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2009年12月 5日 (土)

夢の現象学(19):夢の中の存在信憑が崩壊する瞬間の巻

2009125日 夢の中の存在信憑が崩壊する瞬間の巻

明け方の夢。最初の方は憶えていない。雑誌を手にしていたが、そこには、私の書いたかなり長めの考古学論文、というか一般向きの記事が載っているのだった。けれども、ある人物がそれを無視するといった他愛もない理由で、ひどく腹立たしかった。おまけに雑誌の表紙は、プリントミスのような汚れがあって、私の名がはっきり読み取れるか読み取れないかの境目の状態だった‥‥

 と、ここで目が醒めた。そして、私の書いた考古学記事など実在しないことに気づいた。夢の中のものについての存在信憑が、めざめと同時に、軽い失望を伴ってあっけなく崩壊したのだった。

 まもなく私は再び眠り込み、また夢をみた。そして、なんと、その夢の中には、再び同じ雑誌掲載の考古学記事が出てきた。つまり、夢の続きを見たのだった。

 最初の夢の直後に考古学記事の存在信憑が崩れる瞬間を、軽い失望感を伴って体験したにもかかわらず、その続きの夢では、そんな体験などなかったように、当然のように存在信憑を伴って考古学記事が出てきたことを、あとで目覚めて面白く思ったのだった。

 ちなみに考古学はまったく畑違いの分野だが、グーグル検索よろしく「考古学 夢」で連想検索をかけると、京都の北山でなにやら考古学調査をしていた夢から始まって、大昔(平安時代?)の京都から伊勢へと、さらに東国へと下る街道(松並木があった)を通り、関東地方へと調査の足を伸ばすという、空間的にも時間的にも範囲の大きい夢系列が、切れ切れに思い浮かんでくる。まるで、夢の彼方にそのような時空間が実在していて、これら切れ切れの夢の記憶は、そこからの断片的な情報、といった気がするのだ。

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