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2009年8月10日 (月)

夢の現象学(9):学生の夢答案を読んで遍在転生と夢との類似に思い至るの巻。

■学生の夢についての答案を読んで、遍在転生と夢との類似に思い至るの巻

トロント行きAir Canada 機内で。84日夜1150分。午前中、自宅で学生の答案を読んでいて、「なぜ夢は忘れるのかを研究して欲しい」という文章があったことを、思いだす。

確かに私は、昨夜も少なくとも(レム睡眠=夢見睡眠とすれば)4回は夢を見ていたはずだ。なのに、一つも憶えていない。

 以前にもどこかに書いたことだが(そしてウスラー『世界としての夢』(註1)を読み返して確認したことだが)、夢は「世界」である。私は昨夜、「世界」を4つも生きていた筈だ。なのに、一つも想い出せない。

 ここで、夢と遍在転生との、深い類似に気がつかないではいられない。遍在転生観(註2)によると、今、機内の隣のシートに座っている隣のアンチャンや後ろの席のネエチャンの生を、私は生きたのかもしれないし、これから生きるのかもしれない。なのに、生きたとしても一つも憶えていない‥‥

 遍在転生とは、可能世界(私が他のだれかであるような世界)(註3)の、順次的実現である。夢も同様に、可能世界(私が他のだれかであったり、物理法則が違っていたり)の順次的実現ではないだろうか。

 もちろん、私が昨夜少なくとも4回夢見たという推測は、科学的仮説に基づく演繹とされている。けれども、それは、「私が今晩、睡眠実験室で眠れば、レム期急速覚醒法によって4回は夢を思い出すだろう」ということからの、世界の斉一性原理に基づいた、推測にすぎない。

 このように、過去の出来事(昨夜4回夢見たこと)は、直接は検証できない。それと同じように、私が隣のアンチャンや後ろのネエちゃんとしての生を送ったかどうかは、直接検証できない。ただし、実験的検証に欠けるところが、遍在転生観の弱みだろう。

 世界の斉一性原理に基づいて「昨夜私は4回覚えていない夢を見た」と主張することに意味があるとすれば、逆に、憶えている夢とは何かが、問題になってくる。

 夢を憶えているからこそ、「世界」が「夢」になり「非現実」になるのではないか(ウスラーにヒントを得たアイデア)。憶えている夢とは、「世界としての夢」の、影ではないか。思い出せない夢こそ、真の夢なのではないか。

 「いかなる経験的証拠もなしに、輪廻転生は成り立つのでなくてはならない」(註2)のと同様、いかなる記憶もなしに、私は昨夜、少なくとも4回は、可能世界における生を生きた、と言わなければならない。

1)ウスラー『世界としての夢』(谷徹訳、法政大学出版局、1990)

2)渡辺恒夫『輪廻転生を考える』(講談社現代新書、1996)

3)三浦俊彦『可能世界の哲学』(HHKブックス、1999)

 

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