夢の現象学(23):久しぶりの夢日記の巻、『夢科学四千年の答え』が5月末に出るらしいの巻
■久し振りの夢日記の巻、、『夢科学四千年の答え』が5月末に出るらしいの巻
夢を見た。大学にいた。「高校訪問したいのなら、今日行きませんか」と、やや若い見知らぬ教員に話しかけられた。浅黒い、痩せ型、眼鏡無しの顔だが、見覚えがない。先方は私を知っているらしい。最近、名前どころか顔さえ見たことのないような新しい教員が増えたので、これもありかな、と思った。
「どこの高校ですか」「石山寺高校です」と言う。そして、パンフレットらしき冊子を渡された。見ると、殆ど石山寺のパンフレットだ。「石山寺が経営しているんですか?」「そのようです。」実際、パンフレットの奥付には、「東本願寺派石山寺」とある(註、石山寺が東本願寺派であるはずがない)。
この忙しいのに、と思ったが、訪問は夕方7時からだというので、可能かな、と思い直した。「誰が行くのですか」「私と、薬学部の‥‥さんと、O先生です。」「O先生?」「O・‥子先生です。」ギョギョ、学部長ではないか。けれども、悪い顔ぶれではない。「7時ですね」と承知した。
その人は去った。けれども、名前も、待ち合わせ場所も訊かなかったので、うまく落ち合えるか心配だ。正門前で待てばいいのだろうか。それに、夕7時からでは、景色も見えないではないか‥‥。
この辺で目が醒めた。支離滅裂な夢だった。石山寺は、2年前に訪れて印象が強く、ブログの記事にもしたので出てきたのだろうが、それが、なぜ高校訪問の話と融合してしまったのか。レヴォンスオの言うところの「脅威的状況のシミュレーション発生メカニズム」の仕業、というにしては、あまり脅威の要素がない。といって、将来への懸念、期待、過去の後悔などの、「反事仮想」の現実化、としても、あまり釈然としない。
ちなみに、レヴォンスオの脅威的状況のシミュレーションや、反事仮想の現実化の話は、2週間前に脱稿したばかりの、(仮題)『人はなぜ夢をみるのかーー夢科学四千年の問いと答え』の第8章と終章に書いた話だ。1週間前に、出版元(化学同人)の編集者が京都から来て、打ち合わせをしたばかりだ。5月末に出版の予定だという。単行本がそんなに早いペースで出るのか、いささか気がかりなのだが。
ともあれ、終章「夢の現象学」は、このブログでの考察が元になっている。日本では類のない本になることを、自分のことながら期待している。
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