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2011年5月 1日 (日)

夢の現象学(43):「二度目の生のありぬべき」という謡いを聞いていたの巻

■「二度目の生のありぬべき」という夢の中の謡いの文句の解釈

 5月1日(日)。4月29日の早朝、夢を見てキーワード的部分だけをベッドサイドで書く。

(1)研究会。私を含めてふたりしかきていない。志村さんは休むことが分かっている。どうしようかと主催者が言っている。

(2)二度目の生のありぬべき

 以上の2つのキーワード(キーフレーズと言うべきか)を頼りに、深夜に再現してみた。

(1)研究会らしき会を大学でやっていた。東邦大学らしかった。今回は私と、幹事らしき人物のふたりしかきていない。「志村さん」は休むことが分かっている。「どうしようか」と「幹事」が言った。

 このエピソードの前後にもストーリーがあったのだが、もう思い出せない。

(2)このキーフレーズは、同じ夢の後の部分なのか、それとも別の夢なのかは分からない。とにかく、謡いのようなことをやっているのを見ていたのだった。何人かが、それぞれに別の文句を謡いながら舞う。中で、「二度目の生のありぬべき」という謡いがあった。それが目覚めてからも耳に残った。これは、輪廻転生はあり得ない、といっているのだ。なぜ、こんな節を、しかも謡いで聞かなければならないのがふしぎに思われた。

 ところが、半日ぐらいたって、突然、意味を取り違えていたことに気がついた。「ありぬべき」を、「ありえない」と解釈していたのだが、実は、「あったに違いない」という意味なのではないか‥‥

 とにかく、特に謡曲に関心があるわけでもないし、最近謡曲を聴いたという記憶もない。それなのに、なぜ、こんな夢を見たのだろう。

 なぜ、こんな夢を見たのか、という問いの多くには、答えられない。夢の研究者としてはなさけない限りだ。それだけ夢の神秘は深く、それゆえに考える値打ちがある、とでも思っておくしかしかたあるまい。 

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