチ」をアップロードしておいたが、アクセスの便が悪いところにあるので、ここにも↓

「2014SympoQualitative.pdf」をダウンロード

貼り付けておくことにしよう。参考文献なども、このPDF資料に載っている。

+++【お願いェブサイトにも著作権があります!引用の際はこのウェブの著者名:渡辺恒夫を明記の上、このURL名も必ず併記して下さい。+++

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