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2011年7月15日 (金)

独我論の現象学(5):developmental epocheと同時に私は存在を始めたのだろうかの巻

■IHSRC発表用英語論文の末尾ができた。日本語訳すれば、おおよそ次のような意味になる。

メルロー・ポンティは、「完全な現象学的還元は不可能である‥‥」と書いた。私もこれに同意する。けれども、少なくとも発生的現象学の企ての出発点とするに十分なほどの現象学的還元は可能である。フッサール諸世界に定位されたdevelopmental epocheの発見は、病理でもなく、哲学的理論的フィクションでもなく、心的現実としての、現象学的に還元された世界の実在を示しているからだ。developmental epocheこそ、発生的現象学が常に立ち返るべき、参照的となるのである。

■英語での発表原稿は、とりあえず、ここで打ち切るより仕方あるまい。これだけでも、最近出た、Encyclopaideia-Journal of Phenomenology and Education 論文(Watanabe, 2011) はもちろんのこと、来年3月に出る予定の「自我体験研究への現象学的アプローチ」(『質的心理学研究』No11, 2012, 印刷中)よりも、一歩を進めたことになる。そこで、以下は、このブログ上での呟きということになるのだが。

 ‥‥developmental epocheより過去に、現象学的に遡ることはできない。developmental epocheが反省的に思考する私の存在の誕生(第二の誕生!)を印するものである以上、現象学的反省的方法でその以前に遡ることは、自己矛盾だからだ。

 ということは、自明性の世界の只中に、developmental epocheと同時に私は存在を始めたということだろうか。自明性の世界は、現象学的反省にとっての「所与」であって、遡っての「再構成」はできない。自明性の世界がいかに発生したかーー構成されたか?ーーの問題は、科学的発達心理学に、ゆだねる他は、ないのかもしれない。

 現象学に可能なことは、developmental epoche以後、私が自明性の世界を、いかに再解釈してきたか、の解明ではないのか。これが、私の企てる発生的現象学、ということになる。つまり、すでに「世界観の発達心理学」の名の下にやってきたことを、現象学的に再解釈する、ということになる。

:

++++ブログの主の関連する新刊++++

Watanabe, T. (2011). From Spiegelberg’s “I-am-me” Experience to the Solipsistic Experience: Towards a Phenomenological Understanding. Encyclopaideia – Journal of Phenomenology and Education, XV(29), 91-114.

『人はなぜ夢を見るのかー夢科学四千年の問いと答え』(渡辺恒夫著、京都:化学同人、2010)

 

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