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2010年12月の記事

2010年12月23日 (木)

夢の現象学(36):明晰夢から金縛りへと展開した夢。

■12月16日(木)。明け方に金縛りに遭った。

 夜明け前に目が覚め、喉が渇いたのでお茶を飲んでまた寝た。うつ伏せで寝た。すると、うつぶせのまま、ここがどこか分からなくなった。見当識を失くしたのだ。そこで、夢だ、と気づいた。

 そのうちに、背中に何トンという重量がのしかかってきて、身動きできなくなった。金縛りかな?それなら夢の一種だから、背中の重量が視覚的には化け物に見えるかもしれない。そう考えて背中の方をみやったが、何も見えない。

 そのうち、目が覚めた。

 明晰夢から金縛りへと展開した夢だった。これをもって、金縛りとは明晰夢の一種であると、考えるべきだろうか。しかし、通常、金縛りに遭っている最中には、当人は目覚めていると思っているものらしい。そこが、明晰夢と金縛りの違いだろう。ともあれ、今回の体験は、両者が、同一とまでは言わなくとも、近縁関係にあることを示唆するものだった。

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2010年12月18日 (土)

夢の現象学(35):夢の中で日記を書くの巻

■過去の出来事を日記に書く夢は、夢に過去形がない説の反証ではないか。

 12月13日早朝。母が死去した夢を見た(事実ではない)。一人で母のベッド脇で付き添っていたところ、少しばかり荒い呼吸をして、それから逝った。父の死に目には会えなかったので、はじめて人の死に目に会えたと、いささか感動して思った。

 その夜、日記を書こうと思い立った。昨日、ホームを訪問したとき、「来週、浦和へ行く」という話をしたところ、「あたしも行きたいなあ」と言い出して、妻と共になだめるのに一苦労だったことも想い合わされて、死を予感したのだろうか、などとも思いながら、この体験を書き綴った(読者には申し訳ないが、個人的なことなので、はっきり分かり易く書くことができない)。

 そのうち目が覚めた。即座に、日記を書いている夢を見た、と気づいたが、日記の内容である母の死じたいは事実であることを、5~6秒間の間だが、確信していた。

 「夢には過去形がない」とは、自分でつい数ヶ月前に本に書いたことだ(『人はなぜ夢を見るのか』渡辺恒夫著、化学同人、2010)。けれども、この夢の中には、過去の出来事の日記を書く、という存在様式で以って、過去形があったといえるのではないか。

 また、読み書きの行為の世界と、読み書きの内容の物語世界の、世界の二重性を夢では生きることができないとも私は書いた。けれども、この夢の中では、日記を書く行為と書かれた母の死を体験する過去世界との、世界の二重性を、確かに生きていた。

 思うに、目覚めが近づくにつれて、夢世界特有の法則が崩れ、現実世界の法則が侵入してくるということではなかろうか。

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2010年12月 3日 (金)

コミュニケーション障害・社会不安障害・対人恐怖・独我論的体験(その8):「独我論的体験とは何か」の日本語論文で学会賞を授与され、イタリアのジャーナルから英語論文の掲載決定の知らせを受けたの巻

■日本質的心理学会第二回学会賞の表彰式のため、水戸を訪れたの巻。

 一週間前の話になってしまったが、表記の用件で水戸まで出張した。

 『質的心理学研究』(第7号、138-156、2008)に掲載された「独我論的体験とは何か:自発的事例に基づく自我体験との統合的理解」が、優秀理論論文賞になったというのである。

 学会誌に載るだけでも奇跡だと思っていたのに学会賞とは何かの冗談ではないかと、半信半疑で質的心理学会大会会場の、茨城大学まで出向いた。もちろん、本当の話で、懇親会での表彰式では、他の2名の受賞者と共に、理事長のやまだようこさんから、表彰状を戴いた。こんなことは、最初で最後の経験だろう。

 写真は、翌朝、総会をさぼって訪れた、水戸城跡ちかくの弘道館から撮った庭園風景である。

Mito_koudoukan1 Mito_koudoukan2

■投稿中の論文英語版の国際誌掲載が決まったの巻

 その数日後、イタリアのボローニャ大学から発行されている Encyclopaideia – Journal of Phenomenology and Educationの編集部から、投稿論文の掲載が決まった旨、知らせがあった。内容は昨年(2009年)6月の、ノルウェイの学会(IHSRC)での口頭発表を論文化したもの。初稿の投稿が昨年9月で、1度全面改稿を指示され、1年数ヶ月かけて審査をパスしたもので、これも感無量のものがある。

 タイトルは、From Spiegelberg’s “I-am-me” Experience to the Solipsistic Experience: Towards a Phenomenological Understanding

という。最初は、上記の「独我論的体験とは何か」のかなり忠実な英語版として書いたのだが、査読者に、現象学味が薄いと指摘され、思い切って現象学化を図った。それが幸いして、いまや、自我体験・独我論的体験の現象学という、広大なトピックスへの展望が拓けつつある。

 なお、AAM版(Accepted Author Manuscript)へのリンク

「SpiegelbergAAMversion.pdf」をダウンロード

を貼っておいたので、興味のある方は参照していただきたい。

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