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2009年10月の記事

2009年10月27日 (火)

夢の現象学(16):太平洋戦争末期、平和要求部隊なる部隊にいたの巻

■太平洋戦争末期にいて、平和要求部隊なる部隊にいたの巻

2009年10月27日。朝7時45分。夢を見た。太平洋戦争末期にいた。あるいは、その当時についての父の話を聴いていて、話の中に入り込んだ、というのが正確かもしれない。私は父になっていたのかもしれない。

 ある部隊に属していたのだが、そこでは、部隊の再配属をしていた。左軍、右軍、というように兵員を再配属していくのだが、私はそのどちらでもない、平和要求部隊なる部隊に配属された。

 この部隊は、最高司令官直属でーーということは天皇直属ということかーーいよいよとなったら白旗を掲げて和平を米軍に要求する役だそうだった。

 記憶に残る最後の場面では、私は道を歩いていて、ジープに乗った将校のひとり(なぜか米人のような顔をしていた)が、もう一人に、自分は平和要求部隊に配属になったという話をしているのが、ジープのガラス窓ごしに聞こえた。声が大きすぎるので誰かに聞かれはしないかとヒヤヒヤした。なぜか、他の兵隊に聞こえたら悪いことのような気がしたからだ。(京成電鉄の車内にて。朝9時半。)

 ちなみに、亡父にそんな話を聴いたことは一度もないし、この話に関連するような連想をしてみても、心当たりは全くでてこない。

 *******この項、続く******

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2009年10月22日 (木)

夢の現象学(15):ハリー・ポッターそっくりの夢を見たの巻。

■ハリー・ポッターそっくりの夢を見るの巻

 10月10日朝4時。寝る前にハリー・ポッターを読み、ハリー・ポッターそっくりの夢を見た。

 不老不死の薬を幾つかの容器に分けて、隠しに行くのだった。私は相棒(女性?)と一緒に、湖辺の家屋にいた。そこで薬を、ペットボトルのような透明な容器に入れた。もう一つ同じ容器を用意して、こちらの方には普通のお茶らしき液体を入れた。そして、湖の底に埋めに行く計画なのだった。

 そんな作業を流しの上でやっていたが、突然、思いついて、薬を流しに捨ててしまった。そして、「不老不死の薬を、奪われないよう隠すくらいなら、この世からなくしてしまうのが一番だ」といったことを言った。

 他の人(相棒を含めて数人いた)も、賛成したようだった。まだ、私たちの組織の本部のような処にいくらか残っているが、アレも始末せねば、‥‥などと思案しているうちに目が醒めた。寝入ってからちょうど、1時間半過ぎたところで、夜明け前だった。

 寝る前に読んでいたハリー・ポッターは『死の秘宝』篇で、「名前を言ってはいけない人」の分霊箱を見つけて破壊しに行く話だから、似ていることは似ている。

 ここで、前夜の別の記憶が入り込んでいることが分かる。不老不死の薬というのは、ハリポタを読み始める前に、2ちゃんねるの「科学ニュース」板をチェックしていて、「不老不死につながるマウスのテラメアなんたら‥‥」というスレッドのタイトルを見たからだろう。この手の科学ニュースはしばしば見かけるし、しかもすぐに実用化につながるものではないし、そもそも私は不老不死の研究には反発を覚える(遍在転生観の意義が薄れるではないか‥‥)。それだから、中身は読まなかった。

 入眠して一時間半後に目が醒めたし、内容がドラマチックで自分自身が主人公で、というところからも、この夢はレム睡眠の夢だということが察せられる。さて、レム睡眠には記憶整理の機能があるとする。すると、この夢は、不老不死研究のニュースからの印象と、6つの分霊箱を探し出して破壊するというハリポタ物語とを、統合して記憶しなおす試みだということになる。

 すると、夢に出てきた私の相棒(女性?)とは、ハーマイオニーということになるのだろうか。(昼12時)

 *******この項、続く******

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2009年10月18日 (日)

夢の現象学(14):自我体験・独我論的体験を誘発する研究を夢の中でしていたの巻。半覚醒状態に夢の世界とめざめの世界への両方の通路があるの巻。

■自我体験・独我論的体験を誘発する研究を夢の中でしていたの巻。

 朝に記録した夢。ある学会の分科会に出ていた。高校の教室のような小さな会場だった。夢の中では、その後、誰か分からない人に「何か面白い発表はなかったか」と問われて、「あった。自我体験を誘発する絵の発表だった」と答えて、その話をしていた。以下は、その話の内容である。

 私は、最初のうち、満員の会場の最後列にいて、臨席の若い男に、「自我体験の先生でしょう」とか話しかけらていた。それから、発表が入れ替わり、ついでに殆どの聴衆も入れ替わって、少し前の席に移動できた。そして、例の発表を聞いた。

 ‥‥なにやら、ホームレスの男にも見える略画を見せられ、「これが自画像だと思いなさい」と言われると、かなりの割合で自我体験が誘発される。そういう発表を聞いていた。

 次に、ひょっとして一度めざめて、別の夢になったのかもしれないが、例の発表は、さらに、タイムトラベルを組み入れて独我論的体験をも誘発する研究の発表になっていた。いつの間にか、私自身が研究の主体になっていて、いったん未来へ行って、それから過去へ引き返して‥‥といったことを、一生懸命になって考えていた。

 目覚めた直後は、理路整然とした、独創的なアイデアを得たと、思った。そこで、ノートを取り上げて、記録し始めた。

 けれども、書き始めてみると、上記のような支離滅裂なイメージの断片以外には、ほとんど思い出せないことが分かっただけだった。

 どうやら、8時のアラームを止めて、次に起きた8時40分ごろまでに見た夢らしい。内容から、レム期の夢だったと察せられる。

 夢の中の見知らぬ話相手について。しばしば夢に出てくる見知らぬ話相手とは、自分自身なのかもしれない。

■半覚醒状態に夢の世界とめざめの世界への両方の通路があるの巻。

10月3日(土)。8時半ごろ目覚めて、ズッシリと充実した夢を見た、と思った。

 即刻、書き留めようとしたが、最近、夢記録が以前に比べて飛躍的に量が増えているので、あとでいいやと、また寝てしまった。記録できたのは11時半。

 成田近くのJR線で電車を降りて、線路を歩いていた場面が思い出される。ラストは、なにやらドストエフスキーばりの自殺の理論を立てて鉄道自殺を図るのだが、間一髪で電車が止まってしまった。

 このラスト以前の記憶といったら、次のようなものしかない。成田に近い駅にJR線で着いた。乗換駅らしく、ホームがいくつもある(現実には存在しない駅だ)。そうして、乗り換えようとして間違って別のホームに行ってしまった……といった、夢ではよくある、電車にまつわるトラブルであせっていた……。

 こうして3時間後に思い出して書いてみても、覚醒直後の、充実した夢を見たという感覚は、いっこう蘇ってこない。ドストエフスキーばりの自殺の理論が、全く思い出せないからだろうか。

 夢とめざめの間に半覚醒状態がある。そこでは、夢の世界とめざめの世界への、両方への通路が、開けているのではないだろうか。

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