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2011年2月18日 (金)

夢の現象学(39):夢の世界では別人として生きていたの巻

■別人として現実にはないアパートに住んでいた夢

 2月18日(金)。夢を見た。アパートに住んでいた。古ぼけた畳敷きの部屋だった。隣との間は、薄い板壁一枚だけで、仕切られていた。

 夢の中ではこのアパートは見慣れた場所だった(目が覚めて思い起こしても、過去の他の夢に何度か出てきたという気がする)。そして、夢の中では、私は別人だった。つまり、渡辺恒夫ではない人物だった。

 突然、廊下に、大きな声がした。同時に、鍵をかけておいた筈の出入り口の引き戸が、ガラガラとひらいた。半分だけ開いた入り口から、大声の主が内部を瞥見して、また戸を閉めて、隣室の方へ行った気配がした。きっと、酔っ払ったかして、部屋を間違えたのだろう。それにしても、鍵が掛かっていたはずなのに力任せで開いてしまうとは物騒だ‥‥この辺で、目が覚めた。

■夢の中で別人であるとは、一種の輪廻転生であるということではないか。

 すでに書いたように、アパートの和室は、今まで何度か夢の中で、住まいとしていた場所だった(現実には見覚えがないが)。けれども、そこに住んでいた私自身が、渡辺恒夫ではない人間だった。それだけは、夢の中でも分かっていたし、目覚めてからも分かっていたことだった。

 夢を、現実世界と存在論的に対等の地位を占める「世界」であるとみなす、超越論的現象学の立場。夢世界の中で、私が「渡辺恒夫」以外の人間であったこと。この二つの論理的帰結として、私は、目覚めと共に、「他の誰か」から、「渡辺恒夫」へと、輪廻転生したといえるのではないだろうか。

■他人の夢への侵入(インセプション)との比較

 映画インセプションでは、他人の夢へ侵入というアイデアを基にしている。他人の夢への侵入とは、昔からあるアイデアで、相手の夢を内側から変えることで治療を行う「夢師」というサイコセラピストの話も、小説やマンガで読んだことがある。

 けれど、私が他の誰かの夢へ侵入したら、その夢の続いている限り、私はその「誰か」として生きていることになるのではないか。その場合、夢主と夢中劇主人公とは別人ということになるが、超越論的自我(=夢主)と経験的自我(夢中劇主人公)とは別人という事態は、夢ではありえないことではない。

 逆に、私の夢に他の誰か(夢師といったサイコセラピスト)が侵入してきた場合、私は、その「他の誰か」になった夢を見た、と思うだけではないか。

 このように考えるのは、他者の主観的経験は、想像であれ夢であれ、あるいはテレパシー的にであれ、私が経験する限り私の経験であって他者の経験ではないからだ。

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『人はなぜ夢を見るのかー夢科学四千年の問いと答え』(渡辺恒夫著、京都:化学同人、2010)

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