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2011年7月の記事

2011年7月21日 (木)

独我論の現象学(6):「独我論への/独我論からの現象学 序説」を書き始めたの巻

■「独我論への/独我論からの現象学 序説」 

 独我論の現象学を始めるときが来た。

 ここで独我論の現象学とは、二重のーー互いに方向を異にするーー運動を意味する。第一に、独我論への現象学である。第二に、独我論からの現象学である。

 独我論への現象学とは、この私が、元来は独我論的世界に誕生したことを発見するにいたるまでの、時間を遡る探究である。最初この探究は、質的心理学的であっても現象学的とはいえない方法で、なされてきたのだった。そのうち、現象学的精神医学者や (Blankenburg, 1971; 木村、1974)、現象学哲学者(Spiegelberg, 1964)の著述にヒントをえて、現象学的心理学としてやり直し(Watanabe, 2011; 渡辺, 印刷中)、ついには「developmental epoche」の世界に達するにいたった。この探究の道筋が、第一部をなす。

 独我論からの現象学とは、自明性の世界のただなかに、この私が「第二の誕生」を遂げてからの物語である。私が、本来、けっして理解することのなかった日常的自明性の世界を、いかにして、理解しうるする世界として再解釈し再構成してきたか、そして未来にもどのような再構成の可能性が展望されるかの、現象学的解明である。

参照文献

Blankenburg, V. W. (1971). Der Verlust der Natürlichen Selbstverständlichkeit: Ein Beitrag zur Psychopathologie Symptomarmer Schizophrenien. Stuttgart: Ferdinand Enke Verlag.

木村敏 (1973)異常の構造<講談社現代新書>. 講談社.

Watanabe, T. (2011). From Spiegelberg’s “I-am-me” Experience to the Solipsistic Experience: Towards a Phenomenological Understanding. Encyclopaideia – Journal of Phenomenology and Education, XV(29), 91-114.

渡辺恒夫(印刷中) 自我体験研究への現象学的アプローチ 質的心理学研究、No 11.

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2011年7月15日 (金)

夢の現象学(47):開封しないまま夢から醒めてしまった手紙を読む方法の巻

■夢の現象学(46)で、読むのを後の楽しみに取っておいた手紙を、開封しないうちに、目が醒めてしまった、という話をした。

 手紙は、夢世界と共に、永遠に無に帰してしまった、といった意味のことを書いて、記事を締めくくったと覚えている。

 ところが、手紙を見つけ出して、読む方法が、あったのである。つまり、続きの夢を見ればよいのだ。

 続きの夢を見るのは不可能ではない。今までだって、目が覚めてまた寝て、すぐに夢の続きを見たことがある。

 また、十年ほどにわたって、シリーズものの夢「地下室の古文書を探究する夢」を、みていたこともある(20代後半頃から)。

 といっても、意図的に続きの夢をみるというのは、日数がたってしまった今となっては、なかなか難しいことだが。

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『人はなぜ夢を見るのかー夢科学四千年の問いと答え』(渡辺恒夫著、京都:化学同人、2010)

独我論の現象学(5):developmental epocheと同時に私は存在を始めたのだろうかの巻

■IHSRC発表用英語論文の末尾ができた。日本語訳すれば、おおよそ次のような意味になる。

メルロー・ポンティは、「完全な現象学的還元は不可能である‥‥」と書いた。私もこれに同意する。けれども、少なくとも発生的現象学の企ての出発点とするに十分なほどの現象学的還元は可能である。フッサール諸世界に定位されたdevelopmental epocheの発見は、病理でもなく、哲学的理論的フィクションでもなく、心的現実としての、現象学的に還元された世界の実在を示しているからだ。developmental epocheこそ、発生的現象学が常に立ち返るべき、参照的となるのである。

■英語での発表原稿は、とりあえず、ここで打ち切るより仕方あるまい。これだけでも、最近出た、Encyclopaideia-Journal of Phenomenology and Education 論文(Watanabe, 2011) はもちろんのこと、来年3月に出る予定の「自我体験研究への現象学的アプローチ」(『質的心理学研究』No11, 2012, 印刷中)よりも、一歩を進めたことになる。そこで、以下は、このブログ上での呟きということになるのだが。

 ‥‥developmental epocheより過去に、現象学的に遡ることはできない。developmental epocheが反省的に思考する私の存在の誕生(第二の誕生!)を印するものである以上、現象学的反省的方法でその以前に遡ることは、自己矛盾だからだ。

 ということは、自明性の世界の只中に、developmental epocheと同時に私は存在を始めたということだろうか。自明性の世界は、現象学的反省にとっての「所与」であって、遡っての「再構成」はできない。自明性の世界がいかに発生したかーー構成されたか?ーーの問題は、科学的発達心理学に、ゆだねる他は、ないのかもしれない。

 現象学に可能なことは、developmental epoche以後、私が自明性の世界を、いかに再解釈してきたか、の解明ではないのか。これが、私の企てる発生的現象学、ということになる。つまり、すでに「世界観の発達心理学」の名の下にやってきたことを、現象学的に再解釈する、ということになる。

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Watanabe, T. (2011). From Spiegelberg’s “I-am-me” Experience to the Solipsistic Experience: Towards a Phenomenological Understanding. Encyclopaideia – Journal of Phenomenology and Education, XV(29), 91-114.

『人はなぜ夢を見るのかー夢科学四千年の問いと答え』(渡辺恒夫著、京都:化学同人、2010)

 

2011年7月 7日 (木)

夢の現象学(46):手紙を読むのをためらってているうちに目が醒めて永久に読めなくなってしまったの巻

■夢を見た。東邦大学にいた。レターボックスに手紙が入っていた。

 面倒臭いので、破って捨てた。(中略)気になって捨てた手紙を拾って見ると、見知らぬ女性名で、封筒の表に「ブログを読んで‥‥」とある。九州在住の精神科医だという。(中略)中味も破れているが、読むのは差し支えなさそうだ。なんとなく(ここには書けないある理由で)すぐ読むのももったいなく、後回しにした。

 場面は組合の会合のようになっていた。「ベースアップがあると、やるぞおという気になりますよね」といった話を、多分、女性学部長がしていた。そして‥‥何と、目が醒めてしまったのだ。

 手紙は読まれないまま、永久に夢の世界の彼方へ消えてしまった。

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