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2009年8月12日 (水)

夢の現象学(10):アメリカ心理学会(APA)に出かけて奇妙な夢を見るの巻。夢の中の私の存在様式が小説を読んでいる時のそれと同型であることの巻。最初で多分最後のアメリカ心理学会印象記の巻

APA(アメリカ心理学会)に出かけて奇妙な夢を見るの巻

87日(金)。APAシンポジウム当日の夜明け前3時(トロント現地時間)。奇妙な夢を見た。

ある男性がある女性と交際している(メル友になっている、と言うべきか)。最初、私はこの男性であるようだったし、夢が進むにつれて、小説を読んでいるように客観視しているようでもあった。

 男性は同じ町に住んでいる女性に身元を知られないようにしている。けれども、女性は、携帯電話に居場所割り出し機能が付いているのを使って、三叉路にあるコンビニで、男性がそこにいることを突き止めてしまう。このあたり、自分が女性の身になって身元割り出し方を考えたりしていたり、客観的な視点をとったりと、小説を読んでいる時のようだった。

 コンビニにいた何人かの候補者の中からさらに絞り込み、女性は車で帰る男性のあとを車で尾行し、家を突き止める(男性の家は、13歳の時まで住んでいた大田区の家になっていた。このあたり、男性は再び、私になっていた)。女性は、男性の母親に、「結婚を前提としたお付き合いをさせていただきますわ」と宣言する。このあたり、もう覚醒していて、夢の、物語としての辻褄合わせに、このようなことを考えていたのか、それともこれも夢なのか、判然としがたい。また、女性は最初は婚活の年頃(30代後半?)だったはずが、ラストでは、ひと月ほどまえ、就職先の会社の不満を言いに研究室を訪ねてきた、卒業生のSさんのようでもあった。

 私の存在様式にしても、夢の中で活動していた(ただし現在の渡辺恒夫とはかなり違った設定として)ようでもあり、第三者的に自分を客観的に見ていたようでもあり、さらに、主人公の相手の女性の視点にも、途中でなっていたようだった。

■現象学的考察:夢の中の私の存在様式が小説を読んでいる時のそれと同型であること。

 すぐ思いつくことだが、これって、小説を読んだり書いたりしている時に、生じることと同じなのだ。

 そこで、現象学的考察をしてみよう。

 現象学的に還元すれば、「人間一般」などというものは存在せず、自己と他者しか存在しない。これは、今日のAPA(アメリカ心理学会)でのシンポジウム"Theorizing pluralism"(多元主義を理論化する)での私の主張のポイント、「自己の心理学と他者の心理学の二項対立こそが、心理学史にとって最も基本的な存在論的対立軸である」の、背景となるテーゼである(参考までにシンポジウム発表論文(PDF版)へのリンクを貼っておく)。

 けれど、この夢が示唆することは、現実世界でも私は、自分に対して客観的視点を取ったり(Nagelの言葉を借りるならば”view from nowhere”[1])、他の誰かになったり、無意識のうちにしているということだ。

 このような私の、異種混交的(amalgam)存在様式は、経験的発達心理学的に、ある程度説明できるかもしれない。けれども、経験的事実だからと言って、全てをカッコ入れ(bracketing)して自己/他者二分法に還元できるだろうか。異種混交的な世界内存在=私の存在様式が成立しうること自体は、先験的事実ではないか。ちょうど、チョムスキーによれば、どんな母語を身につけるかは経験的に決まるが、母語獲得の能力自体は、そしてまたどんな言語にも共通な深層構造自体は、生得的であるように。

 また、今日のシンポジウムでは、「人間」概念が、metapsychologicalに考察すれば一人称的と二人称的と三人称的人間概念の異種混交物だという話もするが、これが経験的主張だとしてもを経験的発達心理学的に実証することは難しいと考えていた。けれども、ひょっとして、夢の現象学的考察によって、この仮説をかなり納得がゆくところまで仕上げられるのではないだろうか。

[1] Nagel, T. (1986). The View from Nowhere. NY: Oxford University Press.


■最初で多分最後のアメリカ心理学会印象記

 とにかく以上のような夢を見て、夜明け前3時に(時差ボケのせいもあって)目が醒めて、6時半にはホテルを出て、トロント中央駅とCNタワーの間に位置する会議場に向かった。

 私たちのシンポジウム(Theorizing pluralism)の顔ぶれは、仕掛け人であるまだヨーク大大学院生のGoerzen君、私と、トルコの女性心理学者Dr Gulerce等4名が話題提供をし、カナダ在外研究中お世話になったDr Teoら3名が指定討論に当たる。東洋系2名の他は、全員がカナダ人だ。同時進行が何十会場あるか分からないという巨大学会の中では、埋もれてしまってあまり人が集まらないのではないかという懸念があったが、狭い会場はほぼ満席になってやる気が出た。

 プレゼンテーションは十分準備してきたし、フロアとの討論の時間も、指定討論者が代わってしゃべってくれたので私としてはボロを出さずに済み、どうやら1時間50分をしのげて、胸をなでおろすことができた。

 シンポジウム後、何人かが話しかけてきたところから察して、反響はあったと思う。エジプト出身だというアメリカの心理学者には、あなたの理論化能力には感銘した、あなたは日本における理論家のリーダーなのか、それともunusial caseなのかと聞かれたのは、私はもちろんunusial caseでしかも孤立していると、内心可笑しかったが答えておいた。

 それにしてもアメリカ心理学会は、あまりにも巨大だ。指定討論者の一人、Dr Smytheに言わせるとenormousだ。元々アメリカにあまり関心のない私は、今回、Goerzen君に誘われることがなかったならば、参加するなど夢にも考えなかっただろう。そもそも、日本の正統的な心理諸学会からはお呼びのかからない私が、世界の正統中の正統であるアメリカ心理学会に呼ばれるというのも、可笑しな話なのだ。再び誘われることでもなければ、これが最初で最後の参加になるだろう。‥‥などと感慨にふけりながら、4日間を、あちこちの分科会をのぞいて回った。

 6月、そしてこの8月と、外国の学会を渡り歩いて、「輸出」の困難さを今さらながら痛感した。元々、最悪の英会話力、最悪のコミュニケーション力、最悪の自己アピール力という、三重苦を背負いながらの活動は、苦役以外のなにものでもない(ちなみにノルウェイの学会では、たまたま同席した竹田青嗣氏の自己アピール力には感心したものだ)。

 それでも続けるのは、自分の学問に対する責任感と、来るべき独我論の時代への使命感から以外にない。とにかく、今回のシンポジウムのfull papers版が、これもGoerzen君とその師のDr Smytheの売り込みだが、専門誌(New Ideas in Psychology)の特集号(Pluralism in Psychology)を飾ることに首尾よく成功すれば、目的の一端は少しは達せられることになるのだが。

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