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2009年7月 7日 (火)

夢の現象学(5):北欧の学会で日本の現象学者と対話するの巻・フッサールの示唆した体験世界の二重構造がより明瞭に認められる夢の巻・夢とその背景世界の関係は回想と現実世界の関係に似ているの巻

■北欧の学会で日本の現象学者と対話するの巻

 フィヨルドに面した北欧の町で行われた、国際人間科学研究会議(IHSRC)に参加して、622日に帰ってきた。私の研究発表は、前のブログにも書いたように、『自我体験と独我論的体験:自明性の彼方へ』(北大路書房)の英文要約版。下に、PDF版を貼っておく。http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/FromSpiegelbergpreprint.pdf

 この学会は2度目だが、今回は、現象学の哲学者の竹田青嗣さんや西研さんらも来ていて、有益な意見交換ができた。

 その西研さんに、「自我体験・独我論的体験とは、自己が中心になっている主観的世界と、その中にあっては自己は多数の自己たちの間の一つの自己にすぎない客観的世界との、矛盾の体験です」と話した。すると西さんは、「そのような二重構造が普遍的に誰にでもあるという確信こそが、フッサールが現象学的還元によって到達しようとしていたところではないでしょうか」と言ったような意味の答えを返した。

 この二重構造が認められる夢を、最近見たので、記しておく。

■パリ***精神分析研究所という題名の物語の夢

 パリ*(人名)*精神分析研究所というタイトルの、映画かテレビドラマが始まっていた。正確に言えば、「映画」「テレビドラマ」というのは目覚めてからの解釈・合理化。単にそのような題名の「物語」が夢として、もしくは夢の中で、始まった、というべきか。

 何人かの「所員」が歩いて登場した。郊外の公園を背景にした場面設定で、その公園(らしき)地区の奥にある建物を、なぜか私は、他の夢の中で来訪したことがあるような気がしていた。

 私は、所員の一人らしく、同時に、物語の観客として上からの視線で見下ろしているという、夢によくある二重性をもって現存していた。所員の一人である私は、他の所員(所長の次の年輩者)に近づき、個人的な相談をもちかけて、精神分析的なアドヴァイスを受けるのだった。相談内容はかなり深刻で、目下Sさんに相談中のことと関連があったような気がした。目覚めた瞬間にはその内容を憶えていたような気がしたにもかかわらず、今は全く思い出せない。

 所員たちの一人は女性で、他の一人は、(昨日英会話スクールで会ったインストラクターに似ている)黒人系だった。所員たちは、少しずつ入れ替わりながら、場所の中央に登場していた。場所というより、「画面」であって、画面中央には、タイトルの文字が白く表示されているのだった。それで所員たちは、文字に隠れたりまた現れたりしていた。一方、私は、相談した年輩所員のアドヴァイスの的確さに、畏敬の念を覚えていた‥‥。あとは憶えていない。多分、この辺で目覚めたのだろう。(625日早朝)

■現象学的考察(1):夢ではフッサールの示唆した体験世界の二重構造がより明瞭に認められるの巻<BR> 一方で私は、世界を、「物語」として、客観的に見ていた。その物語の中では私は、多数の所員たちの中の一人の所員に過ぎなかった。他方、私は、まさにその当の所員として、世界を体験的に生きていた。これは、よくある夢の二重構造だ。

 夢として回想すれば、このような二重視点は、矛盾として意識される。ところが、現実世界の中で私は二重視点を生きているにもかかわらず、矛盾として意識することが滅多にない。

 この解きがたい矛盾を、メルロー・ポンティの言葉を借りて、両義性、と表現したがる人もいるかもしれない。そう表現したからといって、何の解決になるわけでもないのだけれども。

 ともあれ、夢が、現実世界の構造上の暗黙裡の矛盾を、明瞭に見せてくれるのだ。

■現象学的考察(2):夢とその背景世界の関係は回想と現実世界の関係に似ているの巻

 この夢は、今まで見てきた幾つかのフランス留学関係の夢と、続き物をなしているような気がした。少なくとも夢の中では、今までのフランス留学関連の夢が、その背景的世界を構成していたような‥‥。

 西さんは、また、現実は連続しているが、夢は単発だ、それが現実と夢の確信度の違いではないか、といった意味のことを言っていられた。この夢を記録しながら考えたのは、夢には純然たる単発の夢もあれば、いくつかグループを成している夢もある、ということだった。

 この夢は、他のフランス留学関連の夢とグループを成していて、それら他の夢が構成する世界が、背景世界となっている。そこに、現実とは独立な確固たる世界の存在確信があって、個々の夢は、その独立した世界から、部分的にそのつど汲み出されたもののように思えるのだ(その世界の中では、実現しなかったフランス留学は、もちろん実現しているし、中世の風景の中を歩いてスイスの近くまで行っているし、ロシアの近くまで行ったような‥‥)たとえ、この現実のように、一日が時系列的に次の一日と、矛盾無く連続しているということがなくとも。

 ただし、この現実の方も、たとえば40年前のことを回想する時には、「40年前に起こったあのこと」に関係する思い出を、片っ端から、時系列など無視して想起するのだから、背景世界に対する個々のエピソード記憶の関係の構造は、この夢の場合と似たようなものになる。

 ある種の夢と、過去の回想とは、背景世界に対する共通の構造がある。夢とは、別の世界からの、「想起」なのではないだろうか。(625日)

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