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2013年2月の記事

2013年2月24日 (日)

フッサール心理学(「独我論の現象学」改め)(12):新著の出版にちなんで連載名を変えるの巻

■新著『フッサール心理学宣言』の出版にあわせて連載名を変更することとしました。

 ただし、連載の通し番号は元のままです。
 フッサール心理学とは何でしょうか。一言でいえば、「世界と他者の自明性を前提とせず、世界と他者をカッコに入れたままでも、実践することのできる心理学」なのです。
 他者の自明性を前提としない以上、当然、自明なる他者と自明なる自己とを包摂する「人間一般」という概念をも、前提とする必要がなくなります。心理学も人間科学である以上、人間一般の概念を前提しているはずだと思うでしょう。けれども、人間一般は決して現象しません。フッサール心理学は、人間一般は現象しないという、現象学的にそれこそ明証的な現実から出発する心理学なのです。
■夢世界の探求もまた、フッサール心理学の威力が発揮できるテーマです。
  本書でフッサール心理学がテーマとしている現象は、自我体験・独我論的体験、つまり他者の自明性がひび割れる体験です。けれども、本書では扱えなかったのですが、夢研究に最もその威力が発揮できると考えています。
 夢というだけで、現実よりもリアリティ度が希薄である。現実が真実ならその反対の虚偽である。こういう固定観念を携えたままでは、夢世界独自の原理を、法則を探究しようにも、モチベーションが高まりません。けれどもフッサール心理学は、世界と他者の実在性を判断停止(エポケー)したまま実践できるため、夢世界と現実世界を、まったく対等の世界として扱います。
 他者の存在をカッコ入れしてしまったら、他者の夢報告は使えなくなるではないか、という懸念も無用です。本書の技法の一つである「テクストの一人称読み」によれば、夢報告を含めたあらゆる他者の体験報告は、「私自身がかつて記録し、引き出しの奥に放り込んだまま、記録したこと自体忘れていたテクスト報告を再発見して読む」という読み方によって、私自身の可能的体験とみなされるのですから。あるいは、可能的私の体験、ということもできるでしょう。
 可能的私とは何か。現実のこの私は、時代や年齢や性別やその他の偶然的特徴によって、体験自体が制約されたものになっており、体験の本質観取が困難になってしまっています。それを補うのが、可能な限り多くの体験テクストを一人称的に、私自身の体験として読むことによる、本質観取です。
■夢の中で、もう一つの『フッサール心理学宣言』を書きたい
 もっとも、夢の探求には一定の限界があります。夢世界の考察が、現実世界においてなされていることです。これではフェアではありません。できれば、夢の中で夢について考察したい。そればかりか、夢世界から見て、「もう一つの夢世界」に他ならないこの現実世界についても、夢の中で考察できるようになりたいものです。
 そして、夢の中で、もう一つの『フッサール心理学宣言』という本を書きたい。これが私の夢なのです。
 
<この項、未完>
+++【お願いェブサイトにも著作権があります。引用の際はこのウェブの著者名:渡辺恒夫を明記の上、このURL名も必ず併記して下さい。+++

2013年2月10日 (日)

夢の現象学(56):邪悪な不死の術を伝える秘密結社の隠れ蓑を探るの巻

■邪悪な不死の術を伝える秘密結社の隠れ蓑を探るの巻
2月9日(土)、朝8時。何やら複雑で波乱万丈で謎に満ちた夢を見て目が覚めた。けれども、いざペンを取り上げて、最初の方がすでに思い出せなくなっていることに気付いた(いつものことだけど)。
 思い出せるのは、国電(JRの前身)に乗って東京のあちらこちらを、何やら陰謀の痕を追って調べて回っていたことだった。小さな駅の光景が思い浮かぶ。乗り換え駅だが、直接の連絡通路がなく、一度地上に出てから乗り換えるのだった(船橋駅と同じだと、目覚めて思った)。
 また、このストーリーと関係があるかどうか分からないが、祖師谷の家と似ている(けれども違うような気もする)二階家の屋根の上から、庭に水道の水が出しっぱなしで次第に水かさが増して庭全体が流れになってくるのを、他に数人と一緒に見おろしていた場面が思い浮かぶ。屋根は巨大で、庭まで続いて降りていた。屋根の下部には、白い小型犬が二匹いた。一匹はやや上品で線が細い。もう一匹は少し若く、新参だが、乱暴そうだ(学生のころ下宿していた京都は松ヶ崎の大杉アパートの二匹の犬の再現だ、と目覚めてから思った)。二匹とも迫りくる水かさを避けて高みによじ登ろうとするのだが、犬らしくもなくうまくよじ登れない。より若く新参の方が、体は小さいのにうまくよじ登れそうな気配だ。私は、上品な方の犬に手を貸してやりたく思った。
 その後、前の陰謀を調べて回っている物語に戻ったらしいが、「古文書を探しているうちに、見つかったことがあるよ」と、私が誰かに話している場面になった。「浄土真宗というのが怪しい。」「浄土真宗って、お始祖が親鸞で、誰でも希望すれば参禅させてくれるところ?」と、相棒。「ちがった、真行宗だ」と私は適当に名前を考えて訂正する。つまり、そこが、邪悪な不死の術を伝える秘密結社の隠れ蓑になっているのだ。
 あとは思い出せない。
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