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2011年6月17日 (金)

夢の現象学(45):日本初のフッサール現象学流軍人と阿蘭陀婦人のロマンス小説を読む夢の巻

■「フッサール現象学流軍人」の手になる阿蘭陀婦人とのロマンス小説を読む

2011年6月17日朝。長い夢を見た。

なにやら小説を読んでいる夢だった。覚醒直後は著者名を憶えていた筈が、もう思い出せない。「日本初のフッサール現象学流軍人」なる主人公が、(多分、阿蘭陀留学中に)「阿蘭陀婦人」と一夜を契るという、戦前を舞台とした話だった。著者の自伝小説らしかった。

 ところが主人公の人生は、もう1人の男の人生と、不思議に交差する。浮田**(下の名は思い出せない)という、フッサール現象学を学んで日本初の潜水艦を設計した海軍軍人だ。主人公は浮田氏手記を、経緯は思い出せないがどうにかして入手して読み、件の阿蘭陀婦人と浮田氏の因縁浅からぬを知り、大いに驚き、身を引く決心をしたのだった。

 それでも、戦後になって、阿蘭陀婦人との一夜の契りで生まれた娘がオランダに住んでいて、来日して高知に今は住んでいることを知って、会いに行くのである。

 以上が、その小説の第一章の内容だ、と思った。ところが第二章以下は、別の物語になっていることに気付く。短編集なのだった。つまり、著者は元々軍人だったが、どうやら浮田氏の手記を読んだことがきっかけで、「現象学的軍人」から、小説家に転身したらしい‥‥、等などと、読みながら考えていた。

 戦前派らしい硬派の文章を黙読する自分の声が、目を覚ましてしばらく、頭の中にこびりついていた。

■終始一貫して小説を読んでいる夢を見てしまったのか?

 夢の中で小説を読み始めると、必ず小説の中に入り込んでしまう、と、私は『人はなぜ夢を見るのか』の終章「夢の現象学」で書いた。けれども、この夢は、物語の中に入り込まず、それを読むというスタンスを維持できた、珍しいケースかもしれない。

 しかも、最初の方、浮田氏の手記を読むあたりでは、主人公に同化して手記を読んでいたような記憶がある。ということは、通常の夢では、最初の方では「読む」夢だったのが次第に物語の中に入り込む、という傾向なのに対して、この夢では、最初は物語に入り込んで、後半では「読む」スタンスに移行してそのまま目が醒めるという、通常の夢とは逆のパターンを辿った一層珍しい例かもしれない。

 小説の主人公が小説の中で手記を読む、という入れ子細工構造は、珍しくない。けれども、小説を読む夢の中でさらに小説の中の手記を読む、という夢の二重構造は、さすがに維持することは難しいのではないか。だから、手記を読む部分だけは、夢の中に入り込んで主人公に同化して手記を読む夢となった、とも解釈できる。

 そう解釈すると、この夢は、終始一貫して物語を「読む」夢であった、ということになる。(京成線の車中にて)

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