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2009年4月の記事

2009年4月25日 (土)

伊豆大島でゴジラの石像を発見するの巻、「自我体験と独我論的体験」の出版日がほぼ決まるの巻

■伊豆大島でゴジラの石像を発見するの巻
 4月下旬は恒例の環境科学体験実習の週。一昨日は、東大火山観測所で、地球科学の金田先生のお手伝いで、生まれて初めて地学の講義をやった。といっても、技官の人に教えてもらった通りに、火孔モニター画面の説明をり返しただけだが。
 それにしても、理学部の専門学科に所属して5年目にもなると、何となく自然科学全般のことが、ある程度分かるようになってくるのが面白い。耳学問だけではなく、暇を盗んで勉強もしている。今では、すっかり、「理科が好き」になってしまった。少なくとも、心理学や哲学の話をする場合でも、専門の論文を書く場合でも、理学部の学生の納得できないような話はしないし書かないようにしている。
 たとえば、社会的構成主義を初めとするポストモダン系の人文社会科学は、ひねくれすぎて理学部学生には納得できそうもないので、話さない。「独我論的体験」の話ならば、機会があったら話してもいいと思っている。何しろ、独我論的体験研究を始めたきっかけは、理学部学生のレポートに、偶然体験事例発見したことだったのだから。
 昨日は、皆は三原山登山だが、私は体調が悪くてホテルで留守番役をしたついでに、海岸にある源為朝碑を見に行った。すると、為朝の石碑の近くに、ゴジラらしき石像があるではないか。

 そういえば、ゴジラシリーズの何かでは、ゴジラは三原山の噴火口の奥深く眠っていることになっていたと、思い出した。

■「自我体験と独我論的体験」の出版日がほぼ決まるの巻■
 先ほど「独我論的体験」のことを言ったついでになるが、「自我体験・独我論的体験:自明性の彼方へ」の出版日が5月20日ごろなる旨、北大路書房の担当編集者から連絡があった。「あとがき」の一部を、差し支えない範囲で、このブログにアップロードしておく。

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2009年4月22日 (水)

夢の現象学(-2):夢は解釈できても説明できないの巻。

●4月22日 

■夢は解釈できても説明できないの巻■
 夢を見た。
 なにやら多摩川の川岸にいた。上流で日本心理学会らしき学会が開かれていたが、私の方は別の研究会をやっているのだった。近くに温水プールがあったが、殆ど誰もいない。日心の会場の近くにも温水プールがあることになっていた。そのうち日心が終わったらしく、川沿いに歩いてくる人が何人かいる。誰かが(I氏?)「あちらのプールは不入りで、泳いでいる人もいたよ」とか言った。そこで、私も、そばのプールに入って泳ぎ始めた。(そこから別の話になるが、差しさわりのある内容なので省略する。)
 日本の心理学界に対する疎遠感を象徴するような夢だった。
 ただし、この「プール合戦」を、そのような感情の象徴的表現として解釈することはできても、なぜ、そのような感情がプール合戦という形象を取ったのかを、説明するのは容易ではない。 
 PGO波が皮質を撹乱した際に偶々出てきたイメージが、休日に時たま行く温水プールだったから、それが象徴に使われたのかもしれないではないか。
 槍で貫かれる夢を見た女性は、容易にその象徴的意味を理解するだろう。けれども、なぜ、ピストルでなく槍なのかを説明しようとしても、せいぜい、前夜に見た大河ドラマの主人公の甲冑姿が、象徴に流用されたぐらいのことしか、思いつくまい。
 夢は、解釈できても説明はできない。だからといって、夢に意味がないわけではない。「明日行く」という文章は、バビロニアの粘土板に楔形文字で書こうが、和紙に墨で書こうが、同じ意味に違いない。夢もまた、手当たりしだいの材料で書かれたのだから。

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2009年4月19日 (日)

