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2011年3月20日 (日)

夢の現象学(42):澁澤龍彦と中井英夫の跡をしのぶ朧げでフラジャイルな夢

■澁澤龍彦と中井英夫にゆかりの街を歩く夢

3月20日。何やら波瀾に満ちた物語が展開していたようだが思い出せない。憶えているのは目覚め際のもので、澁澤龍彦と中井英夫が死去した後、そのゆかりの街やファンに二種類ができた、といったストーリーだった。

 夢の中ではどちらか明瞭ではなかったが、後に死去した方の作家の話だった(現実には中井英夫が後に死去したので、中井英夫でこの記録を統一しておく)。その愛した街を散策していた。古本屋街だった。「実際に故人のゆかりのこの街よりも、別の街の方が所縁の街として有名なのは解せない。ファンだってその別の街に有名どころが集まっているし‥‥」といったことを考えながら歩いていた。「それは、先に亡くなった作家の場合もそうだったのだが‥‥」

 そのうち、極めて中井英夫的な店を見つけた。子どものマネキンが並んでいるのだが、日本人形みたいなのだった。おまけに、本物の子どもの剥製も混じっているようなのだった。これは幻想ミステリーの素材に使える、と思った。そのうち目が覚めたが、髪をおかっぱにしたマネキン人形たちの並ぶ光景が、妙に生々しく残った。

■想念界から映像界へと浮上しつつあった夢だった‥‥

 鮮明に思い出せない以前に、夢そのものが、おぼろげで、壊れやすくーー稲垣足穂風に言えばフラジャイルなのだった。一般に夢は視覚映像で構成されていることが多いが、これは映像化する以前の「想念」にとどまっているいる世界、といってよいかもしれない。最後の、和風マネキンの並ぶ場面だけが、想念界から映像界へと浮上しかけたところ、ということかもしれない。3月20日。福島原発のなりゆきを気にかけながら。

■追記:またしても意味ある偶然の一致?

 いま、2月23日付の前の記事(夢の現象学41)を読み返して、舞台が福島県の阿武隈山地中の茨城県との県境だということに気づいた。これって、福島原発に近いのではないか。若い頃に1、2回しか行ったことのない土地が、なぜか夢の中に出てきた。その半月後、その土地が、東日本大震災の影響で原発事故を起こし、大惨事として世界の注目を集めている‥‥。これって、またしても意味ある偶然の一致(ユングのいわゆる同期性)ではないだろうか!?

  雲低く翔りて核の不安あり

             2011年3月22日京成電車にて詠める。

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