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2013年3月の記事

2013年3月31日 (日)

フッサール心理学(「独我論の現象学」改め)(13):30年以上前に出した短編集が「SF奇書天外」なる本の中で紹介されていたの巻

■30年以上前に仮名で出版した『楕円の鏡:幻想小説集』が、『SF奇書天外』なる本の中で紹介されていた! 

 という、私にとっては驚天動地の話を今回はする。フッサールとも独我論とも直接関係がないようだが‥‥
 先日、近くの市立図書館で借りた『SF奇書天外』(北原尚彦、東京創元社、2006)という本を何気なくめくっていた。著者のことも、この本のことも、それまで知らなかった。単に、題名にひかれたのだった。
 内容は、横田順也の『SFこてんこてん』の戦後版ということで、戦後すぐから始まって、1950年代、60年代、70年代と、これはと思う「SF奇書」を片っ端から紹介していく。SF好き、奇書好きの私としては、けっこう楽しめた。
 ところが、80年代に入って、嬉野泉という、なにやら見覚えのある作家名を目にするころから、不吉な予感がしてきた。嬉野泉さんとは、私が一人でSF同人誌を出していたちょうど同じころ、やはり一人でSF同人誌を出していた、本業は医師のアマチュア作家ではなかったか。
 不吉な予感は、次の頁で的中した。なんと、私にとっては処女出版であったが、その後さしたる反響もなく忘却の霧の中に置き去りにしてきたつもりだった作品集が、表紙の写真入りで紹介されているではないか!
 紹介文を抜粋すると‥‥
 ++++
 渡辺恒人『楕円の鏡』(近代文藝社、1982年)は「幻想小説集」と副題の付された短編集。解説はなんと荒巻義雄。(中略)
 「新・セラフィタ」は、未来世界の両性具有者を描いたジェンダーSF。非常に美しい両性具有のセイラは、ひと月の半分を女性として、残り半分を男性として生きていた。セイラは「反対側の性の自分」を愛するあまり、異常な計画を思いつく。
 それから時を経て、セイラは伝説の人となっていた。ひとりの少年ミチルは、小さな頃の記憶がなかった。そして、ルミエという少女の幻を見る。やがて、隠された秘密が明らかになる‥‥。背景として、性的に現在と異なる社会が描かれているが、この時期にこのようなジェンダーSFが、同人作家によって書かれていたとは。(中略)
 本書も、≪SFアドベンチャー≫で書評され、また≪幻想文学≫第11号(1985年6月刊)の「幻想SF50選」に選ばれている。
 作者は高知の人で、1986年の第13回星群祭(前述のSF同人誌≪星群≫が主催していた年次大会)では、ゲストの一人ともなったらしい。(pp.252-253)
 ++++
 というわけだ。
  いやあ、ホントにびっくりしました。あの作品集が、SF的な幻想小説だとは思っていても、SF奇書の範疇に入るなんで、夢にも思っていませんでした。とにかく、自分では忘れたつもりだった30年まえの作品集を、ちゃんと取り上げて紹介してくれる人がいることに、感謝、です。
 けれど、悪いけど、どうもこの人、少し取材力が足りないな、と思わないではいられない。確かに、私はこの本の中では、個人の同定につながるような、略歴などの手がかりを、一切残していない(これは同人作家の中ではどうやら例外的だったらしい)。けれども、ペンネームといっても「夫」を「人」にしただけの一字違いだし、今ならグーグル検索で容易に、正体を暴けるハズなのだから。「この時期にこのようなジェンダーSFが、同人作家によって書かれていたとは」という謎も、簡単に解けた筈なのだから。
 そう、その4年後に、ジェンダー論を本名で出版しているのだから。
 
■独我論と関係のある「新・セラフィタ」
 とここまで書いてきて、「新・セラフィタ」は独我論と大いに関係があることに、我ながら今頃だが気付いた。つまり、独我論的な愛の形を描いているのだから。
 
≪この項、未完≫
+++【お願いェブサイトにも著作権があります。引用の際はこのウェブの著者名:渡辺恒夫を明記の上、このURL名も必ず併記して下さい。+++
 

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