« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月の記事

2009年1月 4日 (日)

コミュニケーション障害・社会不安障害・対人恐怖・独我論的体験(その7):優れた臨床心理学者とは

 2009年1月4日 

■図書館にて
2,3ヶ月前のこと、市の図書館でたまたま『「臨床心理学」という近代』(大森与利子著、雲母書房)という本を手にとって、パラパラとめくっているうちに、次のような一節が目にとまった。

   以前、筆者は短大の講義の中で、学生たちにひとつのビデオを視聴させた。どうしても人の輪の中に入れず戸惑っている幼稚園児が、次第に溶け込み、果ては自己主張するまでに至る経過を克明に記録した調査ビデオである。そのビデオを視聴した感想文の中に、「なぜひとりでいることは駄目なのですか。このビデオは、ひとりでいること=悪、人の中にいること=善、という大前提で作られていて、ひとりでいることが好きな私には、とても抑圧的な思いだけが残りました」という印象深い記述があった。ほとんどの学生が、幼稚園児への安堵感と共感という《無難な感想》を記したわけだが、この学生の問題提起は、筆者の既成概念に楔を打ってくれたのである。例の『心のノート』だが、この学生が抱いたようなきわめて本来的な懐疑や批判精神を育成していくことが可能だろうか。(p.316)

 「同感!」と言いたいところだが、いろいろひっかかるところがある。こんなビデオ、作る方も作る方だが、学生の感想文を読むまで気づかないで見せるほうも見せる方だ。私は自分の講義では、「自分の性格が良くないから改善したいという人が時々いるが、そもそも性格に優劣はないので改善するという考え方じたいが間違っている」と言うことにしている。
 もちろん、適応的な性格と適応的でない性格があるが、何が適応的で何がそうでないかは、時代と場所とによって変化する。その典型が「オタク」で、20年前には幼女連続殺人事件の宮崎勤が代名詞だったが、今では世界に誇る文化に成長した。

■コミュニケーション・スキルというアイデア

  もっとも、時代が変化するのを待っているわけにもいかないし、就職難のご時世では自分に適した職業に就けるとは限らない。そこで、よいアイデアだと思うのが、「コミュニケーション・スキル」というヤツだ。性格は自己に属するので、変えようとすると自分で髪の毛を持ち上げて宙に浮かぼうとするようなことになってしまうが、スキルならば訓練でレベルアップできる。また、コミュニケーション・スキルなどというと、とかくおしゃべりの能力だと思われがちだが、英語で電子メールをやり取りする能力など、現代ではたいへん重要なコミュニケーションスキルだろう。

■心のノートと河合隼雄氏

 話を元に戻すと、引用した文章の中でもう一つひっかかるのは、終りの方で『心のノート』が槍玉にあがっていて、文章全体が「心のノート」を批判する構造になっていることだ。ここに、「政府・自民党」(笑)のやることならとりあえず(口先だけでも)反対しておこうという、インテリの世界を支配する体制化した反体制意識を感じてしまう、というのは言いすぎだろうか。
 さて、「心のノート」を作成するのに中心となったのは、当時、文化庁長官だった河合隼雄氏だと言われている。人間的にも学問的にも色々問題のある人物だと思うが、ユング心理学を日本に導入した功績だけは、認めなければならない。25年ほど前、けっこう臨床心理学の勉強をしていた頃、その河合隼雄が主任教授をしていた京大の臨床心理教室に、1年間だけだが内地留学をしていたことがある。その時の印象深い経験を書いておきたい。