麻生太郎の著書を注文するの巻。小沢一郎の20年前のマスコミ批判論文の巻

●4月19日。
■ アマゾンから麻生太郎『とてつもない日本』がようやく届いたの巻■
 
 生協で注文したが品切れなのかナシのつぶてなので、改めてアマゾンで取り寄せたもの。特に読みたかったわけではないが、マスコミの言われなき麻生バッシングに抗議するという、インターネット上での祭りの趣旨に共鳴したのだ。
 大学のようなところでずっと生きていると特に感じるのだが、日本で政府や首相を批判することは、北朝鮮で金正日主席の前で足を高く上げて行進するのと同じくらい、たやすくて、しかも保身に役立つのだ。自分を安全地帯において、口先だけ反権力を唱えることが、明らかに保身に役立つのだ。
 以前、図書館で読んだ、名前は忘れたがある評論家の、大江健三郎批判が印象に残っている。
 本当に日本と世界を良くしようというのなら、自分を安全地帯において役にも立たない状況分析などやっていないで、日本の首相を目指したらどうか、できればアメリカの大統領が良い、といった文章だった。
 もちろん、「批判」を専らにする人士からは、向き不向きがある、といった反論が来るだろう。けれども、指導者は向き不向きではなく、最も優れた人物がなるべきものなのだ。向いていないという言い訳は、自分には能力がない、と認めるに等しいではないか。
 若い頃は、首相など人間離れしたモンスターの極悪人ぐらいに(もちろんマスコミのマインドコントロールで)思っていたものだ。ところが、今のように同世代になってくると、何のことはない、日本の首相だろうがアメリカの大統領だろうが、自分と同じような人間で、しかも(当たり前だが)私など足元にも及ばない高い能力の人間だと分かってくる。
 身の回りに居る指導者たちー学長や学部長ーの毎日の仕事振りの大変さを見聞きするにつれ、足を引っ張るようなことをいわず、批判をするにも建設的批判を心がけよう、と思うのだ。
 マスコミで自国の首相への悪口雑言に余念のない人々を観察していて、連想するのは、突飛なようだが、この前の紅白歌合戦で森進一の歌った、オフクロサン、という歌の歌詞だ。
 雨の日に傘を持って迎えに来てくれた母が、大人になったら世のため人のための傘になれ、と諭す、といった意味の歌詞だった。
 これに対して、マスコミで麻生バッシングに余念のない人々は、傘どころか、生涯にわたって天に向かって唾することを続ける人々、と言ってよい。しかも、それが保身に役立つどころか、メシの種になっているのだ。

■小沢一郎の15年前のマスコミ批判論文の巻■
 こう書くと、麻生太郎vs小沢一郎の対立構図で、麻生太郎に加担するもの、と思われるかもしれない。けれども、私は以前から、小沢一郎は一段スケールの大きい政治家だという印象を持っていた。
 15年ほど前、朝日の紙上で、マスメディアの役割についての小沢一郎vs朝日新聞編集部の論争というものがあった。
 朝日の主張は、相も変らぬマスメディアの公権力監視の使命を強調するものだったが、これに対する小沢一郎の反論を一読して、私は勝負あった、と思った。
 小沢によると、公権力の権力源泉は国民の主権に他ならない。その公権力を「監視」することを専らとするような巨大な組織が存在すること自体、国民主権に対する侵害である、という。
 では、公権力は監視されなくとも良いのかというと、決してそうではない。公権力の監視は、まさに公権力の権力源泉である私たち国民一人一人の責務なのだ。それを勝手に、巨大メディアのような私権力に、横取りされてはたまったものではないではないか。
 私がもっとも腹が立つのは、新聞人によく見かける、「国民の言論を預かっている」「国民の知る権利を代行する」といった言い草だ。いったい、いつ、誰が、預かってくれだの、代行してくれだのと、頼んだか。代行するというのなら、巨大メディアの記者や編集責任者は、読者や視聴者の選挙によって選ばれるべきではないか。

 情報三権というものがある。
・知る権利
・知らせる権利(=表現の自由)
・知られない権利(プライヴァシー権を含む自己情報のコントロール権)
 情報三権は、私一人一人の個人としてのかけがえのない権利であって、誰にも代行してもらう訳にはいかないのだ。
 もちろん、かつて、個人に情報能力が欠如していた頃は、マスコミに頼るのも致し方なかった面もある。けれども、今ではインターネットというものがあり、私のような非力な人間でも、こうして発信できるのだ。
 
■天に向かって唾を吐き続けた代償■
 その小沢一郎も、西松建設の件で、総理の座は遠くなったようだ。元々、小沢が総理の座に及び腰なのは、総理大臣になったとたんに、自民党幹事長時代のスキャンダルを暴かれるからに違いないとは思っていた。その時が、ワンテンポ早く来だだけのことかもしれない。
 とにかく、これでまた、麻生も小沢もダメで、永田町にはカスしかいないといった、論調がマスコミを賑わすことになってしまった。
 気がついていないのかな。人材払底しているとしたら、それは、マスコミに操られた日本人が、長年にわたり、天に向かって唾を吐き続けた、その報いなのだということを。

■終りにーー私の好きな言葉■
・汝、罪なき者のみ、石を投げよ。
・汝、天に向かって唾することなかれ。

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