« 2010年8月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月の記事

2010年10月30日 (土)

夢の現象学(33):世の中、見知らぬ人ばかりになる予兆の夢の巻

■10月27日。不安な夢を見た。

 京大心理の同窓会らしき集まりに出ていた。柿崎(祐一)先生もいた。柿崎先生を囲む会のようだった(註:実際は15年以上前に物故している)。ところが、誰ひとりとして見知った顔がない。おまけに、なぜか私は、柿崎先生へ挨拶にも行かない(気後れでもしたのか?)

 誰とも言葉を交わさないまま、不本意な時が流れた。終り近く、ひとりの男が、「去年も会いましたね」と言って、近くの席に座った。座ったというより、身を投げ出したというのが適切な、動作の乱暴な、まだ若い男だ。大学院の後輩なのだろうが、誰だったか思い出そうとしたが、どうも思い出せない。ヨーガや某学会関係で会ったのかもしれないが(といっても、実在のではなく夢の中にだけ存在するヨーガや某学会関係の会合だが)、確実ではない。前の方のベンチに何人か群れているのも、この男の仲間らしい。

 ともあれ、私は、わかった振りをして彼に調子を合わせた。そのうち会合が終った。終ったところで、どうして柿崎先生に挨拶しそびれてしまったのかと、烈しく後悔した。みんな、京都経由で帰途に付くというので(北陸方面での集まりだったらしい)、京都行きの電車ともバスとも付かぬ乗物に乗った。この乗物は、カーヴするとき、カエルのように飛び跳ねるのだった。そのうち目が覚めた。

■世の中、見知らぬ人ばかりになる予兆の夢か?

 なんともいえない、後味の悪い、不安をそそる夢だった。直接には、前日、「心理測定」の授業のことで質問に来た女子学生が、誰だか分からず、後で写真を調べて名を確認したことが、きっかけかもしれない。新しい顔は覚えられず、古い顔は忘れてゆくばかい。そのうち、世の中、見知らぬ顔ばかりになるのではないか、という最近、心の隅をよぎる不安が、現実化したような夢だった。

:

+++++【お願い】ブログにも著作権があります。無断転載を禁じます。引用の場合は「プロフィール」欄を参照して著者名を明記の上、このURLを必ず併記して下さい。+++++

 

2010年10月16日 (土)

夢の現象学(32):私を含めた飛翔人の出現で世界に壮大な何かが迫る予兆の巻

■飛翔人になった夢を見た。

 姿かたちを鳥に変えて飛ぶのである。どういういきさつでこんな鳥人間になったかは、夢の最初の方が思い出せないので分からない。

 とにかく、大空を自由自在に飛ばんものと、飛ぶ練習をしていたのだった。なぜなら、高層マンションのベランダからベランダへと飛んで行くのだが、飛び立つたびに、ひょっとして飛べなくなっていて落ちるのでは、という不安がよぎるからだった。

 ある幹線道路沿いに内陸側へと飛んでいたときもそうだった。極めて高いマンションのベランダから飛んだときは特に勇気が要った。幸い、転落防止のネットが張ってあったので、エイヤッと飛び出し、ネットをバリンと破って飛翔を続けようとした。

 そのとき、ネットにすでに破られた穴があるのが目に入った。どうやら、自分以外にも飛翔人が居るらしい(「飛翔人」の語を意図的に作ったという記憶がこの辺にある)。こうしてなぜか突然飛べるようになったのは、世界でじぶんだけかと思っていたのだが。

 なぜか不安になった。飛ぶ練習をもっと積まなければ、と思った。もう一羽の飛翔人は、ひょっとして私より巨大かもしれない、と思うと、怖くなった。だから、飛翔能力だけは鍛えておかなければ‥‥。海鳥のように、潜る術も見につけなければ‥‥。するとたちまち、道路沿いに海岸が拡がった。私は海面から潜って翼をバタつかせて練習を続けた。そのうち波に呑まれて気を失ったらしい。気がつくと、岩場に打ち上げられていた。(「親切な誰かが見つけて拾い上げてくれた」、という夢語りナレーションがこの辺で入っていた。)まさか、本当は人間だと気づかれなかったでしょうね。

 私は、ぬれた翼をバタつかせて、飛翔訓練に戻った。多少濡れていても飛べるのは有難かった。そんなことをやっているうちに、目が醒めた。大空を飛翔する感覚が、船酔いの感覚のように残っていた。10月16日(土)。朝8時半。

■壮大な物語が夢世界に迫りつつある兆の巻

 目が醒めてしまったのが残念だった。私のようになぜか鳥人間に変身する人間が徐々に増えたり、他の飛翔人に遭遇したりして、壮大な物語が幕を開ける予兆があったからだった。

 加えて、この夢世界は、記憶による現実のコピーではなく、現実世界とは別の世界、夢の中にいる限りでのもう一つの現実であることに、気づかざるをえない。

 何かが始まりそうな予兆をいっぱいに孕んだ別の世界に、私は生きていたのだ。

 しかもこの「世界」は、今朝の夢と共に新たに生成したのではなく、以前に夢の中で何度も生きたことのある、馴染みのある世界のような気がした。これからも、夢として何度か生きるかもしれない世界だ、ということが、なぜか直覚されたのだ。

 いつか私は、この夢の続きをみるだろう。

:

+++++【お願い】ブログにも著作権があります。無断転載を禁じます。引用の場合は「プロフィール」欄を参照して著者名を明記の上、このURLを必ず併記して下さい。+++++

« 2010年8月 | トップページ | 2010年11月 »

電子ジャーナル:こころの科学とエピステモロジー

ブログの主の最新刊

無料ブログはココログ
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

人文死生学研究会