■内向性が外向性より高く評価される世界

 大学院のゼミで、ある院生がアメリカ人の論文を紹介したところ、河合教授の下で当時、助教授をしていた山中康裕さんが、論文を批判して、「このヒト(=論文の著者)、外向性なんじゃないですか」と言ったのだ。院生たちは、爆笑した。その時、私は悟った。この教室は、内向性が外向性よりも高く評価されるという、現代ではまことに稀有な世界であることを。
 少しでもユングを齧った人なら周知のことだが、内向ー外向というのはユングの作った性格概念だ。ユングは、愛人を何人も作ったりとなかなか社交的な人物だったが、関心が内面にもっぱら向いているという意味で、自分自身を典型として「内向性introversion」という性格類型を象ったと言われている。そんな内向性の概念が、アメリカ心理学に導入されて変質し、今では世間のイメージとして自閉性だの引きこもりだのと同一視され、あげくにSAD(社会不安障害)などと病名を付けられ投薬治療の対象になりつつあるなどと、もしユングに予測できたら腰を抜かしただろう(もっとも、アメリカ旅行の経験を通じ、アメリカ社会が外向性に傾きすぎていると、警告を鳴らしてはいたが)。

■伊東博さんのニューカウンセリングの想い出

 似たような体験を、それから数年の後、伊東博さんの主催するニューカウンセリングの講習会でしたので、それも付け加えておく。湯河原のホテルに4泊5日で泊り込んでの講習で、参加者には看護婦(当時の名称)の方も何人かいられた。ちなみにニューカウンセリングとはロジャースのエンカウンターグループに、ヨーガとネイティヴアメリカンの儀式を混ぜたような身体技法を加えたもの、といったらよいだろうか。その最後の日に、参加者一人一人が感想を述べる段になって、20代後半とおぼしい女性が、「内向的な自分の性格を外向的に変えたいと思って参加したけど、終わる今となって、やっぱり自分は内向的なんだなアと感じています」といった発言をしたのだった。
 私は、オヤオヤ、外向性=善、内向性=悪という既成概念を絵に描いたような発言だなあと、内心のけぞったものだ。伊東さんの方を盗み見ると、無表情のまま、(他の人の感想には一言コメントをしていたのに)何も言わず、すぐに次の人の感想に移っていった。
 ひょっとしたら、当時70歳の高齢だった伊東先生は、内心、少しばかり悲しんでいたのかもしれない。身体感覚への気づきを通して自分を世界へとひらいてゆくというニューカウンセリングが、内向性を外向性に「改善」するなどという、皮相な適応目的で期待されていただなんて。

■優れた臨床心理学者とは

 2例だけを出したが、その他の色々な経験を併せて、私は、優れた臨床心理学者は、「ひとりでいること=悪、人の中にいること=善、という大前提」とは無縁なばかりか、そのような既成概念と闘ってきた人たちだ、と思っている。今でこそ臨床とはすっかり無縁になってしまったが、学生のころにフロイト、ユングから多くを学び、今でも尊敬の念を抱き続けている一人として、臨床心理学の名誉のためにも、これだけは言っておきたい(ちなみに、『図解深層心理が面白いほどわかる本』(中経出版)は、題名がやたら通俗的だが、中身は夢を中心にフロイト、ユングのエッセンスを取り出して現代科学へ結びつけた「超・読みやすい学術書」であり、私なりのフロイト・ユングへのオマージュだ。)
 それが、冒頭の引用文にあるような、トンデモビデオが作られるなんて。私が臨床とは無縁になったこの20数年の間に、日本の臨床心理学界に何かが起きていたのだろうか。

 なお、冒頭の引用だが、全体を完読せずに一節だけ取り出しての批判なので、いささか公正さを欠いていたかもしれない。的外れなところがあったら著者にはお詫びしたいし、この記事の読者には、私の批判が当たっているかどうか、実物に当たって確かめることをお勧めしておく。とにかくこのところ、分厚い本を通読するような余裕がまったくなくなってしまっているから困ったものだ。

 ++++++この項続く+++++++

■■■【お願い】ブログにも著作権があります。引用の際は、本ブログの著者名(渡辺恒夫)を明記し、併せてURLも必ず書き添えてください。■■■

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

電子ジャーナル:こころの科学とエピステモロジー

ブログの主の最新刊

最近の記事

無料ブログはココログ
2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

人文死生学研究会