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2007年12月22日 (土)

コミュニケーション障害・社会不安障害・対人恐怖・独我論的体験(その3)

【その2】から続く。
 前の記事の末尾では、社会不安障害やアスペルガー症候群とは、かつては個性として理解されていたものが、現代では社会性が絶対的価値になってしまったために病理として炙り出されたものかもしれない、という推測を述べておいた。ちなみに、このような、なんでも「障害」「症候群」の名を付けて、薬で治療(矯正?)しようという現代社会の傾向を、英国の心理学者で哲学者のハレ(註1)は、medicalizationと呼ぶ。
 ところが、その一方で現代には、若い世代を中心に「独我論的体験」が増えているという、逆説的とも思える事実がある。事実といっても、全国5大学、1千名におよぶ大学生への質問紙調査の結果、およそ6%に「独我論的体験事例」を見出したことからくる実感でしかなく、かつてはこんな調査はなかったから比較実証のしようがないのだが(註2)。
 その理由を私は、インターネットの発達に求める。他人が存在すると考えただけで困惑に襲われる独我論的体験者といえども、他者とコミュニケーションしなければ生きていけない。淘汰されてしまうのだ。ところが、インターネットは、他者の非存在を信じたままで、他者とコミュニケートすることを可能にさせてくれる。
 なぜか。それは、インターネットの中の他者は、常に、「テクスト」として現れるからだ。文字で書かれたテクストならば、どんなものでも「一人称的読み」ができる。自分で書いたまま、引き出しの底にしまいこんで忘れてしまった文章との、偶然の再会として読めるのだ。あるいはもっと哲学的な言い方をすれば、「可能世界における可能的私が書いた文章」として読めるのだ。
 そういうわけで最近は、「時代精神としての独我論的体験」ということを考えている。これはついこのまえ、電子出版しておいた。私としてはじめての、電子復刻版ならぬ電子新刊だ。
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註1 Harré, R. : Cognitive Science. Sage, 1999
註2 この調査報告は、渡辺恒夫・金沢創: 想起された<独我論的な体験とファンタジー>の3次元構造. 質的心理学研究、4、115-135,2005、として纏められている。

          【この記事、続く】

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