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2014年2月の記事

2014年2月11日 (火)

夢の現象学(66)/フッサール心理学(21):空中歩行の夢と児童期の独我論的体験の関係の巻

■2014年2月10日。三日前に見た空中歩行の夢について思うこと。

 またしても夢のなかで空中歩行をしていたのだった。歩いていて少し気合を入れると、たちまち道路の上、1メートルばかりの空中に浮き上がり、そのまま歩行できるのだった。そうやって、交差点も、空中歩行で通りぬけた。人に気づかれないか気になったが、一般に想像もできないことは目の当たりにしても信じることができず、したがって記憶にも残らないものだ。だから、たとえ見られても、気付かれなかったと、私は夢のなかで思った。
■空中歩行の夢は児童期の独我論的体験の象徴的表現か
 そのうち、空中飛行の夢が、何かを象徴しるのではないかと、思い当たった。思い当たった時、すでに目が醒めていたか、それとも夢のなかで考えていたのかは、もう思い出せない。
 とにかく、思い当たったことは、完成も近い(仮題)『他者論で脱構築する心の科学史』に書こうかなと思っている、「あとがき」のエピソードだった。
 こんなことを、書こうかな、と思っているのだ。
 子どもの頃、世の中の人間たちが、<自分>と<他人>にはっきりと分かれているのが不思議でならなかった。それも、<自分>はたったひとりなのに<他人>は無数にいるので、言わば多数決原理で、「人間」とは「他人」を意味するのだろう。だから私は<自分>である以上、人間ではないのだ。人間のなかに、人間のふりをして紛れ込んでいるだけなのだ。だから、誰にも気が付かれないように、正体ばれないようにして、生きなければならない‥‥。
 この後ろ暗い感覚は、今でもいくらか残っている。たとえば、私が最も苦手とするのが、政治的議論の場である。なぜなら私の観察では、政治的論争では、自分を正義であるとより強く信じている方が、必ず勝つのだから。今にいたるまで私には、自分が正義であるという感覚は無縁なのだから‥‥
 実際に書くかどうかはわからない。ヘンに思われて、内容評価に響くかもしれないし、担当編集者に止められるかもしれない。
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電子ジャーナル:こころの科学とエピステモロジー

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