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2013年10月27日 (日)

夢の現象学(61):幼少期の町を夢に訪れたが見知らぬ風景だったの巻

■2013年10月22日。夢を見た。武蔵新田の駅で降り、13の齢まで住んでいた矢口町の家を見に行くのだった。

 なぜか自転車に乗っていた。裏通りを行くつもりだったが、表通りから分かれる道には道路工事の掲示があったので、そのまま新田神社の前を通る表通りを行く。かなり早いスピードで行く。
 途中の風景には、目が覚めてから思い返しても、見覚えがない。そのうち、左へ曲がる道が近づく。見落として行き過ぎてはいけない。唯一の目印は、左側の角の吉田風呂桶店だ。やがて左側に、見覚えのない、緑の絨毯を敷き詰めたような敷地が展開を始めた。私はそれを、吉田家として認識した。けれども、風呂桶店が見える前に目が覚めてしまった。

■認知地図以外は見覚えのない風景だけで構成されていた。

 目が覚めてから思い返すと、記憶にあるはずの新田神社や風呂桶店でいつも働いていた吉田君のお父さんなどは一切登場せず、見知らぬ風景だけで構成されていたと分かる。つまり、「駅を出て左に曲がらずまっすぐ表通りを行き風呂桶店の角で左に曲がる」という、認知地図だけが現実通りで、途中の風景はたぶん、別の源泉から呼び出して構成したものらしいのだ。
 ちなみに吉田家の庭は、現実には店舗の手前に少しだけある程度なのに、夢ではいやに敷地が長く続くので、「ほんとにこれが吉田家だったかな」と、疑いが萌したような気がする。また、かつての夢の中では、木戸を押して、吉田家の庭ーーというよりその夢の中では「園」というのがふさわしいくらい広いことになっていたがーーに入り込んだ気がするが、現実にそのような木戸があったかどうかははっきりしない。今回の夢は、何年も前に見たこの夢の、続きの要素もあるように感じた。

 そもそも、なぜこんな、幼少期の町の風景に迷い込むような夢をみたのかというと、寝る前にベッドの中で読んだナボコフ自伝の影響かもしれない。ロシアの貴族の家に生まれた幼少期の思い出の探訪が、ナボコフ自伝のテーマだったのだ。

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