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2008年6月10日 (火)

石山寺詣、あるいは物語・夢・現実

2008年6月9日。   

 昨日は、滋賀の石山寺に行った。080608_1008

 正確に言うと、滋賀大での学会のついでに、そこからバスで5分ほどの石山寺を訪れたのだった。(左写真:多宝塔)

 石山寺といえば、紫式部が滞在していた処という位しか知識がなかったが、本堂の背後の山全体が、蓬莱山さながらの池あり堂宇あり菖蒲園ありの迷宮になっていて、想像していたより規模の大きなお寺だった。

080608_1034  中腹にある別院で、源氏物語の絵巻物類の展示も見た。説明書にとても興味の引かれるくだりがあった。(左写真:紫式部像)

 紫式部は虚構を描いて人を惑わした罪で地獄に堕ちたという説が一方であるが、それに対抗して石山観音の化身説があるという。源氏物語を書いたのも、この世は夢だということを人に悟らせるための方便だという。080608_1049

 これは、私がかつて、二、三十年前に幻想文学に耽っていた頃に考えたことに似ている。すぐれた物語には、この現実以上の現実性を感じることがある。「この本の中には、第二の現実が、もう一つの人生が、この現実世界以上に真実性のある現実が、詰まっている……。」(左写真:無憂園)

 080608_1042 したがって、物語と実人生の関係は、夢と昼間の世界の関係に似ている。ただし、誰か他の人になって現実よりも真実性のある人生を生きる夢から覚めた時に、ときおり、新たな、よりつまらない夢に入り込んでしまったと感じるように、優れた物語を読み終えて我に還ったときには、よりつまらない(真実度の低い)別の物語がまた始まってしまったかのように、感じるのだ。(写真:八大竜王社)

 これはけっして比喩ではない。

 私が宇宙の中のいま、ここにいる特定の知的生命体として生きる世界が終れば、他の特定の知的生命体として生きる世界が新たに始まるという、輪廻転生の唯心論的解釈によると、夢と現実とは対等の存在権能を持つのだから。

 生まれ、死ぬことを無限に、くりかえすことは、めざめても目覚めても無限に目覚めても、また新たな夢の中にいることなのだ。

 ****************この記事、未完*************

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